816年創建!某ビル1階「餅飯殿辨財天社/聖宝理源大師堂」東大寺の僧が法要【奈良まちシリーズ】
知らないと見えない&着かない神仏習合の地。餅飯殿(もちいどの)商店街に鎮座する「餅飯殿弁財天社」は814年の古社。弘法大師は興福寺南円堂の南岸にあった「吉野天河大弁財天社」より勧請。って、その元宮は「天河大辯財天社」だろうな・・。
この地は餅飯のお供えを調え17日の法要をお供えしたところ、この事が後の「餅飯殿町」の由来となったと大事な地に今でも鎮座する。
変更履歴
2023/07/17 初版
▼HP、▼アクセス、▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
→餅飯殿辨財天社:奈良県奈良市餅飯殿町41
餅飯殿(もちいどの)商店街に鎮座する「餅飯殿弁財天社」は814年の古社。弘法大師は興福寺南円堂の南岸にあった「吉野天河大弁財天社」より勧請し「窪之弁財天社」を建立。あっ、今は興福寺・三重塔@重文だろうか・・。
この地は餅飯のお供えを調え17日の法要をお供えしたところ、この事が後の「餅飯殿町」の由来となったと大事な地に今でも鎮座する。同年に、「吉野天河大弁財天社」より七弁財天神を勧請。
下の写真左の社は「宗像社」です。
→聖宝理源大師堂:奈良県奈良市餅飯殿町41
平安前期に大峰山に大蛇が人に危害を与えていた
895年、宇多天皇の勅命によって聖宝(しょうぼう)が大蛇退治を命じられる
聖宝は平安前期の僧で光仁天皇の玄孫
当地の勇敢な若者である箱屋勘兵衛と共に大蛇を退治して大峰山の安全を確保
この功績を讃え、聖宝と箱屋勘兵衛に餅と飯を差し出して労をねぎらう
聖宝から「餅飯殿へ」と書かれた礼状が届いたことから、「餅飯殿」郷と称される
現在の餅飯殿町の名前の由来である
理源大師堂は、 聖宝理源大師像・神変大菩薩役小角尊像・山上講御守・箱屋勘兵衛の霊位を祀る仏堂として建立された
7月7日に東大寺の僧侶が法要
この仏堂は、平安時代に大峰山に棲み着いた大蛇を退治した僧・聖宝の尊像などを安置している。
最後に、聖宝は醍醐寺の開祖ですね。
▼旅行記、▼セットで行くところ
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