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賀茂氏?神奈備山・大山「大神山神社・奥宮」と「大山寺」は高野山&延暦寺相当!【伯耆シリーズ】

起業や転職・大きな転身!大神山は「大山(だいせん)」の古い呼び名で「出雲国風土記」の国引き神話で「国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭」として出てくる。大山は神の宿る山として古くから人々の信仰を集めてきたパワスポである。

 平安期には仏教が入り神仏習合が始まる。僧侶は大神山神社の御祭神である大己貴命に地蔵菩薩を祀って「大智明権現」の名を称して神仏を共に崇めることとなり、近くに多くの寺院を建て、平安鎌倉期には3院180坊と拡大する。同時に僧兵3000を持つようになる。って、延暦寺と同じだな・・。

大山寺の歴史
607年・・・法隆寺
721年・・・古事記
718年・・・大山寺
720年・・・日本書紀
733年・・・出雲風土記
759年・・・万葉集
788年・・・比叡山延暦寺
816年・・・高野山金剛峰寺

変更履歴
2022/05/12 
京博『最澄と天台宗のすべて』リンク


▼HP

大神山神社(里宮。本社):大神山神社(奥宮):

大山寺、阿弥陀堂、洞明院:

▼アクセス

大神山神社(里宮):鳥取県米子市尾高1025
大神山神社(奥宮):鳥取県西伯郡大山町大山1
大山寺  :鳥取県西伯郡大山町大山9
阿弥陀堂 :鳥取県西伯郡大山町大山69
洞明院  :阿弥陀堂近く

▼祭神・本尊と脇時

大神山神社(里宮):大穴牟遅神(オオナムチ。オオクニヌシ別名)
大神山神社(奥宮):大己貴神(オオナムチ。オオクニヌシ別名)
大山寺  :後述「▼見どころ」参照
阿弥陀堂 :後述「▼見どころ」参照
洞明院  :後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽大神山神社(本社/里宮/冬宮):

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 奥宮は大山・大山寺にあり、ここは麓にある「大神山神社」で、山登りが大変だったからここに分霊したのが本当かもしれない。と思っていたが、冬になると雪深く奉仕困難になる奥宮を補完する目的で大山麓に建てたのが始まりのよう。

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 御祭神は「大穴牟遅神(オオムナチ。オオクニヌシの別名)」で相殿には「オオヤマツミ」、「スサノオ」、「スクナヒコ」と出雲風土記に所縁のある神様達である。

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 出雲大社(杵築大社)から島根・熊野大社などの流れを組む拝殿と本殿だった。

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 境内には、朝宮社と龍神社がある。朝宮社は大山津見神とオオクイヌシ、妻・須勢理毘売命などを祀る。

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 この近くに、奥宮と奥宮拝礼所があり、古代から重要視された神社だと感じる。

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 水が綺麗で、よく見ると鯉が飼われていました。社務所で確か50円でエサが買えるので、エサやり開始なのだが、人に慣れていないのか?ちょっと動くと退散していく・・・。

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▽大神山神社(奥宮/夏宮):

 奈良・大神神社などと同じく山自体がご神体なので、本殿が建てられたのは1701年。 1796年に火災に遭って消失し、1805年に再建されたもので国の重要文化財である。

大神山神社の日本一
①大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。
②社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。
③奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと。ほか西日本最大級の神輿もあります。

 参道を登ると時間は8:30ぐらい。大山寺は9:00だし、先に大神山神社・奥宮へ向かうべく、左側の石畳みの参道へ進みます。鳥居をくぐると、その先には約700mの自然石を敷きつめた参道になる。

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 しばらくは神仏習合の名残が残ります。

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 京都・浄瑠璃寺や岩船寺周りにある自然石に彫られた地蔵菩薩です。神仏分離(廃仏毀釈)で頭を削られたものが多いのですが、ここは残っています。さすが修験道代表のところですね。

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 途中、右側に大山寺に続く道を発見したので、大山寺は裏参道から参拝することにした。まずは大神神社奥宮までもう少し、途中、山ガールが突如現れ、先を越された。第二の鳥居が見えれば、もう少しです。

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 大神山神社奥宮は元々大山寺なので、近くに塔頭跡がありました。

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 通常の門とは扉が逆向きに開くので逆さ門とも言われている。元々は大山寺から移設したときに、そのまま移設したため、逆さになったとか。

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 大山は『出雲国風土記』に伯耆の国の「大神岳(おおかみたげ)」として記され、別に「大神山」ともいわれ、この「大神山」の「神」が省略されて、平安時代には、「大山」になったといわれています。

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 ではラスト登り切って拝殿・本殿へ!

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 御祭神は「大己貴神」で、オオクニヌシの別名。白山信仰と同じく、元々は本殿の無い大山(大神山)の遥拝所が神社へと成長したらしい。冬季の厳しい積雪対策として、中腹に神社を建て、元の地を冬宮、中腹を夏宮とした。その後、夏宮は仏教化し大山権現となり、冬宮の神職達は里に降り大神山神社となった。中腹の夏宮・大山権現が明治になり、廃仏毀釈により分離された。大神山神社奥宮と大山寺と大神山神社の3社寺体制へ!

 石畳の参道の果てに立つ全国最大規模の「権現造」の拝殿・本殿は重文。社殿内の左側に西日本最大級の神輿もあります。 御朱印集めの方の注意事項は、御朱印は10:00からと掃除している方が仰っていました。

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 天井や壁に装飾がされており、内部は綺麗です。ここの宮司はアジスキタカヒコネ直系の子孫で、一子相伝の秘伝がある。出雲が大和朝廷に負けたときにひっそり伝えられてきたようだ。なお、アジスキタカヒコは四国に逃れ、生き延びたとあるが、奈良御所・高鴨神社など古代豪族・葛城氏と繋がりが強く鉄が絡む神様。

◆出雲風土記:アジスキタカヒコ
オオクニヌシを代々祀る神職。出雲風土記によると次の物語がある。
①昼も夜も構わず泣き続ける
②三沢あたりで禊をすると話せるようになった
③アメノミカジヒメと結婚しタキツヒコ、ヤムヤビコをもうける
④大和・葛城の賀茂神社(高鴨神社)へ

 出雲と大和の繋がりが気になった。久しぶりに葛城氏所縁の地に訪れないといけないなと思った。

 そしてこの秘伝が気になる。記紀によると出雲国造・アマノホヒとアジスキはそっくりだったと記載している。もしかして兄弟?同じ部族??

 ちなみに出雲国造・アマノホヒの次に出雲に国譲りをするよう使いに出た天神もアジスキにそっくりだったとか。ここに「一子相伝の秘伝」があるのだろうか。

 弁財天社。江戸時代の火災により焼失したと思われる社を再建したもの。なんで宗像三神がいるかは謎です。

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 大神山神社の左手に下山神社がある。神の使いの白狐「したぐらさん」の霊験で知られ、社殿の前には、大きな石狐がある。下山神社の社殿の下は、小さな穴が2つ開いていおり、里を駆け巡った狐が、そのようすを神に知らせるための穴とされる。

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 NOTEを書いていて気付いたが、この社殿も国の重要文化財なんですね。

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狛犬が良い感じ。

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 下山神社の大きな石狐から大神山神社奥宮と白くなってきた大山。

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 拝殿内にある授与所に申し込めば、内部の彩色壁画や花鳥風月の絵が描かれた格天井などを見学することができます。が、私たちは行くところが多く待てないので、次に向かう。

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下りのほうが怖い・・。

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▽大山寺  :

 大神山神社奥宮から大山寺に向かうと、鐘の音が次々と聞こえた。どれだけ突くねんと突っ込む。
 奥宮から下るときは、途中に左手の小道を進むと本堂に着く。本堂からは鐘を突く音が、まだ続く・・。

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 境内に入ると、信者か宗派の方々が本堂でお経を唱えており、鐘をつきまくっていた方々だと判明。
 そして本堂横に高級車が、、金持ち坊主か!?

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 鞍馬寺とかもそうだが、有名な観光寺でありながら祈りの対象でもある寺で、この風景をよく見ますね。

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 本堂内からお経が聞こえます。この人たちは修験道?山のほうへ向かうべく、堂内でお経をあげている。
 邪魔にならないように祈るルーチンをしようとしたが、すでに大量の線香が・・・

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 本堂で手を合わせると煙たい・・・。熱い・・・。おばちゃんの「ひやぁ~」という謎の声。振り返ると・・・燃えてるやん...

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釈迦弟子・賓頭盧尊(びんずるそん)笑っている?燃えてますよ~ww

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 ということで、私たちも負けないように!?突く!?

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護摩堂です。御本尊「不動明王」である。不動明王立像が中央に、半跏の不動明王坐像は珍しいが、江戸時代っぽいかな。

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 大山信仰の始まりは約1300年以上。行者達の荒修行の場として718年に「大山寺」が創建された。
 平安時代になると天台宗の寺院が次々と建立され、鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は隆盛を極める。その後は、高野山・金剛峯寺や比叡山・延暦寺と並ぶ大寺となり、「大山僧兵3000人」の勢力に。明治の廃仏毀釈で、現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなる。

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朝早く来たので人は少ない!宝物館へ!!って休館かい!!!

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足湯で休憩だな。

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って、水かいっ!!!

▽大山寺:阿弥陀堂@重文 阿弥陀三尊@重文

 まず、大神山神社・大山寺本堂からは川を渡り徒歩で来るのもよいし、車で来るのもよし。徒歩ルートは次の通り。

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 私たちは次の写真のところを渡りました。雨の日は無理そうだけど・・。大神山神社奥宮駐車場を川側に行くと渡れます。渡って少しのぼると「円流院」や「大山寺阿弥陀堂」へのショートカットになります。たぶん、観光パンフレットに記載されている「中ワタリ」を歩いています(と思っていた)。

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本当は下の写真が「中ワタリ」では?と疑いつつ・・。

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工事中だった・・。またの機会に・・。

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 慈覚大師の創建と伝えられる室町期の建築で、阿弥陀三尊@重文が安置されている。お堂は1131年創建で、本尊「阿弥陀如来坐像@重文」は毎月18日のみ開扉です。

▽大山寺:洞明院  :

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 法事のため拝観できず・・。ということで、水木しげる氏の圓流院(円流院)に行きます。長くなったので次のNOTEに記載します。

▼旅行記&ガイド

▼セットで行くところ

鳥取→兵庫→京都(日本海側)方面

鳥取→岡山→兵庫方面

出雲→鳥取方面

↓NOTE版はこってり。↓じゃらん版はあっさり。

▼仏像展
▽2022年 京都国立博物館『伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」』

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