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光明皇后がモデルの女人裸形阿弥陀「璉珹寺(れんじょうじ)・崇道天皇社」紀氏【奈良まちシリーズ】

「崇道天皇社」を通り過ぎてすぐのところにある紀氏の寺「璉珹寺」には白い阿弥陀が安置されている。かつては50年に一度のみ開扉していた秘仏なので保存状態は素晴らしく良い。そして、イメージより大きな仏像である。
 最後に、下半身は袴を穿いている。この袴は西陣織で50年に一度、女性が着替えをお手伝いされるそうで、次回は2048年!?

変更履歴
2023/06/10 本尊の記事追加

▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽璉珹寺(奈良市西紀寺町45)

 別名「紀寺」とも呼ばれる。藤原京から平城京に移ったときに豪族・紀氏が氏寺も移したとされる寺

 本尊は「阿弥陀如来立像」で、光明皇后がモデルとされる白く美しい女性の姿。
 顔は清凉寺式釈迦如来を彷彿とさせ、下半身に袴を穿き上半身は肌を露にした白色裸形の像であり、兵庫県小野市の浄土寺に安置されている快慶作「裸系阿弥陀如来@重文」と同じ様式の阿弥陀である。
 この仏像は元々、袴を取り替えるときの50年に1度だけしか公開されない秘仏だったが、最近では毎年5月の1か月開扉されている。因みに脇侍の観音菩薩立像@重文、勢至菩薩立像@重文も拝観でき、プラス300円で「大山蓮華セット」という和菓子があります。

 ということで、本尊に注目が行くが、脇侍の聖観音@重文・勢至菩薩像@重文も見逃せない。聖観音は腰を捻り系で平安時代作、勢至菩薩は江戸時代作。その他として、紀有常尊像、行基菩薩坐像、聖徳太子立像、地蔵菩薩半跏像も安置されている。

璉珹寺( 紀寺 )総合学術調査
奈良平安期における紀寺・璉城寺の基礎的考察

▽崇道天皇社(奈良市西紀寺町40)

 紀寺天王とも呼ばれ、祭神は「早良親王(さわらしんのう)」で、かつてはれんじょう寺(紀寺)の鎮守として祀られた。早良親王は藤原種継暗殺に関与した疑いを受け、淡路国に配流の後にお隠れになり、淡路国にて葬られた。その後、天変地異などが起こり祟りと判断し崇道天皇という諡号が贈られ、祀られたとさ。菅原道真と同じですね。

早良親王
延暦3年(784年)桓武天皇は平城京からの長岡京への遷都を望み、信任厚い藤原種継を造長岡宮使に任命されましたが、遷都後まもない延暦4年(785年)9月に種継が射殺されます。犯人はすぐ捕らえられ処刑されましたが、大伴・佐伯両氏を始めとする反対勢力の仕業であると感じた桓武天皇は、きびしい詮議をすすめ、終にその累は皇弟早良親王に及びます。同年9月28日、早良親王は廃位され乙訓寺に幽閉されました。親王は無実を主張されましたが、天皇は許すことなく、淡路島に配流が決まります。淡路島に向かう途中、京都の南方山崎の高瀬橋のほとりで親王は息途絶え、遺骸はそのまま淡路仁井の里に埋葬されました。

公式HP(https://sudoutennousha.jimdofree.com/%E7%94%B1%E7%B7%92-%E5%BE%A1%E7%A5%AD%E7%A5%9E/

 最後に、、本殿は重文で1623年に春日大社の若宮本殿を移築したものだそうだ。そう「春日移し」です。

▼旅行記

▼セットで行くところ

ならまち


東大寺、興福寺、春日大社など王道


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