東大寺大仏殿のモデル「喜光寺」行方不明・四天王を解体で発見!150年ぶりの里帰り「尊賞親王御陵」【西ノ京シリーズ】
堂内写真OK!東大寺大仏殿より古くて似ている本堂!行基が東大寺建立に先だって建立したという伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれている。薬師寺唯一の別格本山で、本尊の脇侍がうっすら笑顔で足の組みかたが面白い。本尊は重文です。
変更履歴
2023/06/29 「https://www.nara-np.co.jp/news/20230626204201.html」追加
2022/06/07 初版
▼HP
▼アクセス
奈良市菅原町508
▼本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
748年11月に聖武天皇は行基が病に倒れた際に見舞いとしてここ菅原に行幸。そして、御本尊「千手観音像」をお詣りしたところ、「御本尊の顔から不思議な光が放たれた」と天皇はお喜びになり「歓喜の光の寺である」として「喜光寺」の名を与えたそうな。
本堂までのアプローチや本堂@重文は東大寺大仏殿と似ているが、逆で東大寺が喜光寺の本堂を参考にしたとの伝承がある。また、南大門の金剛力士像も東大寺南大門を彷彿とする。
事前にこれを知っていたのもありますが、確かに本堂のバランスなどがそっくり!!
写真をこの角度から撮ると、創建時に未来を見据えてフレームに入るように縦長のバランスを計算して横が短い造りにしたのか?と思ってしまう。
本堂内は写真撮影可能で釈迦三尊が安置されている。本尊は當麻寺を思い出す本尊。
2019年5月2日~9月2日は四天王像が里帰りしている。行基伝承の四天王像が江戸時代まで安置されていたが、行方不明になってしまう。この四天王は額安寺に安置されていたが奈良大学所蔵になる。2019年1月に四天王を解体修理した際、「行基大菩薩御作 菅原寺」の墨書を確認し、喜光寺の四天王だと分かり、令和元年に150年ぶりの里帰りした!!
四天王ですが、里帰り期間後は創立50周年を迎える奈良大学の記念館に置かれる予定だそうです(当初記載のまま)。ちなみに、現在の御本尊は平安時代後期作「阿弥陀如来像@重文」で、釈迦三尊になっている。最後に本尊は2019年秋ごろから修復に入っています。さあ~修復で仏師がわかり国宝か??
本堂裏には「弁天堂」があり、「宇賀神」と「愛染明王」が安置されている。
宇賀神は神道の神様「ウカノミタマ」で、稲荷系神社の祭神である。神仏習合で弁財天と同一とされていた。ということで、伏見稲荷大社からの分霊と思わせつつ、西大寺などに所縁がある叡尊が江ノ島弁財天から勧請したそうだ。
境内左側に宮内庁の看板があった。きっと、御陵だ!!と入ったが、「尊賞親王(そんしょうしんのう)」とのこと。帰って調べたところ江戸時代中期の親王だそうな。
元々は菅原寺とも言われていたので、道真つながりで文殊菩薩多め??
▽蓮(6月中旬~8月中旬)
奈良県内でも有数の蓮寺として知られている喜光寺。今回の「四天王像さとがえり公開」は、ちょうど蓮の見頃シーズンとも重なった。境内では80種250鉢の蓮が咲き誇り、御本尊・阿弥陀如来の極楽浄土を体感することができる。
西ノ京といえば「西大寺」「唐招提寺」「薬師寺」「喜光寺」の蓮と御朱印巡りを楽しむ企画!!四寺共通券も売られ、記念品もいただける。特別ご朱印GET!
▽四天王
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