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7年に一度の善光寺御開帳「善光寺」「世尊院」御開帳時に行ってみた記録【信州シリーズ】【諏訪シリーズ】

7年に一度の善光寺御開帳。延暦寺別院と尊せられた由緒を誇る古刹。この信州にある諏訪のキーワードである7年がここにもある。権力者に愛された仏像はお前だち含め秘仏である。ただし、本尊は絶対秘仏で住職も見れない。。私たちが見仏できるのは、鎌倉時代に造られた、お前立本尊である。


変更履歴
2022/06/21 動画追加(2022/06/21で検索)
2022/05/18 初版

▼HP

▼アクセス

長野県長野市長野元善町491

▼本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽善光寺

→参道と仁王門@重文

→山門(三門)@重文

→本堂

↑あっさり版↓こってり版


 では内陣に入りますが、それでも待ちます・・。。これが名だたる武将が欲しがった仏。。。って、見れたのはお前立ですが。。
 写真撮影厳禁なので、「善光寺御開帳奉賛会」より紹介!

 内陣拝観完了して、境内をブラブラします。

戦国時代の1555年には、川中島の合戦による信州善光寺の焼失を恐れた信玄によって、信州から運び出され、3年後に創建された甲斐善光寺に安置された。「善光寺史研究」(信濃毎日新聞社)などによれば、信玄の死後、武田家が82年に滅亡すると、織田信長の嫡男・信忠によって岐阜に出たことに始まり、83年には徳川家康が浜松から甲府に戻すが、97年に豊臣秀吉の命を受けて京都へ。翌98年に四十余年ぶりに信州に帰った。
(略)
 一方、甲斐善光寺で公開されている「本尊」は、もともとは信州善光寺の前立仏のひとつで、そのうち作者の銘があるものとしては最古という。

↓毎日新聞(2022/06/21)

善光寺が創建されたおよそ1,400年前は、仏教の宗派が別れる前。そのため、善光寺はどこの宗派にも属していません。宗派という壁がなく、誰でも参拝できることから古くから信仰を集め、その人気は江戸時代に「一生に一度は善光寺」と言われたほど。親鸞聖人や松尾芭蕉なども、善光寺を訪れたと言われています。
善光寺の御本尊は絶対秘仏のため、いかなるときでも誰も見ることができません。その代わり、御本尊の分身「前立本尊(まえだちほんぞん)」を御開帳のときだけ拝むことができます。

↓参照先(2022/06/21)


→日本忠霊殿

▽世尊院

 日本で唯一の等身大「銅造釈迦涅槃像@重文」が安置されており、釈迦堂とも呼ばれている。善光寺御開帳には行くべきところ。

▽善光寺不動尊&宝物館&世尊院




▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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