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1747年の春日大社社殿「夜支布山口神社」摂社・立磐神社に磐座あり!延喜式

大柳生町氏神。祭神はスサノオで、本来は山の神を祀っていたようです。夜支布山口神社の設置以前からあったとも言われる摂社・立磐神社は、春日大社本殿の建物を移築した「春日移し」の建築である。江戸時代の中期である1747年に移築したもので現在も比較的当時の部材が残されているそうな。

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変更履歴
2022/01/25 初版

▼HP なし

▼アクセス

奈良県奈良市大柳生町3089

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照


▼見どころ

「やぎゅうやまぐち」と読み、奈良市街地から東の山間部へと伸びる「柳生街道沿い」の山里「大柳生」地区に位置する大きな神社。延喜式に記されている古社で、「山口」という呼び名は、朝廷が宮殿などの建物を建立する際に供出する木材を切り出すにあたり、「山の入り口(山の口)」にお祀りする神様として設けられた神社ということらしい。古社で綺麗な社殿を持つが、駐車場はないので空きスペースに車を置かせていただく。

▽拝殿・本殿「素盞嗚命(スサノオ)」

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 大木があり雰囲気がよく、所狭しと摂社があります。立磐神社、春日神社、戸隠神社、八幡神社など記紀の神様が勢ぞろいです。

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 残念ながら、本殿は見えないですね・・。2011年の写真で紹介。

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 本殿左には、摂社・末社が集まっている。本殿左は祓戸神社なので、ここで祓って本殿へ!

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▽摂社・末社

戸隠神社

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靖国神社

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八幡神社

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▽摂社・立磐神社@重文

 夜支布山口神社の設置以前からあったとも言われる摂社・立磐神社は、春日大社本殿の建物を移築した「春日移し」の建築である。江戸時代の中期である1747年に移築したもので現在も比較的当時の部材が残されているそうな。

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由緒書
 當社地は立岩に神霊が宿る霊地 として巨石信仰の古代から崇拝さ れ、立岩の前には早い時期から社殿 が建てられていたが後世に山口神社が當社地へ移され立盤の神が攝社 となった神社である。
 春日大社蔵の記録及び社殿から 發見された墨書によると現社殿は 春日大社享保御造替時に新造された本社本殿の第四殿を延享御造替時(一七四四~一七四七)に當地へ移譲されたものである。
 社殿は切妻造妻入の正面に軒の 付いた古い形式をよく傳え、また當初材が多く残り移建の事情も明らかな 點に注目すべきものがある。

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 数々の神々が祀られている中でタヂカラオが祀られていることに疑問があったので社の裏を覗くと納得の磐座がありました。確かにアマテラスの岩戸隠れで出てくる戸を想像させる形です。

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 立磐神社は、そのご神体が地上に突き出した立派な「磐座(巨石)」となっているユニークな神社でもあり、巨石は少し見えにくい位置にあります。

2011年の写真です。

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▽摂社・立磐神社の右側の社

 この社が磐座への目印で、この左を向くと磐座がある。この社は摂社・立磐神社の真横の階段。階段だが注意しないと通り過ぎるかと・・。
 肝心の写真の社は、春日神社かな。

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摂社・立磐神社右を攻めるとご神木があり、間を抜けます。

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白山神社・宗像神社

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京都・鞍馬寺と貴船神社を抜ける山道のような感じになる。

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一番奥は、御年神社・津島神社だったかな。

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小さいけど社は細かいところで違いがあります。2011年は社殿を新しくしたのかな??札が新しいよな~。

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 ちゃんと昔からの言い伝えがある祭祀上に社を立てたんだろうなと思わせる配置である。参拝しやすいように♪という人間都合にはなっていない。

では帰ろうか。

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▼旅行記

▼セットで行くところ

円成寺、南明寺、長尾神社、芳徳寺&天石立神社は口述「▼旅行記」参照(NOTEでは柳生シリーズかな)。

 あと、京都・南山城を攻めるのがよい(NOTEでは南山城シリーズ。シリーズつけていないな・・。)。11月は木津川市の特別開扉がある。王道は岩船寺、浄瑠璃寺です。

笠置寺へのアクセスはかなり狭いところを通るかもしれないので、オススメできないかも。。

仏像好きはこちらを参照。



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