坂口恭平の『生きのびるための事務』を読んで、生きるとは何かを考える
書店で気になっていた本があった。坂口恭平『生きのびるための事務』である。
本と言ってもコミックエッセイみたいなもので、全編漫画だ。なんとなく普通の漫画より読みにくい感じがして、最初に手に取った時は買うことはなかったのだが、別の日に書店に言った時に、手に取ると買ってみようという気になった。
理由は私自身が急に世間に放り出されてしまったからである。
この本は、会社組織に属さず、それでいて肩書もひとつではなく、様々なものを持っているせいで、何をやって生きているのか判然としないとまでいえる坂口恭平さんが、どうやってそのような生き方を実現したかを教えてくれる本であった。
その方法が「事務」といういささか地味な響きのある言葉だったわけだが、それゆえタイトルのキャッチーさになっているともいえる。
本を読んで何をやっているのかわからなかった坂口恭平さんに対して、「ああ、この人は芸術家なんだな」と思った。
それは世間一般が考える野放図な生き方をする芸術家というよりも、現代の自己PRや生存戦略をきっちりと描いて活動する芸術家のかたちである。
「生きのびるための事務」ではまず量を整える。自分が生きるために必要なお金の量だ。
計算してみると意外とそこまで必要ないことがわかる。
人間ただ生きるだけならそこまでコストはかからない。
お金の量が決まったら、お金を稼ぐための時間の量を整える。バイトだったらこれくらいでいいんじゃね、というような日数を量るのだ。
若い人ならバイトで10日も入れば生きていける。
意外と時間が余る。余った時間は好きなことをしよう、というわけだ。
それがお金になるかならないかは別として好きなことすればいい。うまくなくてもいい。成功するかどうかを気にしなくてもいい。ともかく余った時間は好きなことをする。やりたいことをやる。
そうやって自分のスケジュールを改めて見てみると、生きるために必要な労働の時間はそれほど長くない。なのにだいたいの人は8時間から12時間を会社で過ごしている。
なにしているの? というと、そこまでみっちり勤務時間中に働いている人は少ない。
もしその時間をみっちり働いていたとしても企業の活動を支える仕事の量としては、個人の量など大きな部分を担っていない。
数百人とかが関わって、ようやく株式会社ひとつ分の活動が担えているのだ。しかし、ほとんどの人が仕事は休めない。やらないと仕事が終わらないというような思いで働いているように見える。
私もそれに流されていた気がする。
ただ、この本で書かれているように、ひとりが生きるために必要な労働量を量ってみると、そんなことはないのだ。
時間は余っている。好きなことをする時間はある。
やるべきプロジェクトが見つからないなら、未来の自分の一日のスケジュールを模倣してみよう、ということもこの本は提示している。
作者は作家にもなりたかったので、朝は毎日何かを書くことにした。書きたいものは考えずに書いてみることにした。するといま現在で作者はかなりの数の本を出版している。
好きなことをやってみることで、なりたい自分になることができているのだ。いやまあ、そこまで単純な話ではないかもしれない。
でも、大なり小、なりたい自分になることは可能だとは思う。
それを阻んでいるのは時間の使い方だったりお金への考え方だったり、こうやって生きていかなくてはいけないというレッテルだろう。
それを「生きのびるための事務」によって取り払う、あるいは考え直す。
自分のやりたいことがうまくいくかいかないかを考えるよりも、現実問題として月十数万円もあれば生きていけるじゃん。あとは好きなことやろ。
と考えられることの大切さは、ほとんどの人が理解していない。
みんな、家や車などの本当に必要かどうかわからないものを買って、借金によって生活費を上げたり、会社で役職者になって、肩書はついたがなんだか生きにくくなってしまうなどの、よくある社会活動の枠組みをそのまま模倣してしまうことが多い。
要は何も考えていないだけなのかもしれない。動物的に生きている。
「生きのびるための事務」はそれをちゃんと考えましょう。と機会を与えてくれる術である。