ヤンクロフス機 a.k.a.UDE
ちょっとした読み物を集めたマガジンです。
食べ物日記(ネガティブ)
アルコールを飲まないアルコール依存症の小説
カレーを食べなかった人間のカレー研究
創作に関する戯言をまとめました。 中級者以上には多少タメになる内容だと思います。
月の初めにジンの瓶を5本とワインのボトルを3本、マンションのゴミ捨て場に持って行った。我ながら「終わっている」と思った。実際、僕の生活は終わりかけていた。 少し前に、キッチンの高さが合わないと言って、出て行ったきり、彼女は帰って来なくなった。それが原因かはわからないが、部屋を掃除した。ゴミを捨て、キッチンを油落としで磨いた。ずいぶん汚い使われ方をしていたんだな、とその時に気づいた。全く知らなかった彼女の一面を見てしまった気がした。もう、どうでもいい話だが。 そしたら、なぜかそ
Copilot が送信しました: なるほど、石丸構文の例をありがとうございます!それでは、石丸構文を使って家系ラーメンを注文してみますね。 店員「いらっしゃいませ、何にいたしますか?」 石丸「家系ラーメンで」 店員「麺の硬さはどうされますか?」 石丸「私、麺の硬さの話しました?」 店員「おすすめの硬めでよろしいですか?」 石丸「私、家系ラーメンって言いましたよね」 店員「だから改めて麺の硬さを聞いてるんですけど、どうされますか?」 石丸「同じ質問を今繰り返し
とても久しぶりに東浩紀さんの本を読んだ。 大昔、それこそ著者が気鋭の人文学者として世に出てきた時に、のちの代表作といわれるような本をいくつか読んだ。 我々の時代の人、という認識はあった。同世代ではないが、我々が青年の頃に著者もまた上昇していったので、そう思うところがあった。 と、それから時代を経て、ずいぶんご無沙汰になっていた。 というか彼自身、アカデミックな方にも、時代にもてはやされるような立場にも向かわず、サブカルチャーに近いところに身を潜めていたようなイメー
書店で気になっていた本があった。坂口恭平『生きのびるための事務』である。 本と言ってもコミックエッセイみたいなもので、全編漫画だ。なんとなく普通の漫画より読みにくい感じがして、最初に手に取った時は買うことはなかったのだが、別の日に書店に言った時に、手に取ると買ってみようという気になった。 理由は私自身が急に世間に放り出されてしまったからである。 この本は、会社組織に属さず、それでいて肩書もひとつではなく、様々なものを持っているせいで、何をやって生きているのか判然とし
小野瀬ゆきと二度目の面会のため、彼女が指定した居酒屋に行った。 彼女はまだ来ていなかったが、先に入るとメッセージを送り、僕は店の中に入った。 こういう場合、遅れてきた女性を待たずに入るのは良くないことなのか? と少し思った。 そういう状況になることが数年はなかったので、何が正しいのか、まったくわからなくなっていた。相手を喜ばせるために、嘘もやせ我慢もする。男と女は本音と建前をいつも隠しあう。それが必要なことだとは、いまの僕には思えない。 メッセージは既読がついていた
何度も何度も記憶を失うまで酒飲んで眠っている。 今週はほとんど毎晩のように記憶を失っている。 良くないことだとは理解しているが、飲むことによって得られるまやかしに浸りたいのだ。 『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』 ポール・ゴーギャンの代表作の題であるが、絵の素晴らしさよりもこの題の素晴らしさにいつも感嘆する。 そして、わたしに酒を飲ませるものの正体もこの言葉に隠れている。 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 我々はどこから来
どうしても我慢できないことがある。 俺は鬼退治に向かっている。理由は鬼たちの横暴が許せなかったからだ。当然だ。だが、そのためには仲間がいる。俺ひとりでは難しい。 祖母はなんでも吉備団子で解決できると考えているようで、俺に吉備団子を持って行けと渡してくれた。祖母は吉備団子と学校に持って行く雑巾だけは必ず俺に寄越してくれる。ところでどうして学校はあんなに雑巾を持ってこさせるのだろうか? しかし祖母の言うことは信じることにしておく。なぜなら彼女がいなければ、俺はあのまま川に
パパンが死んだ。パパンは父だ。 カミュの小説にそんな一節があったな、と思って、そんなことを口に出した。後で調べたら、正しくは「ママンが死んだ」だった。 ちょっと違う。 そんな言葉を口にしたのは、リアルにパパンが死んだからだ。 パパンは父だ。 それほど仲がいいわけではなかった。悪いわけでもない。 もう何年も離れて暮らしていた。コロナがあり、顔を合わす頻度も少なくなった。 それゆえになんとも言えない複雑な気持ちになる。 以前からうっすらとした存在が、するりと消えてなくなったとでも
朝ごはんといえばハムエッグだろう。違うという人もいるかもしれないが、わたしはそうだ。 で、ハムエッグを作った。卵焼き用のフライパンを温めて、卵を落とす。それとハム。インフレ、インフレだといわれているので、卵一個とハム一枚だ。ハム二枚にはしない。欲しがらないのだ、勝つまでは。誰に勝つとかは考えていない。そもそも物価が上昇し続けるのが資本主義なので、永遠にわたしが勝つことはない。 冷蔵庫の野菜を小鍋に放り込む。トマト、ブロッコリー、しめじ。水を足して煮る。あとで味噌を入れ
はじめに Netflixを契約しているんですが、なんか配信されている映画がビミョーというかどれも似たような映画だなーと思うことがあります。 特に最近のNetflix制作のアクション映画はどれも酷いですね。そもそもよく出ているイメージのあるライアン・ゴズリングとライアン・レイノルズは違いが判らないです。どっちがどっち? せめてハゲとかマッチョとかキャラをはっきりさせてほしいですね。ジェイソン・ステイサムはハゲでマッチョなので最強です。ニコラス・ケイジはハゲだったのにそうじゃ
コミックスのようなサイズ。表紙カバーはなくまっ白な紙のクロスの表紙。タイトルやロゴ、著者、出版社の名前が淡い空色で刻印されている。永井宏。『雲ができるまで』。信陽堂という聞いたこともない出版社。だが、本を手に取るとわかる。とても丁寧に作られた本だ。 永井宏は美術作家という肩書きを持ち、八〇年代には雑誌「BRUTUS」の編集にも関わっていた。二〇十一年に亡くなっている。 本書は三度目の復刊となるが、手がけた信陽堂の編集者も永井と仕事をし、その影響を受けた人物である。装
出発の日は二日酔いだった。たしかにワインを1本呑んだが、二日酔いになるほどではない。はずだった。しかし、バッチリ二日酔いのまま、新幹線に間に合うように家を出る。 最寄りの駅まで歩くのが面倒だったので、タクシーを拾う。私を見て、運転手は「帰省ですか」と尋ねてくる。 「ご両親も帰ってくるのを楽しみにしているでしょうね」 とかそんな話をした。マスクをしていたからわからなかったのかもしれないが、私はまあまあのおっさんだ。帰ってきて喜ぶようなものでもない気がする。 新幹線に
最近の、意識の高い食事では危険物とされているトースト。たまに食べたくなる。小麦が焼けた香りはとても最高。 そして、これまた天敵とされているバター。これも美味い。 さらに食品添加物の宝庫、加工肉ハム。美味くなるように調整されているのだから、不味いわけなかろう。 ハムエッグとトーストとそのままのトマト、ブラックコーヒー。舌が喜ぶのだから、体に悪いわけがなかろう。スムージーばっかり飲んでないで、こういうのも食べろよ、みんな。どうせあと10年したら、バターが体にいいとか言い出
いつの頃からか菜の花の料理を食べるようになった。食べるようになったのは、食べられるようになったのと殆ど同時だと思う。 普通に考えれば、美味いと思える要素はほとんどないのに、よく味噌汁にして食べる。 雑煮なんかに茹でたものを添えると風情が出る。 腹一杯食べたいかといえば、全くそんなことはないが。 たまに食べると季節や土の力を感じる。あと、自分が大人になったとも感じる。 二十歳の頃に酒が美味いと感じて、おっさんになったいまは菜の花が美味いと感じている。体にいいと思って
大阪には大阪のうどんというものがあるのだ。 まだ丸亀製麺や讃岐うどんに、うどんの概念を乗っ取られていなかった頃には、間違いなくあった。 いまだと中々ない。大阪にも少ない。検索したら、ほとんど讃岐うどんやそれらにインスパイヤされたうどんが出てくる。 違うんだよ。俺が求めてるのは、もっと意識が低いやつなんだよ! 麺がふやふやのやつだ。 という感じで、帰省した時は、無理してでもそういううどんを食べたりする。 なんでそんなしんどい思いをして、うどん如きを食べるのか。それもよくわからな
年末。クリスマスも終わって、完全に世間はラストスパート状態。 クリスマスでつけた勢いのまま、今年のゴールに雪崩れ込もうという魂胆が見え見えの浮ついた空気の街をわたしは歩く。 帰省やら何やらのために、PCR検査を受けて、国の優遇制度を使うべき時に使えるようにしておこうと思ったからである。 使う予定はいまのところない。 検査所では唾液をいっぱい出して、提出しろと言われて、ブースに通されたのだが、目の前には梅干しとレモンの絵が貼ってあった。 AIが絵を描くとか会話する時代だが、「梅