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【荘子】無人の船――人は何に対して腹を立てているのか?

以下は儒風大家(WeChat ID:rufengdajia)の「空船理論」の要約です。

(1)
『莊子』山木篇に次のようなエピソードがあります。

ある人が船に乗って川を渡ろうとしていたとき、向こうから一艘の船がやってきてこちらの船とぶつかりそうになった。その人は大声で何度も向こうの船の人に呼びかけたが反応がまるでない。そこでその人は向こうの船の人を大声で罵った。しかし向こうの船が近くまでやってきたら、船の上にはなんと誰も人が乗っておらず、「無人の船」であることがわかった。そこでその人の憤怒もすぐにおさまった。

ここから分かることは、ぶつかってきた船に「人が乗っていたか乗っていなかったか」によってその人の怒りが左右されているということです。

よくあることは、何か不愉快なことがあったとき「こんなことをする人がいるのか!」とあなたは相手に対して腹を立てているのであって、実は相手があなたに与えた損害(行為)だけに腹を立てているわけではないということです。

世の中にはいろいろなタイプの人がいます。もしどこかで変わり者(自分と異なるタイプの人)に出会って、あなたが腹を立てたのなら、それは自分で自分の首を絞めているようなものです。荘子は「物事の是非についてあれこれ議論せずに、世俗の人とともに生きる」と語っています。気に入らない人や事物が多ければ多くなるほど、その人の見識はより狭くなり、物事を捉える枠組みも小さくなるものです。

(2)
「無人の船」のエピソードは、われわれは多くの場合、他人を「無人の船」のように見なさなければならないことを教えてくれます。どうでもいいような人にあれこれ文句を言われたとき、なんとか仕返ししようと考えてはならないし、また精神的苦痛の中に溺れてしまってもいけません。その不快な出来事を「無人の船(の事件)」とみなし、あなたは無人の船にぶつけられただけで、誰かがあなたにぶつけようとして故意に船を漕いできているわけではないと考えるのです。

このように思考してこそ、憤怒や苦痛から抜け出すことができるし、傷ついた自分の心を再び癒すこともできます。また自分の視野を常に広げていくこともできるでしょう。

ドイツの哲学者・ショーペンハウアーも「他人の行為に対して怒るのは、われわれが進む道の前にある岩に対して腹を立てるのと同じように愚かなふるまいだ」と述べています。

(3)
「無人の船」とは、己を虚しくして世俗の人と共に生きていくことです。
荘子は「向こうから一艘の船がやってきて、その船頭が船をうまくコントロールできずに、あなたの船にぶつけたとしたらあなたはきっと怒るだろう。しかし、もしその船に人が誰も乗っておらず、『無人の船』が上流から漂ってきたとすれば、あなたは果たして腹を立てるだろうか?」と語っています。

そして荘子は「人は己を虚しくすることで世俗の人と共に生活することができる。そうすれば、いったい誰がその人を傷つけられるだろうか?」と結論づけています。

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