クソ暑い夏、墓守は「マイ・ブロークン・マリコ」 を読む
noteにログインせず、暑い夏を過ごした。
誰にも等しく暑い夏だったのではないか。
公式にクソ暑い夏といっていいはずだが、それでは愛がありすぎか。
「暑い」の上をいく言葉は、苦しいか、痛いか、生き難いか。
原色をぶちまけたよな青空に目を痛くして、人混みを避け、なけなしの夏休みは終わった。
次第に感染者数に驚かなくなった。
やめると決めたら支持率が急上昇し、次の候補者の好物がパンケーキだとかカレーだとか。
メディアに異常さが目立つのは暑さのせいか。
挙句、うちの車が古釘を踏んでパンクした。
エンジン音がうるさいすました車も、古釘一本で役立たずである。
レッカー車にしょっ引かれていく後ろ姿を見送って、ようやっと暑い夏が終わった気がする。
ただ、このクソ暑い夏にもいいことはあった。退職してさして残っていない金をつぎ込んで、せっせと漫画を読んだ。様々な作品の画力や創意工夫、作者や読者の熱意に魅了された。
隣にいる、誰かの人生を覗き見している気持ちで漫画に踊った夏だった。
なかでも、平庫ワカさんの「マイ・ブロークン・マリコ」のことを今も考えている。とても忘れがたい。
夏の思い出のような表紙
青い空に潤んだ厚塗りの筆で描かれた表紙。
夏の思い出が骨壺を抱いて、こちらを覗いている。
こっちもそっちをみるが、そっちもこっちを見ている。
八月はだれのそばにも死者がいて鋪道を歩む影を濃くする (東京都)柴崎加寿子
8/30の朝日歌壇に選ばれていた歌を思い出す。
そうか、この日差しのせいとか、夏空のせいとかで、影が濃かったわけではなかったのか。
「柄の悪い」彼女は主人公のシイノちゃん(ちなみに、ちゃんづけは私がしたいだけ)。顔に濃い影を作り、目を丸くして、あらよっと、こっちにタバコの灰を落とす。
で、どうよ?って聞かれている気がする。ボチボチだね、と答える。で、腕に抱かれた骨壺に、ありふれた言葉をかけたくなる。よかったね。よくないけど、よかった。
生きていたら、傷だらけのマリコによかったね、なんてとても言えないだろう。
死んだあとに誰かに充分抱かれたほうがよい、いのちもあるような気がする。もしかしたら皆ぎゅっと抱かれた方がいいのかもしれない。
シイノの怒号と勇気に震え、失われることに安堵する
「マイ・ブロークン・マリコ」、最初から、絵も文字もしぶきをあげていた。しぶきを上げて転んでいた。
とにかくシイノは大事なものを抱いてよくすっ転ぶ。
慌てん坊なんだろうか。どうやらタバコを吸ってる時だけ落ち着いているんだろう。
転んでは傷だらけだし、シイノの大事なものもかつて生きていた時、傷だらけであった。
世界の傷や痛みが重点的に一箇所に集まるようなことがありはしないか。どうしてそんなにもと思う。
でもわたしを含む誰もが解決する気はないのではないかと思える。声なき声はなかったことにする方が都合がいい。わたしだって行動を起こしていない。
シイノはとうとう叫びながら転がっていく。もうすでに大事なものは失われているのに。失われたからなのかもしれない。
作品に溢れる怒号と勇気に感じ入る。そして最初から最後まで大事なものが失われていることに対して、心から同意したい。言い古されたことだが、私たちは失わないと気づかないんだなあと、思う。
大事なものは壊れていて、跡形もない
大事なものはほとんど手元に残らないという実感がある。大事なものは、壊れ、失われることが確約されているようだ。
これまでの出会いも別れも、ただ悔いだけが残る。時を戻しても、同じバカなことが繰り返され、誠意を尽くせないことも分かっている。失われた今だからおもうこと。
失った友人・恋人・家族、失ったもの・場所・時間・言葉、形のないそれらを一つ一つ思い出している。
地域のごみ収集所には、さるすべりが咲いているのだが、ワレモノと書いて新聞紙に包んだそれを置きながら、その木陰で、わたしは思い出している。
それらは割れたり壊れたなにかの欠けらかで、跡形もない。
ここはどこだろう。玄関前のさるすべりはピンクの花を揺らしていて、朝には散った花がらを掃く。
ここはどこだろう。ソーシャルディスタンスの夏でなくても、誰も訪れない墓場である。跡形ないものを埋葬し、ワレモノ、コワレモノと墓碑を建て、弔う、その墓守がわたしだ。
その墓場は本当はわたしの墓場だろう。墓守が死ぬ時、墓場は閉園する。沈黙が、もう十二分な弔いだという気がする。
でもマリコはまだ早い。マリコにはシイノがいる。まだいていい気がする。シイノは墓守となって、夏空の下、マリコをいまもまだ弔ってるだろう。
いやあ、若い彼女らだ。墓場は案外、カラフルなパラソルを立てた海辺にあるかもしれない。ハワイなんかにあるかもしれない。シイノは何かを思いついて顎を外し、慌ててタバコの灰を砂に落とすだろう。マリコは気をつけてと笑い、時間はまだあるよと笑うだろう。
遠くで底抜けに続く笑い声に耳を澄まし、ひとけない場所で墓守をするのも悪くないと思えるような、一夏だった。
平庫ワカさんの「マイ・ブロークン・マリコ」紹介文より。
友達のマリコが死んだ。突然の死だった。
柄の悪いOLのシイノは、彼女の死を知りある行動を決意した。
女同士の魂の結びつきを描く、鮮烈なロマンシスストーリー!