鬱状態回復計画
いつか30日間ほど使って東京のすべての道を歩きたい。一緒に話しながら音楽を聴きながら、朝と昼と夜、それぞれの街の景色を一緒に見たい。歩くのに疲れたらお洒落なカフェで休憩して、雨が降る日はホテルにこもって本を読んで、たまにはシェアサイクルでズルをして、路傍の花や草木に目を向けて、レイトショーで映画を満喫して、眠たい顔でそこらの喫茶店でモーニングを食べて、井の頭公園で昼寝をしたい。東京の表層すべてを一緒に体験したい。
東京を伊能忠敬したい。
出身の福岡県も正直、博多と天神、太宰府、久留米、北九州くらいしか行ったことないかも。他県の人でもギリギリ分かる有名どころばかり。
もっと言えば福岡に住んでるけど一番南の街だからほとんど熊本。福岡市に行くより熊本市に行く方が早い。
博多の街を紹介してよ!って言われても出来ないかもしれない。博多よりも博多のそばにある天神の街の方が詳しいし。
福岡でもいいや。とりあえず福岡市のすべての道を歩いて、気に行ったお店や場所は全部メモをして、またいつでも行けるようにしたい。
公園も、映画館も、動植物園も、飲み屋街も、終電を過ぎた街も、朝5時まで空いてるカラオケ店も、お祭りが開催されてる神社も、住宅街も、高架下も、都市開発で誘導員が立ってる商店街も、すべてを味わいたい。
最高の1ヶ月間にしたい。
これができたら鬱状態もきっと晴れてると思う。 自然を受け止めて、適度に運動して、美味しいもの食べて、楽しいことを経験して。そしたらまた歩ける。
最もフィジカルで最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなものの正解は、実は徒歩。
どうでもいいけど、このセリフのせいで「プリミティブ」、原始的ってなんとなく言いにくくなった。言葉に制限がかかる、いつかの「クセ」と同じもやもや。
でもこんなに楽しかったら、あの時はあんなに楽しかったのに、って思い出して思い出しては鬱になりそう。現に、誰も一緒に行ってくれる人がいない現実に恐怖してる。高望みな夢を見ては絶望のターンを毎回、いろいろなパターンで繰り返してる。マッチポンプな鬱。
唯一の友達も、過酷!約30日間の全徒歩東京観光ツアーには興味は無いだろうな。半日で東京に飽きそう。いや〜もう東京堪能した〜。マクドナルドあるじゃん!食べようか。東京タワー特になんも感じないな〜。電車の中からもう見たよ。どこも似たようなもんだね〜。
なんかとても冷めてる時がある、友達のそういうところを信頼してる。だからこの計画に連れてはいけない。
もっと、ありきたりなものに歓喜したいし、その景色や経験は斜に構えず、純粋に感受したい。
例えば、九州で言えばゆめタウン、全国規模だとららぽーととかイオンモールみたいな。大型ショッピングモールの中身ってほぼ全部一緒なんだけど、どこも全部違う。その違いを楽しみたい。
別にもう全徒歩観光じゃなくても、その人の家の近くの小さい公園で、コンビニで買ったお酒とホットスナックを両手に話をするだけで充分。
お酒が無理なら炭酸で、炭酸が無理ならコーヒーで、コーヒーが無理ならお茶で、お茶が無理なら、もう思いつかないけど、その人の好きなもので。
風の温度、ベンチの質感、ブランコの軋み、雑草のはしゃぎ、空間の解放感のすべてを感受したい。
近所の人から訝しげな目で一瞥されても、その人とならなんとも思わない自信がある。お酒はさすがに問題あるか。
「月が綺麗ですね」という言葉がここぞとばかりに輝いて見える。一緒の物事を一緒に純粋経験する、その行為に愛があるみたいな。それが恋愛でも友愛でも自己愛でも、これがすべて。
この翻訳エピソードが嘘なことも含めて好き。