感性は頭打ちだし追加購入できないの辛い

感性は、自分が手の伸ばせるところにあるけど、それが自分に充足するものなのかは終始不明だから、寄る辺のなさは依然として曖昧に立っていて、かつ無形のものに願望を託していては自分の芯の部分が揺らぐし、そもそも見えないものが見えないことに怯えてしまってるのが悪い。手の届くところだけ、見えるものだけ見ていればいいのに。

それに自分が素敵だな、好きだなと思う感性って、自分の持ってないものだから永遠に届かない。惑星や衛星みたいな距離。それに手が届いたとして、どうせまた別の惑星を見つけてしまうから永遠にループしてしまうし。

あの月を綺麗と眺めるだけにして、あの月を目指そうなんてことは考えない方がよかった。



もういっそ。人生はやり直せないからSNSを全部やり直したい。どうやっても時間を巻き戻すことはできないからせめて時空を断絶して、また別の場所でスタートを切りたい。また別のキャラクターで、また別の関係性で。

これは多分消さないけど、別の名前で何かやるかも。でもキャラクターを変えられるほど器用じゃないから中身は全然変わらなそう。



「どんな嫌な奴も、たった一度、僕が目を瞑ってしまえば真っ黒な暗闇で押し潰し、殺すことができたらいいのに。」って導入の物語があればいいな。

こんなときは「殺す」を堂々と使って、「消す」とか「居なくならせる」とかに言い換えなくていい。まったく純粋な気持ちのまま、それを願っていてほしい。

それと片目をつぶっても見える世界は大して変わらなくて。ほんの少し遠近感を失うだけ。だから片目をつぶっても世界が半分にはならないのは、なんか不条理だけど、もしかしたら救いかもしれない。

情緒は安定してる。いたって冷静にこれを考えてるのが怖い。



頭が悪いのはもう半分諦めるように認めてるから。でも感性くらいは持っていたいな。ありきたりな悩みだけど、ありきたりなのは些細なことではないから。だから悩んでる。この1段、情報量が無さすぎる。

なんと言おうかな。5cmくらい宙に浮いて生活を眺めていたい。主観だけど客観。大きく背伸びをして、つま先立ちをしたときの目線くらいで毎日の暮らしを見つめられたらいいな。物理的にも精神的にも。あと5cm高くなれば見えてくるものは変わるはず。



これまでの人生が歪んだのはいつからだろう。商売の原理が生活に入り込んだから?なんか

社会全体が、資本主義社会のノウハウとして構築してきた経済合理性や等価交換性を、個人の人生にも適応させようと画策してるような様相をしている。

ビジネスゲームに参加させられてる気分。それに、あらゆる感情に価格が設定され始めたから、恋愛もセックスも自己実現も、通貨によって交換可能になっていて、道楽的な恋愛の価値基準が一般的な恋愛にまで持ち込まれてる。商売の原理が生活に入り込んでいるから生活や時間を換金したり換算したり。資本主義よりも商業主義の影響が大きい気がする。

推し活も応援や選挙のシステムに則った自己実現的な欲求の購買にすぎない、いわば投資やギャンブルの類いだと思う。

ノーマルレアの自分に100万円の投資するよりも、SSRの誰かに100万円を投資した方が、感情の費用対効果が大きいという状態だと思えてきた。自己責任性からの逃避だから他責思考にもなるし、それは自身の創造性の放棄であって体裁のいい思考放棄だと思う。

自分の感情や思考さえも勘定してもいいの? 感情を買い取りしてるような感覚。思考を切り売りしてるような感覚。いずれブックオフで感情が取り扱いされるようになるよ。

なんか難しそうな言葉を使えば、自分も読んだ人もねじ伏せられるかなぁと思ったけど駄目だった。簡単にまとめると、生きずらい。



でも感性だけはお金で買えないの辛い。本屋で平積みされてる自己啓発本を読めば、誰かと同じ人間になれるけど、それは寂しい。自分であり他人のような人間になってしまいそう。偏見でごめんなさい。


自分の感性というか、それが表れる自分の文章ってすごく固い印象がある。もっと柔らかくなりたい。もうちょっとだけ柔和な人。にゅうわ、って音からしてやわらかい。そうなりたい。曖昧だけど。

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