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雑記:心傷(こころやぶれ)

心傷、破れるような心の痛み、悲しみ。
いい言葉すぎる。

しんしょう、ではなく、こころやぶれ

この「心傷」という言葉は辞書にもネットにも正確な情報がなくて、Yahoo知恵袋には、誰かが適当に「心の傷」の「の」を省いて熟語っぽくした説と造語説、心的外傷を略した説、傷心を反対にした誤った言葉説があるらしい。幽霊文字みたい感じかな。

全然、信用もへったくれもないけど、「こころやぶれ」は言葉として美しすぎる。もう嘘でいいな。

でも仮に心傷が一般的になったとき、こころやぶれ、という読みが無くなっていきそうで怖い。「しんしょう」的とか、音読みが言語運用されて残るだろうな。そして、いつか遠く未来のQuizKnockが、こんな読みもあるんですよ、って高らかに早押しするんだろうな。

センスのいい誰かが作った言葉。



・最近noteで読んでる方の文章が、綺麗な言葉と言葉遣いと流れと、もう、清流?のようで、か弱い語彙力だから何と言えば分からないけど、清純な水がすたらたすたらた流れる渓谷のダイナミクス?春の芽吹きとともに流れでてくる雪解け水?

とにかく、綺麗な文章なので憧れる。その人の心が言葉に滲み出てしまってる。いつまでも穏やかな幸が続きますように!って勝手に額の前で手を合わせて目を閉じて読んでる。


・あいみょんの『夢追いベンガル』の歌詞が何回も何回も、頭の中ぐるぐるしてる。「セックスばっかのお前らなんかより愛情求め生きてきてんのに」、「エロも今はいらない」、「平成生まれのカリスマが溢れる世の中についてけない」、「ありったけの水をちょうだい」

別に今は恋愛したいわけじゃないけど。なんであんな非常識で、性格が悪くて、顔も良くない奴が、なんで恋愛できるのか分からない。

大学でも、どう考えてもセックスしか浮かばないカップルを見かける。遊園地とか公園、映画館、ライブハウスとか、そういうデートをしてる姿を想像できない。

あと、カップルが隣同士に座って女性のお尻の方に手を当てて話してるのを見るけど、あれ何? 男はどんな気持ちで触ってるのかも、女性もどんな気持ちで触られてるのかも分からない。あそこだけ異常空間になる。

この前、マクドで高校生カップルがそれをしてて、初めて「ね〜お願いだから死んで〜」ってストレートに思った。(ザ・パンチさんの漫才のつかみ)

恋愛は対等であるはずなのに、主従とまでは言わないけど上下関係が生まれてない?

そもそも恋愛以前の、人間関係ぜんぶ対等であるべきなのに。

そういう悪い奴らに、死んでくれとは思わないけど、ただこっちに近付かないで!って願う。悪い人は悪い人で、良い人は良い人で、別々の世界に生きて混じり合わないような世界になればいいのに。

誰よりも優しいあの娘が息を潜めて泣いています
街の噂で知ったんだ 
これがきっとこの世で一番の不条理

 爆弾の作り方/amazarashi



・自分の好きなバンドってみんな翳りがある。むしろ光が射せば影はできるものだから、音楽や言葉の下に影がないことの方がすごく不気味なことだと思う。

影がなければ立体感もなくて薄っぺらい。この世に存在しない幽霊のようなものだから人間味がない。そう思えば翳りというのは当たり前なのかな。

琴線を触れる光のような音楽や言葉は、翳りを伴ってないと光ではないかも。

翳りは、必ずしも鬱や後悔、心傷でもなくて。暗さでもないし実感や恥でもない。その黒色の正体は何だろうねってずっと考えてる

すこしポエミーになったけど、ずっと考えてる


・「君が端っこで泣かないように地球を丸くした」みたいな言葉、意外と好きかも。2ちゃんねるの言葉だったっけ? でも泣いてるときに聞いたら、ポエムは黙ってて!って手を突っぱねるかも。


この先、自死のことを書くので、あらかじめ



もしも仮に自分が自殺をするとき、遺書をしたためるのか、SNSアカウントを削除するのか、写真やアプリのデータを消去するのか。まったくもって無駄な想像だけど、暗い気分のときはしてしまう。

突然、というのが正解なんだろうとは思ってる。何も遺す言葉や、助けを求める声もなく突然死んでしまうだろうな。と考えては暗く暗く沈んでる。

 地元が一緒の同級生は、鬱病の不眠症で授業に来たり来なくなったりして、ある日突然、音信不通になった。亡くなってるわけじゃないとは思う。その人はパチスロが上手くて、何回か教えてもらったけど何回も負けた。今も、地元かどこかでパチンコでも打ってるのかも。


・あんまり鬱って言葉は使わない方がいいのかなって思えてきた。自分は診断から逃げるために病院には行ってないから正式な鬱病じゃない。日記に鬱の症状を詳らかに書くことはないけど、何もできない時間が日に2時間くらいあるから1日22時間の生活を送ってる。

それでも診断のもと鬱病ならびに気分障害である人たちの鬱と、自分の鬱を同じように扱ってはいけない気がしてきた。

自分に鬱がないことはない。何もできない時間があるし、不定期に食欲がないとか眠れないとか。あんまり詳しくはないけど判断材料であるうつ病エピソード?はある。でもちゃんと生活をしてる。休学も退学も、自殺未遂も、傷害も、異常行動もなく生活できてる。


暗い話はここで終わり。これから明るい話

・2017年のキングオブコントのにゃんこスターの「リズムなわとび大会」。あれを20回は見た。何も考えなくても面白いからおすすめ。アンゴラ村長のnoteも面白い。それだけ。

・洗面所で顔を洗うために下を向いていたら、その5分もないその時間で、外はまるで明るくなった。窓から青白い光が射して、部屋がすっかり明るくなった。スイッチを押したようにスパッと明るくなった空間に、気持ちが晴れ晴れとした。それだけ。

・今日は、幼稚園の子どもたちが、保育士さんの手と、みんなが繋がって歩くためのロープみたいなものを握りしめて20人くらいの列をつくってるのを見た。あひるの群れ。穢れのない悪魔。花のつぼみ。

多分、市営バスで福岡市動植物園に行くんだろうな、と思いながら、そっと眺めさせてもらった。

それだけなんだけど、今日はいい日寄りの一日になった。

言葉を知るというのは世界の解像度を上げることで、世界の色彩はぐっと増えて、これまでの生活がモノクロに思えてくるほど過去になる。今は、その感覚だけを求めてる。これからもそれを求め続けると思う。

言葉を知るきっかけになってくれたすべての人や音楽には、めっちゃありがとう!やね。それだけ。


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