悲しみ悲しみ
最近、なんとなく悲しみだけが、ただ漠然とある。寂しいとか虚しいに似てる悲しみ。全部が全部、悲しい。自分とか誰かが死ぬのは悲しいけど、生きてるのも悲しい。他人事のような気持ちだけど、悲しいものは悲しい。
楽しいとか嬉しいとか明るめの感情も、あらゆる感情が悲しいに変換されてる。楽しい気持ちの表情も、よく見りゃ口許が歪んでる。渇き切った笑顔で、おぼつかない顔をしてる。全部にせものだったのかな。誰かの模倣だったのかな。だとすれば悲しい。本を読んで笑顔を知ったような表情で、すこし悲しい。健気だけど、それは。
この悲哀は、冬季うつ、みたいなものなのかな。冬枯れした街路樹を、星と星を結んで星座をつくるように散歩して、哀と哀を結んで、何をつくって散布しようとしてんだろう。
友だちとか好きな人とか、その誰かの悲劇は自分の悲劇だけど、誰かの喜劇は自分の悲劇になるし、なんでもかんでも悲しい。
惣菜パンとかスナック菓子とか、コンビニ弁当とかを見ると悲しい気持ちになる。なぜか気持ち悪い。生命が集約された、存在を省略された余りに思える。メイドインアビスのミーティを初めて見たときの吐き気。あれに似てた。あれも悲しみなのかな。
地下鉄構内の白い天井で規則的に並び照らすライト、早朝 起き抜けの青天井に浮かび立つ明星とトワイライトとか、なんか悲しくない?
将来、犯罪者予備軍のような暮らしをしていて、犯罪を犯すほどの勇気も持てなかったからこんな暮らしなんだよ、って力説しても、その勇気の無さこそ溜まり溜まった暴走のエネルギーだと捉えられるだろうし、いつまでも不穏さを抱えて、異臭のように不穏を放ちながら、街を歩くしかないんだろうな。
恥に恥を重ねて、あぁだめかも思い出したくもない。過去だらけの過去が、やかましい。過去は過去で過去まみれで見てられないし、未来は未来で未来すぎて見てられないし、そのおそらく中間の現在は、もう直視できるほどの光じゃない。
のっぴきならない悲しみ。
明日から日記をちゃんと書く!勉強する!本読む!悲しむ!