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日記:本が読めない:2024.11.10

本が読めない。働いているからとかじゃなくて自分の読解力か、想像力か、なにかが問題発生して読めない。みんなどうやって本を読んでるんだろう。ただふつうに、「読む」しかないんだろうけど。

読めない理由は自分でもよく分かっていなくて。頭に入ってこない、とか、途中で分からなくなる、とか症状はいくつかあって。

「本が読めない」は言い過ぎかもしれない。読める本と読めない本がきれいに分かれている。読める本はゆっくりだけど読める。でも読めない本はゆっくり文字をなぞっても読めない。

例えば、登場人物の意図が理解できなかったり、知識がないから場面の想像ができなかったりすると途端に梯子を外される。急に、ぽーんと突き放されて落下するし、突如襲って来る孤独のような服装をした疎外感にぐらっとする。


本が遠い世界へ連れていってくれる。という感覚はあまり無いかもしれない。本が連れ行く世界は、自分の頭の中の世界とよく似た世界で、一種のパラレルワールドだと思う。

自分の頭の内側ないし想像の内側に引きこもっていて、外へ出られないんだろうな。インドア派で臆病な脳。

結局、想像できないものは創造できない。見たこともない街を頭の中に作り出すのは、かなりクリエティブな作業で、自分にとっては、水でコップをつくるような高度な技術。

街の隅々、街にある街灯の数や明るさ、街に落ちているゴミや命、街の上の空模様や色、そんな風に街の精巧なスケッチを書いてくれる丁寧な小説はあまりないし。

それらが書かれていない、ということは、自分で書ける、という余白や自由だけど、それを書くのが難しいから結局それは空白や不自由に成り果てる。

街の外へ出られないから本が読めない。


もしくは、自分は360pほどの解像度しか出力できない機械だから、1080pの高画質な動画も360pに下位変換されて映し出される。あるいは通信制限かかったときのYouTubeのような映像が、本の中の世界で、視界で、異界。

一度に両手で持てる文字の量が違うのかもね。

それに言葉が言葉以上の意味を持たない。数珠繋ぎの文字の連続、羅列、統率。言外にある風景は、ちょうどコンタクトレンズを着けていない状態の視界のまんまで、まして登場人物の表情が見えることはない。

言葉は言葉。でも言葉と目が合わない。言葉が葬列のように物悲しく下を向いて、あるいは信号待ちの歩道で前の言葉の足元をなにとなく見つめて、もしかすると言葉が視線を恐れているからか、とにかく言葉に目を逸らされる。そんな感じ。

ある意味では綱渡りのような視界で、左足と右足を交互に直列して載せるロープしか見えてない。文字をなぞるように直線を引く作業かも。そうなら、そうやって自分が下を向いているから目が合わないという可能性が出てきた。きっとそう。



自分の文章は、詩的と言うほど上等なものではないけど、すごく感覚的なのかなって思う。いい意味で抽象的、悪い意味でも抽象的。埃や煙みたいに手で払えば消える。掴みどころのなさは決して幻想ではなく、空虚だから。

何かが抜けた文章。それが間だったら滑稽すぎて、もう合わせる顔がないけどね。


なんとなく日記を読み返したとき、自分は何を言ってたんだろう?って分からないときがある。確かに自分の頭の中にあった言葉だから分かるんだけど、何を言ってんだ、と率直な感想になる。

ページをめくる触感や、ふと考えて休符を打つ瞬間もない。あるのは、知らない言語を見たときのような文字の羅列感と、もう知ってる小話を見たときのような文字の既視感。とりあえず文才が欲しい。


オモコロのみくのしんさんの「本が読めない」とも違う気がするもんな。申し訳ないけど実は、みくのしんさんの山月記を読む記事もぜんぶ読めなかった。でも、読点まで息を止めて一文一文を読んでるって感覚は分かるなと思う。漢字まみれの濁流を泳いで渡るのは、相当つらいし苦しいよね、とか思う。

誰か本の読み方を教えて!

本が読めるよ、って人、本当にすごい。


日記

・昨日は祖父の三回忌だったから和室の隅で小さく座ってた。親戚の子どもは皆3,4歳で、両親のそばから離れないから子どもの相手をするでもなく、他の親戚は子どもの磁場に吸い込まれているから、遠く離れた大学生の磁場とは干渉しえない。

親戚の間でも孤立してしまってた。学生は自分一人だけで、中学生も高校生もいない。いちばん歳が近い人とも7つくらい違うし、お子さんを連れているから自分と話すことはない。お茶やお茶菓子を準備したりして、お坊さんが来るまでの時間を潰してた。

別に会話に入りたいわけじゃないけど、なんか嫌だなぁ、と思う。そして、一人で窓辺に座って遠くからわいわいとした親戚の姿を眺めているおじさんが、どの親戚集団にも一人はいると思う。

自分、あのおじさんになった。

お焼香の煙が、照明器具のすぐ下の空に横たわっていて、そこに人影を見た気がした。はらひら、はらひらと、はしゃいでいるような動きだったから、あの祖父ではないと思う。正体こそ知らないけど楽しそうならそれでいいかな。

まだ3歳だから落ち着きのない甥っ子の見守りをするため、お坊さんが読経している間は、部屋の後ろの方に座って、そこからその空間を見てた。

生垣のように真っ黒い背中が並んでいて、そこに、ぽつぽつと白く肌が浮かんでた。うなじや頭皮が、ぼやけるように丸く白んで浮かんでいて、白い椿の花のような綺麗ではないけど、三回忌という黒い空間においてはなんとも言えない綺麗さがあって不思議だった。一歩、それに近づけば不気味に様変わるような綺麗さ。

それだけの話。説明が難しいから伝わってないだろうなって思ってる。伝わってたら嬉しい。



・自分も創作をすれば上達するかな。小説でも俳句でも短歌でも。書くのも読むのも。

誰でも一度は小説家になることを夢に見たよねと思う。それはつまらない授業の合間の考えごとで浮かんだ夢かもしれないし、恐ろしく好きな小説を読んだあとに思う、決心によく似た夢かもしれない。みんなの夢の大小や顔つきは知らないけどね。

自分もいつか、言葉を並べて積んで重ねて、知らない街を書いてみたいって思えてきた。



・今思いついた短歌。なぜか春。57577
 春、木漏れ
 タオルケットが
 編み物に
 荒い光りと細かい光り

これから勉強するから、これから良くなるはず。


今日は終わり

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