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072 「上手くボーッとする」のが好き <下>

(↓前回からの続きです)

『デフォルトモードネットワークに おまかせ!(notアッコ)』(後編)

3.
 “ダラダラすること自体”はこれで肯定できたのだが、その「ダラダラの仕方」についてどうもしっくり来ない時がある。
 25歳まであんなにダラダラしていたのに、”ダラダラは敵”期を経て、ダラダラに立ち返り、いざダラダラしようとした時に「どうやったらいい感じにダラダラ出来るか?」と自問するようになった。

 「ダラダラするだけなんだから好きにダラダラしたらいいじゃん」と思っていたが、脳はキャパシティの90%を視覚情報の整理で使っているため、視覚情報に頼った娯楽は、脳に負担がかかってあまりダラダラの効果がないということを知った。

 となると、ラジオや音楽を聞いたりして、ただただボーッとしているのがいいが、それが上手く出来ない。
 寝たくもないのに眠ってしまったり、手持ち無沙汰になって、youtubeで大好きな昔のCM動画を見たり、まとめサイトを見たり、Twitterを見たりしてしまう。

「めちゃくちゃ雄大な自然とかが常に目の前に広がっていれば良いのに。そしたら勝手にボーッとするのに」と思うがそれも都内の家では難しい。
最終的には「ブレードランナー2049の免疫不全の博士が入ってた、ガラス張りのバーチャル自然室みたいのがあればいいのに」とフィクションに思いを馳せることもしばしばだ。

 何より、視覚系の娯楽を見ているときに「これじゃデフォルトモードネットワークの効果が薄まってしまうかもしれない…」と考えている時点で、考えることから離れられていないし上手くボーッと出来ていない証拠である。
ボーッとすることに対しても、”時間の貧乏性”を遺憾なく発揮してしまっている。心の中に居る時間のキングボンビーを、上手くミニボンビーぐらいにしたい。

4.
 そこから「何も考えず上手くボーッとする」訓練が必要と考えた。
「上手くボーッとする」って「トムとジェリー 仲良くけんかしな」的な矛盾を感じるのだが、実際これ以外に表現の仕様がない。

 以前から、上手くボーッとするのは意外と難しいなと感じていた。

 例えば、大好きなラジオ番組のスペシャルウィークで「今日は絶対面白い回だから生で聞こう」と思ったときは、ラジコをセットして10分前ぐらいからスタンバイしている。
いざ生放送が始まって、オープニングトークは集中して聞いて笑っているけど、徐々に散漫になってきて、結局手持ち無沙汰にSNSとかをやってしまって、面白いくだりを聞き逃すという経験が何度もある。愚の骨頂である。

 それを防ぐため、「手持ち無沙汰対策・ボーッとする用のアイテム」として、やり飽きたパワプロをやったり、
“タップしたらボールがジャンプするから、色を変えたりしながら落ちないようにゴールにたどり着く”みたいな、ちっとも面白くないスマホゲームとかに行き着く訳である。
これはこれで「別にやりたくもないのになあ…」と思いながらやっている。

 結局こういうものに頼らなくても、”集中してボーッとして”、ラジオだけを聞いていられればそれでいいのである。
 ボーッとしたいときに、上手くボーッと出来れば、目の前の対象物だけに集中できて、その対象物と一体となって、対象物から受ける印象がより色濃くなるはず…と考えている時点で、「何も考えず上手くボーッとする」ことから離れているかもしれない。
無駄に思弁的な性格が難儀である。

5.
 最近は、仏教のにわか勉強から「座禅・瞑想」を覚えて、見よう見まねでやっている。

 瞑想は、坐っている最中、決められた中心対象に意識を集中してそこから逸れないようにする練習である。(ヴィパッサナー瞑想の場合)
 毎日5分でも3分でも坐ると、その間は人間活動を意図的に停止させ、「自分の筋肉がこわばってるな~」とか、「意外と色んな音が聞こえているな~」とか気づくことが出来て、体がリラックスしたり、必要ない情報をシャットダウンする気持ちよさを体感したり出来て楽しい。
マインドフルネスとして取り入れている人が増えていることも納得できる。

 そもそも瞑想は、仏教哲学をもっと理解したいということから始めていて、上手くボーッとする訓練として始めたわけではないのだが、
瞑想が上手く出来れば、中心対象に返ってくることも、必要のない情報を遮断することも自在に出来るようになるだろうから、
最終的には「ボーっとしたい時に上手くボーッと出来るのではないか、ラジオも集中して聞けるのではないか」と思った。

 上手くボーッと出来れば、デフォルトモードネットワークが上手く機能して、脳も疲れず記憶も定着し、アイデアも熟成されるだろう。
結局「効率よく学ぶために、瞑想を訓練して、応用して、何も考えず上手くボーッと出来ればなあ」という、当初からすれば想像もつかない結論にたどり着いたとことがまた面白かった。こういう結び付きがあるから、これからも色々なことに手を出すのを辞められそうにない。

 更に言えば、25歳までのダラダラ過ごしていた時間も、膨大なデフォルトモードネットワークだと考えれば悪くないし、肯定できるかもと思った。
「最近になって、25年間がやっと頭の中で整理出来た!」ということかもしれない。

 今ボーッとこの文章を読んでいるあなたも、頭の中でデフォルトモードネットワークが働いていると思えば悪くない。
この後もっとボーッとして、ただただ壁を見つめながらパルムを食べることで、何かひらめくかもしれないので、パルムを買いに行ってどうぞ。

<完>

うれしいです。