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SNSで数字を追わないのは甘えだと思っていた

私がプライベートではなく公開のSNSを始めたのは、2022年の3月のちょうど夫とふたりで海外生活を始めたころ。

始めた時はもちろん0からのスタート
やっぱり最初はとにかくフォロワーが欲しいなと思って、伸びているアカウントを真似したり情報をメインに発信したり

「誰が」とういうよりは「求められていること」を探っていた 

特にYouTubeは収益化して収入源の1つにしたかったから、登録者数を増やすことにコミットして作っていた。

だから変なプライドというか固定概念があったのだと思う

SNSをやる目的はひとそれぞれで正解などないのに、その時の私は

「自分らしい発信ができればいいから」とか
「好きなことを好きに上げたいだけだから」とか

『自分は数字にコミットしてないから』みたいな発言は、言い訳や甘えなのではないかな?と思ってしまっていた

今覚えば、そういう人は私なんかより
うんーーと先を見ていたのかもしれないなと思って、そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなる

どんなにフォロワーがいても質が良くなければ意味ないし、たとえフォロワーが1000人でもエンゲージメントの高い「ファン」がついているアカウントは強いということをわかっていなかった

私は自分に自信がなくて
なるべく自分を出さないようにしていたから

今ならわかる、それじゃまるで
誰にでもできちゃう
誰にもいいじゃんって

これって私はやることに意味があるのかな?と
どこかで壁にあたることは確実で。

そんななかで、本当に少し少しずつだけど
私『自身』に興味をもってくれるフォロワーさんが増えてきて

『私』を前に出すことを求めてくれる人もいるんだと

私には何ができるだろう

私がとあゆる彼女の言葉や写真、優しさやおちゃめさ思いやりやに支えられたように

私を応援してくれたり、私に共感してくれる人に
少しでも人生を楽しくするきっかけや糧になることを
共有していけたらなと今は思う。

もちろん、私はSNSによって目的が違うから
すべてのSNSで数字を追わないわけにはいかないしやっぱり追いたいこともある

それはそれでやりたいんだからやっていこう
自分の『やりたい』に耳を傾けてあげたいな

でも不思議な気持ちになる
自分がフォロワー数を増やすのは目的じゃない
『私』を発信するようになるとは、当初は考えもしなかったな

何者になりたいわけじゃなくてむしろ
何者にもなりたくなかったはずなのに

継続していた何かが変化して自然とポツンと
そこのポジションだよと教えてくれる気がする

そして、noteはまだまだ模索中だから
こういう想いを綴ったり、旅ブログみたいになるかもしれないし
タイ生活の発信になるかもしれないし可能性は無限大

いつか本を出したいという目標が
ポンッとあらわれたから色々試そうと思うのです

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