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義理という言葉を考る。       

せんぎ-こうり【先義後利】

道義を優先させ、利益を後回しにすること。▽「義」は人として当然あるべき道の意。「利」は利益のこと。「義を先にして利を後にす」と訓読する。

義とは、人の正しい行い、利は利益の事。孟子の言葉である。

さて、いきなり身もふたもない事を言うが、お金を稼ぐという事は実はそんなに難しくない。

犯罪、若しくはグレーかブラックな事をすれば、誰でもお金は儲けれる。犯罪はバレなければお金だけの事を考えれば儲かる。

次に犯罪ではないけれど、不義理不人情に徹するとお金は儲かる。

例えばお金を貸りて返さなければ、そのお金は一応は利益であるので儲かる。時効が来れば晴れて、このお金は法的に請求されない。

例えば知人や友人が大金持ちで、一千万円を借りて返さなければ、一千万そのままが利益ではある。但し気付くと友人どころか人は離れ、報いが必ずくる。

それ以前にこの時点で、相手はその人を友達とは思ってくれない。

東洋哲学ではまず義を優先し、その後に利がついて来なければならぬ、とある。

いくらお金を持ったり立場や地位が上がっても、その人の行動を人は見るので、こう言う行為でお金を持っても偉くない、と唱える。

更に踏み込めんだら、行動より人はその人の心を見る。だからそういう人はろくなものではない、とも教える。

私が裸一貫からここまで来たのは、曲がりなりにも友達には迷惑をかけず生きてきたので、この教えは正しいとよく理解出来る。

この様な勉強をする人の多くの動機は、更に義を知ろうとするからだと思う。徳についてもそうだが勉強すればする程難しい。

難しいが明快である。

難しいからやらない、もう出来上がってるからやらない、という人は、それ以上の人間にならない。最近こう、理屈で分かってきた。

私は「泣かぬなら焼いて食べようホトトギス」型タイプだった。
義を大切にする人にはいいが、それに反した者には容赦なかった。

しかし学問を今更ながら学ぶと、最近、義より利が先に行く人に、怒りや憎悪が消え、哀れと感じ、同じ土俵に立たない様になった。

何故なら、殆どの人は他人の言う事に耳を傾けない。

行動を見ると心が読めるのは昔から得意だったが、その後の対応は、かの様に変化し出した。

人の言う事を聞かぬ人とは、上手に距離を取る。距離を取るとボクシングと同じで、相手がよく見える。

そうすると、如何に教えても無駄かがよく分かる。

そして憎悪や憎しみも消え、自分がどう立ち振る舞えばベストか、今まで分からなかった事も、教養を得る事で少しずつだが分かる。

だから勉強は、毎夜寝る前におさおさ怠らない。
時間がないとか、忙しいという人に、忙しい人は居ない。

忙しいと男が口に出すな、と教育をろくにしない親父から唯一叩き込まれた。男は死後がない事が不幸で人から頼られぬ事だと。

さて。ではなんのために勉強するか。ここが大切である。

私の場合、選手と友人、若い従業員に子供達。彼らの悩みや質問に、議を優先した答えを、分かり易く用意しなければならない、というのが動悸とモチベーションである。

私の経験だが、18歳を過ぎると治す事が難しい。

誰のために何のためにこんな勉強をするかと言うと、一番は子供の教育であるが、自分を常にチェックする事も動機の一つである。

写真にあるモハメドアリは、晩年世界チャンピオン獲得時のトロフィーを自宅で盗まれた。このトロフィーは町の質屋で発見された。

盗んだのは、アリの親友で昔からの幼馴染であった。

側近は「アリ。だから言っただろう。あいつとは付き合うな」。
そう言った。

アリは「俺にはもう必要のないトロフィーだが、あいつにはトロフィーをお金にしないといけない事情があるんだよ」。
そう言って、彼を責めなかった。

義や徳というのは、こういう人を言う。
手放す事から始めろと言うが、とても言えることではない事を、アリは真顔で言った。

アリは、唯一残された家のトロフィーより、自分が大切な友を取った。結果アリは破産するのだが、アリから人は離れなかった。

おまけにアリは誰をも恨まなかった。

アリの有名なエピソードで、オリンピックの金メダルを川に捨てたとあるが、これは嘘である。
この点は、いくつかの証言から推察すると、事実である。

ここから、ある仮説を立てた。

アリは上記の幼馴染が、この時も金メダルを売り飛ばした。だから仕方なく川に捨てた事にしたのではないか?

もしこの仮説が外れてたとしても、やはりアリが偉大である事に議論の余地はない。

彼が死ぬまで「神様に最も近づいた男」と言われた所以は、数え上げればキリがない。

晩年のアリは利をも投げだし、義のみで生きた結果、カリスマとなった。

中国の教えと、アメリカのモハメド・アリ。
この2つから学ぶ事は無限である。

問題はこんな思考を、休みの日でも楽しく考える事が出来る自分なぞ、一生来ないと思っていた。

これは教え子のおかげである。こういう事を常に頭に入れ、教育に生かしたい。

今進めているプロジェクトも、そろそろ動き出す。如何にこのような事を広め子供達が正しい義を持ち、正しく素敵な利を掴むか。

その為には、私が利を持たねばならない。いくら綺麗事を言ってもお金が無ければ何も出来ない。お金はそのツールである。

問題はそのお金が、義が利を優先して得た物でないと、真の教育は出来ぬ。

幼少期が一番、家庭や学校で自分がどう見られてるか、子供が大人を見て感じるときである。

常に勉強し、我が身を省みて成長していく事が、ビジネスにもボクシングにも教育にも、同じ様に必要である。

人は一ミリづつでも成長しなければならぬ。
何故ならその為にこの世に生かされてるのだから。

大人が子供に敬を持たれなくなる。そんな社会であってはならない。

宜しければサポートお願い致します。正しい教育活動に使います。今後とも宜しくお願い致します。