障がい者と子供とお年寄り。街を大切にする北九州を造るには。
【北九州がどうすればいい街になるか?】
この手の問いに、ITやIRから始まり、内需拡大や老人対策等を、難しい理論構成で皆さん仰るのを読む事が多い。
他の成功例を引っ張ってきて、そこに相対する意見が出て、ぶつかる。
私の様な頭の悪い者は、どれが正しいかよく分からないので、読んで考え、勉強すると為になる。
老人福祉や障がい者。女性に対する性犯罪。
こう言う問題をどうすればいいか。
文武両道という言葉があるが、昔はこれを教え、20歳になると人間性に体格共に、立派な成人になっていたと読んだ。
YANAGIHARAジムと、NPO法人YANAGIHARAホールディングスは、ボクシングと共に小学生のコースを設け、重視している。
即ち小学生を初級・中級・上級コースに分け、ボクシングの練習後に儒教を取り入れたお勉強を行う。
因みに、昨日はお金で変えないとものや、友情の重要性を教えた。
こうした環境をバックボーンにし、15歳以上は任意で町の防犯パトロールを行う。
北九州市役所の安全・安心課や、スポーツ振興課、福祉課等の方達にもご指導頂き、行政と意見交換を行う事もある。
先日、こうした防犯パトロール一年目を迎え、選手や子供に教える因果応報を、彼らは実体験で感じる事となった。
報告によると、昨夜の繁華街での清掃パトロール中。
30代後半と思しき、身なりの良い社長さんの様な方が「いつもありがとう」と言い一万円を下さった、と報告を受けた。
「皆さんでお食事を」と言わました、と報告を受け「この一万円はどうすればいいですか?」と聞く。
「俺の小遣いに決まってるだろ、馬鹿野郎!」。
そう言わず「ご厚意だからみんなで食事をする様に」と答えた私は、誰が何と言おうと偉いと思う(笑)。
因みに、美味しい蕎麦を皆で食べたそうだが、この一万円はなんと言おうと、どんな大金より重みがある。
昨日食べたお蕎麦は、お金で買えない蕎麦だと思う。
北九州は人情の街だ。
こう言う経験は、本来お金を払って行うものだが、お金を頂いた彼らは幸福で、どんな美辞麗句を並べるより素晴らしい経験である。
防犯パトロールは、何かあれば危険なので、いつも武道家とプロボクサーが先頭に、若いボクシング練習生と集団で行う。
彼らは今後、こういう経験を経て、道でお年寄りや障がいのある方を見れば、黙って手を差し伸べ、一緒に横断歩道を渡ると思う。
性犯罪を見て、黙って見過ごしたりしないと思う。
私の狙いはここにある。
老人福祉だ女性の性犯罪防止だと、いくら国がお金をかけても、つまるところ人間のやる事は、その人間の意識が大切だ。
彼ら彼女らは、昨日大きな勉強をした。
彼らがこうして育ち、将来社会に出て、お金に余裕があれば先述の方の様に、名前も言わず志を差し出す様になればいい。
教育とは、口で教え背中で教え、やらせて継続させる。
因果応報というのは必ず起きる。
こうした意味を教え、実行し、お金が無くてもやれる事をやらせて行きたい。
北九州がどうすればいい街になるか?
利他的な行動こそが、地味であるが必要と思い、唱えて継続してきた。
己の信ずる信念を貫けば、必ず道は開ける。
この様な行為が「今一番住みたい街北九州」を、更にいい街にし、他の都市が良い所を模倣してくれれば、日本が綺麗な国になる。
私はテレビのワイドショーを見ず、儒教や安岡正篤先生の本ばかり読む。事実しか見ない。
事実しか信ず、事実しか子供に教えない。
昨日起きた出来事は、事実である。
やれる事はいくらでもある。
論じるのは非常に良いことだ。
そうして決めた事を実行し、継続する事はなお良い。
こうした小さな維新は力がいる。
徳はやがて功になる。
この功こそが、正しい力であらねばならんと思う。