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漫画編集者による意味のよくわからない言葉から漫画の本質に近づいてみようのコーナー2

もっと情熱的なコマ割りを

と編集者に言われた学生がいた。
「なんでしょう、これ」
と訊かれたが、知りませんがな。言った本人に訊いて下さいよ。

というのは、大人の正論だ。長く社会人をやってたら「傷つけられたら牙を剥け」ってどっかで心得てくるものだからだ。
しかし、二十歳くらいの学生が自分より年上の社会人に、むきだしの個人が会社人に質問できるかっていったら、それは難しい。

じゃあどうしましょう?

編集者が訳のわからない要求をしてくるのは前の項でも書いた。こう言う変な…というか曖昧な要求をしてくるケースは本当にたくさんある。
訊くに訊けない漫画家が「情熱的なコマ割りってなに?」ってグルグル煩悶したあげく、なんとか作る。それを見た編集者が渋い顔をしながら
「そうじゃないよ、もっとこう……『○○の○○』みたいな感じで。
え?『○○の○○』を読んでない?
ダメだよ、漫画家になりたいなら読まなきゃ」
と突き返してくる。編集者本人は『○○の○○』=情熱的なコマ割りと思っているようだが、そもそも「情熱的なコマ割り」がわからない上に『○○の○○』を好きでも何でもない……という場合はどうすれば良いんだろう?
仕方ないから『○○の○○』を読んで(好きでもないのに)、アアダコウダと考えたモノを作って持っていくと……と繰り返したあげくに
「いやぁ、もうちょっと描けると思ったんだけどねえ」
って、終了。
これはもうハラスメントである。
ある程度発言力を漫画家が持つようになると、担当の編集者を替えることもできるけど、新人にはまずもって無理です。こういう流れになっちゃったら、さっさと鞍替えするのが一番良いとは思う。編集者との出会いは本当に運だ。

では情熱的なコマ割りを

それでも「編集者の言葉には何らかの意味はある」という前提で一応考えていこう。
「情熱的なコマ割り」が曖昧でつかみ所がない言葉だと思ったときは、反対から眺めてみるのも一つの手だ。
情熱的ではないコマ割り。
これなら何を考えるだろう? 淡々としてやる気のないコマ割り。平々凡々として起伏のないコマ割り……などの言葉が思いつくのではないかしら?
これらをさらに言い換えると「読者がカロリーを消費しないコマ割り」だ。
と言うことは…
情熱的なコマ割り=読者がカロリーを消費するコマ割り
となる。
「漫画読んでカロリーが消費する?」と思うかも知れないけど、消費します。漫画の情報処理に脳みそがカロリーを消費するのである。
ってことは
情熱的なコマ割り=脳みそに負荷のかかるコマ割り
なのです。
なんかすげえ結論に至りましたが?

実際どうか?


『チェンソーマン』第130話より


上の絵は脳みそに負荷のかかる絵かどうか? たぶんかかるでしょう。いくつもの場面が重なり、画面外から触手みたいのがねじ込まれてきたり、オノマトペがあちこち貼り込まれたり、細かい描線、スピード線もてんこ盛り。読んでる側は大忙しである。
ではこれはどうか?

『アトム大使』手塚治虫 1951より

就寝中に押し入って来た人に狙撃されるという緊迫した内容ながら、脳みそに負荷のかかる画面にはなってないのがわかると思う。
そしてこの二つを比べてどちらを情熱的とするか?と訊かれたら
大概は上を選ぶだろう。

ってことでこの稿続く。


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