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フリーランスCADオペレーター、建物とインテリアと洋服とくに古着が好きです。 #旅と写真と文章と クルー

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最近の記事

物質と記憶の保存計画

全体的に物質の保存量の限界を迎えている自室に、そろそろ、そろそろ向き合わなくては・・・と思い立ち、おとといあたりから本腰入れて、少しずつ取捨選択をしている。 特に多いのは圧倒的に本。ついで服、差をあけてCDだろうか。 厳密には服の物量の方が多いかもしれないけれど、本があふれかえっているのでまあ、本だろう。 実はもともとはものが少ない方だった。というのも10年前までは2、3年に一度引っ越しをしていたからだ。なので小・中・高校のものはほとんどない。高校は専門課程だったので必要

    • ささやかな面白み

      人生の楽しみ方は人ぞれぞれだけれど、お手軽に楽しいことを発見できるのはなかなかにお得なことだなと思う。 私は髪の毛の色をいろいろと変えるのが好きだ。時に、のちに形も残らなければましてや足しにもならんのに、私は年にいくらつぎ込んでいるのやら・・・。とふと正気に返ったような気持ちになったりもするのだけれど、美容室にいって、カラーチャートなんかを見ながら、自分の髪の毛にこの色入れたらどうなるんだろうと想像して、相談して、乾かしてもらって現れる、自分の髪の毛が綺麗な色に変わった姿を

      • 自分の認知をいかに認知できるか

        この方のツイートを見て、ああ本当にそうですよね。と思って深く頷いた。 人間の思考は自分がその時認知している事柄で基本は思考が構成されていると思うのだけど、厄介なことに、認知してない事柄を認知できていないから認知できていないと気がつけないのだ。 この方は知らずのうちに成果主義の思考に偏っていたことや、それを基準に必要不必要を判断してしまっていた事が恥ずかしいと続けて投稿されているのだけれど、そのことに気がつけた人がどれだけいるだろうかと思うととても聡明な人だなと感じた。

        • 狙いを定めて

          (あー、またやってしまった。) 昨日のnoteの更新時間、「あ!」と気がついてボタンを押して更新された画面を確認すると表示されたのは『2020/10/09 00:00』 noteがブラウザから連続更新をしていると褒めてくれるのは、23:59まで。残念ながら連続更新にはカウントされていないと思う。 なぜ「と思う」なのかといえば昨日寝ぼけながら書いていたのはスマートフォンのアプリ版から投稿したからでアプリ版には連続更新を教えてくれる昨日はいないからだ。 でも、やってしまった。

          電池切れ

          急激に冷え込んだ一日、体を縮こまらせながらも久々に朝から晩まで自分内で、作業に必要なものフル装備の状態でうろちょろしていた。なんていうと各所から怒られそうだが、ずっしりとしたカバンの重たさに今までの自分の筋力を褒めたくなった。これはひとまず筋トレが急務だ。という実感を持ったと、いつの間にかしていたうたた寝からなんとか目覚めた頭で思う。今日は電池切れ。

          電池切れ

          ごきゃごきゃ!っと今まで聞いたことのない音を耳より遥か内側で聞いた。 ほんの一瞬の出来事だったのだ。瞬きしたかしていないかくらい。頭部の左右に手を置いて、なんだかよく分からないけれどクルッと捻られたのだと思う。しかし音の激しさの割に痛みはない。 「はい、次は横向きましょうかー。右側が下になるように。はい、それで大丈夫です。」 あれよあれよと言う間に、体の各所の骨がゴキゴキバキバキと慣らされていく。言われるがままに姿勢を変えては間髪なしに進行していくので、もはや自分の体がど

          金木犀

          明日の午後から関東では台風の影響が出て天気が崩れるらしい。 めずらしくいつもより少しだけ早く目覚めた今日は、明日以降の天気をスマホでちらりと確認して、夏用のタオルケットを洗濯機に放り込んだ。 数日前からだましだまし眠りについていたけれど、さすがに台風で晴れない日も続いたら、一夏お世話になったタオルケットもお役御免であろう。 庭先で香っている金木犀を感じながら、ふかふかになったタオルケットを取り込んで、綺麗にたたんだら、押入れにそっとしまいこみ、場所を交代するように毛布を

          金木犀

          やわらかな多面体

          ある日、仲良くしていた子が突然、同じ席に着くと口数が極端に減るようになってしまった。私が席をはずすと普通に話をするらしいということで、私はその数人のグループを離れていろいろな人の席を渡り鳥することにした。 気心の知れた数人で固まりがちな交友関係から、いざ離れてみるといろいろな人と話す機会が生まれる。当初は進学したらいろいろな人と交流しないともったいないなと思っていた分これはこれで悪くないのかもと思っていた。 数年経ち、そうやってすれ違っていた友人とも卒業間際には二人でご飯

          やわらかな多面体

          日曜日の油断

          友達のフードトラックのオープンが近づいてる。 あれやこれやと忙しなくも楽しそうにやっているのは話を聞いているこちらもなんとも楽しい。相談を聞いたり、そういうのあるよねえなんて話をしていたら夢中になってすっかりこんな時間。今日はこれにて閉店。 明日からはまた更新頑張ろう。

          日曜日の油断

          七五三の三

          今日は姪の七五三のお参りの日だった。 新型コロナウィルスの影響で着付けなどを見守れるのは姉夫婦だけ、数時間着物を貸し出してもらえるのでその間に孫の晴れ姿を見に祖父祖母となった私の両親だけが同席した。 せっかくの機会だし、カメラ持って記念撮影しに行こうかな。なんて思っていたけれど、こんなご時世、そんなわけにもいかず、私はお留守番となったのだった。 七五三は昔、子どもが生まれてすぐ亡くなってしまうことが多かったことから子どもの成長を祝う行事として成長を見守る周囲の人間には欠か

          七五三の三

          鼻歌とラジオとSEO

          脳内で、突然。 「ラララ きっと僕は」 と合唱パートが流れ始める。 ああ、これ、なんて曲だっけな。頭の中では引き続き曲は流れ続けている。最初の明瞭さから打って変わって歌詞はあやふやで、メロディも飛び飛び。だけどこの声はサカナクションだ。脳内で流れる曲のメロディを口ずさみながら、ブラウザアプリを立ち上げる。 「サカナクション らららきっと」 とそこまで打ったところで、 「サカナクション ラララきっとぼくは」 と、googleが候補を出してくれた。 候補にあらわれたその文

          鼻歌とラジオとSEO

          優しいは難しい

          僭越ながら、友人知人から『優しい』と言ってもらう事がある。 これはなんというか、優しいと受け取ってくれる人こそ優しいのだという持論がある。『優しい』とそれを理解できるだけ持ち合わせた優しさと懐の広さがあるからこそ、誰かに優しいと言えるのだと思うから。 そして私は、「優しくしてもらったことを真似しているだけなんだよな」と『優しい』と言ってもらう度に思う。優しいということを、どう捉えるかによってこれは違うかもしれないけれど。 「あ、そんな考え方をこの人はできるんだ」というとこ

          優しいは難しい

          素直な人

          素直な人というのは時に残酷だ。 ただ、平等なというのは人間として難しい事だから、決してそれを攻めたいわけではない。ただ自分が寂しいだけなのだろう。 時に好意はその受け手よりも取り囲んでいる人間の方が如実に実感してしまうものだと思う。興味の在り処、好意の強さ、向ける熱の高さ。日々のなんてことはない振る舞いの端々に見て取れる、その違いに、ただ理解してしまうだけなのだ。それも一方的に「そうか」と。 ましてや、素直な人ほど、意図してのものではないだろうからそれをどうして攻められよ

          素直な人

          成長なのか停滞なのか

          今日仲の良い友人とご飯を食べてる時のこと、 新しいソフトとか使ってみたいけれど、目的がないとただ、新しいものを使ってみたいという気持ちに近くてあんまり意味がないかもしれないということを話している時、 「PC作業が基本苦じゃないからなんでもやってると楽しくなってしまうんだよねえ」 というと、友人が、 「それは悪いことじゃないと思うけど…」 といってくれたことを帰りの電車の中で反芻していた。 時間が空いて客観的になると、確かにそれもそうだなと思えた。浅く広く一点秀でたものがな

          成長なのか停滞なのか

          続いてきた記憶

          当たり前のことなのだけれど、私たちは体がひとつしかない。人生という経験は一人分しかできない。 だからだろうか、潜在的にいつでも憧れているような気がする。自分の経験し得ない、他の人の視界と過ごした時間に。そしてそれを見せてくれる物語に触れずに居られないではないかと思う。 時折はっとするほど、自分と違う視点に出会えると頭を打ちつけたような衝撃を覚えることもあるし、それが時折その後の自分に影響を与えることもある。 物語といっても、人の頭の中を共有してくれるものならあらゆる形で

          続いてきた記憶

          こんな日もある。

          今日はコミュニティのzoomにつぐzoomだった。 久々に友人と話すと自分のスイッチはどんどんにONになる。 脳の扉も開いていくような感覚。 デザインも、写真も、建築も楽しいという気持ちを噛み締める。 作業内容に直接関係ないことでも、エネルギーはいつでも人からだ。結局私が感動したものにだって背景には誰かがいる。 どんなに一人でやっていると思っても、何事も一人で完結することなど数少ないんだよなあ。 なんてことを考える、土曜日の夜も深い時間。

          こんな日もある。