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映画「オークション、盗まれたエゴンシーレ」感想
世の中には2種類の人間が存在する。善人と悪人である。この場合悪人とは、悪事を為すものではなく、親鸞のいう悪人である。「善人なおもて往生とぐ いわんや悪人おや」。親鸞のいう悪人とは、煩悩にさいなまれ金を追い求める者である。罪人ではない。
この映画においては、オークショニアと呼ばれる、オークションを主催して、その手数料を儲けとする人間が登場する。
オークションとは、いうまでもなく絵画や骨董品をセリにかけ、最も高い値段を付けた買い手が商品を手にする。
ですから、このオークショニア(アンドレ)も悪人の部類に入るかも知れない。ただ、このオークショニアとなり、オークション会社の稼ぎ頭となったアンドレも、いわゆる金儲けの悪人ではなく、努力して今の地位を築いたことが分かる。
冒頭に出てくる、目の見えない老婦人は、裕福なようだが、その言動は下品であり強欲である。そのような有象無象の欲がオークションを成り立たせている。
さて、ここで善人が登場する。フランスの田舎の工場で夜勤労働者として働く、マルタン青年である。マルタンが母親と二人で住む家に、以前の所有者(家主)から譲りうけた、絵画があった。
この絵が、第二次大戦中にユダヤ人からナチスが盗んだ、エゴン・シーレ
がひまわりを描いた絵画である。28歳でスペイン風邪で亡くなったオーストリアの画家エゴン・シーレはクリムトの弟子であった。その命を削るようなささくれた筆致で自画像を多く描いた。妻と娘と本人を描いた絵があるが、
その幸せそうな家族像は、本人の祈りのような家族像であるが。妻と娘が先に、本人もその後亡くなっている。悲しい絵である。
さて、エゴン・シーレの絵画は高価な値段で取引されるが、最近30年間は市場に出てない。マルタンから依頼を受けた女性弁護士が、オークショニアのアンドレへ鑑定の依頼をする。
アンドレは同僚でもあった元妻と一緒に現地へ足を運び現物を見る。どうせ贋作だろうと思っていた絵を一目見て二人は笑い出す。女性弁護士が失礼ではないかと抗議するが、二人はいやはや本物がこんなところにあるなんてと笑う。まさにエゴン・シーレの真作であったのだ。
そして市場価格は最低でも10億円だと告げると、その場にいたマルタンの母は卒倒する。
アンドレは絵の来歴をマルタンに話す。ナチスは第二次世界大戦中多くの絵画をユダヤ人から奪った。この絵も、元の家主(元警察官)がナチスへの協力の見返りに得たものだろう。元の所有者のユダヤ人一家は一人を除いて
アウシュビッツへ送られ殺害された。今その末裔がアメリカに住んでいるとのとことだった。
そこでマルタンは、無償でこの絵を本来の持ち主へ返すと言い出した。
この映画はフランス映画らしい小気味良いテンポを持っている。また、登場人物の関係もあまり掘り下げずに描かれる。アンドレの助手のオロールは親子関係に問題があるようで、嘘ばかりつく女である。また、女性弁護士も大事な時にスキーに行っている。
アンドレの会社も役員同士はギスギスしている。元妻は新しいアバンチュールにいそしむ。
アメリカに渡ったユダヤ人は大金持ちになっていて、エゴン・シーレの絵は元の所有者の末裔である我々の戻されるべきだというが、アンドレの話を聞き、マルタンを10人目の相続人とし、マルタンへは落札額の10%が支払われることとなる。
また、そこに絵の価値を落とし競売を止めさせようとする、悪人も登場する。
紆余曲折を経て。オークションはアンドレ主導で実施され、エゴン・シーレの絵は2,500万ユーロ、日本円にして約40億円で落札される。
最後はハッピーエンドとなるわけであるが。マルタンは多額のお金を受け取ったにも関わらず、普段通りの夜勤業務を続けていることが報告される。
アンドレは会社から、社長の座を打診されるが、断るつもりであると元妻に告げる。
一枚の絵をめぐり、様々な人間がそれぞれの思惑を持って動き回る様子が、いかにもフランス映画的ともいうべき子気味良いテンポの映画であった。脚本が良いのかも知れない。佳作の1本。