『1100日間の葛藤』
読書の魅力は様々ありますが、期せずして想像を絶する試練を余儀なくされた人々の心中を追体験できる手記の類は私の好きなジャンルです。これまでも、STAP細胞騒動の小保方晴子さん、在任中のスキャンダルで辞職に追い込まれた元都知事の舛添要一さん、麻原彰晃の娘に生まれたというだけで特異な人生を運命づけられた松本麗華さん、脱北後に独学で英語を学び世界中で講演活動をしているパク・ヨンミさんの本などを読んできました。
今回は、コロナ禍のあの頃、毎日のようにテレビで見たあの「尾身さん」の3年半にわたる「専門家チーム」の代表者としての活動と葛藤を記録に残した一冊です。
私たちが「ダイアモンドプリンセス号」や「アベノマスク」の騒動で思い出せるコロナ禍初期の頃、専門家といえど非常に限定的な情報しかない中で、推論・判断し、見解を述べ、政府と市民の信頼を得なければ成らないという矛盾した課題にいかに取り組んだかについて、率直に振り返っています。
医学、疫学、経済学など多様な専門性を持つメンバーが知見を繋ぎ合わせながら提言を
まとめていく過程では、尾身さん自身の医師としてはかなり異色の経歴も大いに役立ったそうです。未知の事態に対処する時の多様性の効用を身をもって体験されたようです。
そして… コロナウイルスの特性が次第に明らかになってくる一方で次々と現れる変異株。感染の波のたびに訪れる医療の逼迫。日本のみならず世界が注目する東京五輪。深刻な打撃を受ける地方経済を少しでも回すためのGoToキャンペーン。時点時点で事態を総合判断しながらコメントを発していきますが、何しろ正解が無いだけに、容赦なき批判にも晒されます。実際、尾身さんの自宅には殺害を予告する脅迫状なども送られてきたそうです。
パンデミック終盤に際しては、行動制限の解除により不可避となる死者数はどこまで許容されるべきかという「命の選別」に直面します。これは専門家チームとしてもついに提言を出すことができなかったと告白しています。確かに、ビジネスにおけるリスク判断とは比べ物にならないくらい重い問題です。
リスクを取りながら前に進んだ一つ一つの局面を、この本の中で尾身さんは「ルビコン川を渡った」という言葉で表現しています。次のパンデミックはいつか必ず起きるので、後世の参考にとの思いで記録にまとめたと述べています。淡々とした文体ながら迫力ある一冊でした。
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