メディアの話 オッペンハイマーと浮世離れとトムとジェリーと戦争の匂いと。

最初から最後まで

戦争の空気がゼロ。

全く匂わない。

戦争にまつわる映画を見たはずなのに。

戦争の匂いの不在。

それが見た後に気づいたこと。

研究室と、不倫セックスと、荒野の馬と、砂漠に突然できた住宅街と、

その先の実験場と、おっさんが集まってひたすら喋る密室と。

情報ゼロで見たら、戦争と関連する映画だと思わないかもしれない。

日本の戦時中映画、ドイツの戦時中映画を作ったら、戦争が関わらなかくても、どこかで匂いがするだろう。戦争の匂いが。

君たちはどう生きるか。

を見ればわかる。あれ、ちょうど描いている時期が一緒だ。

が、それがゼロ。

第二次世界大戦中なのに戦争の匂いがゼロで、

知り合いの妻を食いまくって、

共産主義にちょっとかぶれて、

でも天才中の天才で、

だからアインシュタインやボーアやハイゼルベルグと仲良しで、

という

イカれたやりちんが

前半は、大学周りをうろうろ

中半は、実験場をフラフラ

後半は、密室でオロオロ。

まさに浮世離れした話。

もちろんあの「ダンケルク」で戦場を撮りまくった男、クリストファー・ノーランが

確信犯でない訳がない。

あえてそう撮っているに決まってる。

この映画の「浮世離れ」感。

ドイツの民が死のうが、日本の民が死のうが、

圧倒的に他人事な空気。

さらに言えば、自国の勝利すらも他人事な空気。

主人公に、決して観客が同情したり、思い入れできないように、

その陳腐な自己陶酔ぶりと自己犠牲ぶりを描く。

原爆投下を見せずに、

成功を喜ぶアメリカ人を

脳内で、放射能で火炙りにする

オッペンハイマーの幻想の陳腐さをも、

あえて陳腐に見せている。

みてる方は、「陳腐だなあ」と思う。

だからこそ、

科学者と政治家の、現場から徹底的に遠い「浮世離れ」な空気が伝わる。

何に似ているか。

映画を見ながら連想したのは、

戦時中のトムとジェリーだ。

https://www.youtube.com/watch?v=Jf9FVqAWpg0

戦争ごっこを屋根裏でして、トムさんが沈没しちゃう。

こっちも70年前に

アカデミー賞を撮ってるはず。

あんなのを、欲しがりません勝つまでは 

の時期にとってたのか。勝てる訳ないじゃん、アメリカに。

と、小学校の時に思った。

あ、他人事なんだ。

勝てる訳無いじゃん。

この映画は、別に反戦映画じゃない。もちろん好戦映画でもない。

浮世離れの報いと、浮世離れの無責任が未来にもたらすおっかなさについて描いている。

というふうにも見える。

というふうにも見えるってのは、私がそう見ただけの話である。

ノーランは全く別のことを志向してたのかもしれない。

今、AIについて、同じ空気を感じる。

大学の授業、メディア論と立志プロジェクトで扱うことにしたので、

遅ればせながら見てきた。

学生とちょっと話をしてみたい。

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