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『100分de名著 金子みすゞ』私と母とみすゞと
Eテレ『100分de名著』好きの、やなへいです。
「アドラー:人生の意味の心理学」放送回に直球の問いを投げかけられて以来、欠かさず見続けている。もう、かれこれ6年くらい?
先月は金子みすゞの特集だった。
作家の松本侑子さんの解説が素晴らしく、テキスト本を買ったところ、松本さんの探究の細かさにすっかり感心してしまった。
今まで買ったどんな『100分〜』のテキストより、注が緻密で丁寧だったのだ(未読の『赤毛のアン』も松本さんの注がすごいらしい)。
わたしは、ひとつのことを調べていると、付随する何かを知りたくなって、どんどん風呂敷を広げてしまう。
そして、ひろげた風呂敷のあちら側とこちら側にあるものが思わぬところで繋がって、うわあああ✨と、目を見張る瞬間がたまらなく好きだ。
しかしこの好奇心の展開作業には終わりがなく、どこで収集をつけるかが肝なのだが、わたしの場合、途中で飽きてその辺に置いている……感じ💦
松本さんはきっと、風呂敷の広げ方と納め方が、相当に忍耐強く、かつ繊細で大胆なのだろう。
みすゞの生い立ちに母を想う
テキストに詳しく書かれてある金子みすゞの人生を知っていくなかで、みすゞの生い立ちと、わたしの母の生い立ちを重ねてしまった。
みすゞは、父を病で失い、弟を奪われ、母も奪われ、安心して過ごせる家もなく、最後には娘も奪われた。
誰かが強奪したとかではなく、当時の当たり前であった、“家”を守るために、大事な人と別れなくてはならなかったのだ。
女は子どもを産み育て家事をする道具として、男はポストを担う「役」として、空きができたらあっちへ行け、こっちへ行けと、本人の希望を尋ねられることもなく配置換えさせられたのだろう。
みすゞは、生い立ちの辛さや寂しさを糧に、生きとし生けるものすべてへの愛を感じさせるたくさんの文章を綴ったが、その繊細さゆえに自ら命を絶った。
わたしの母は、みすゞ同様に親兄弟を失って、幼い頃は祖母と流浪の日々だったようだが、あっからかんとした性格で一見、のんびりと生きている。
そんなことを話していたら次男が、「つらいことを見ないようにしたんじゃない?」と。
ああ、そうだね。
闇きに耳を澄ませて
美しい詩をつづった人もいれば
闇さを見つめず
明るいほうを見つめて生き続けた人もいる。
なにを見つめどう表すかは、個々の生きる術であり、与えられた才能なのだろう。
私と小鳥と鈴と
金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい
みすゞさんは、
きれいな音を鳴らし続ける
鈴になったのだな。