『ボーはおそれている』を観て

先週土曜のレイトショーでようやくこの映画を観たのだが、余韻というか、傷というか…

“えぐられた“が最適だろうか。

とにかくまだいろいろと引きずっているので、とりあえずここに映画の感想を書き散らかしておきたい。というより、この感情を吐き出しておかないとヤバイ。生活に支障をきたす気がする。
なぜなら映画を観てもう1週間が経つというのに、頭の片隅でずっと映画のことを考えている自分がいる。あきらかに脳が変な稼働を続けているのだ。

感想を誰かに話そうと思っても、この映画を観た人が周りにいない。たとえ観た人が近くに居たとしても、私の場合、この映画の“本心の感想“を話すことはほぼできないと思う。上っ面な付き合いの知人には、絶対に“本心の感想“は語れない。
だって、”感想を語る=自分の傷口を開いて見せる”ような行為だもの。
とにかく、私にとってひっじょーーーに【他人と感想を共有しにくい映画】なのだ。

またおそろしい映画を世に送り出したよね。
どうなってんだろ、アリ・アスターの頭の中。。

ちなみにこれから書き散らすことはあくまでも映画を観て“私が感じたこと“であって、この映画の”解説”がしたいわけではない。(考察はちょっとする)。他の人の感想や口コミも読んでいないし、なんなら買ったパンフもまだ読んでいない。
早く読みたい。1週間経っちゃったよ。笑
ずっと映画のことがぐるぐるしてたわ。

他の人の感想とか情報を入れてしまうと自分が感じたことが濁るので、【混じりっけのない自分の感情】を勢いで書きます。それをご理解の上でここから先を読んでもらえたら幸いです。

前半:迫りくる不安

まずオープニングがこわかった。
もしかしたら映画の中で一番恐怖を感じたかもしれない。笑
「何??何がはじまるの!???」と、開始数秒で気持ちがざわざわ。毛羽立つ。
音だけってこわいのね。
だんだんと「赤ちゃんが生まれるのか!」とわかってきても、一旦ざわついた気持ちはなかなか落ち着かない。ざわっとした気持ちのまま、ストーリーが本格的に始まってしまう。

そのざわついた気持ちに襲いかかってくる様々なタイプの不安。その不安の量たるや。さすがに多すぎだろうよ!
よくもまぁこんなに人を不安にさせることを思いつくなと。(褒めてる)

・治安の悪い(という言葉じゃ足りないくらいの)住環境
・人に追いかけられる(しかもあきらかにヤバイ奴)
・毒蜘蛛注意貼り紙

どう頑張ったって「これから何が起きるんだ〜」と思ってしまう。落ち着いて観ていられないシチュエーション。

怒涛の不安要素は続く。
・必ず水を飲む(しかも守らないとどんな影響があるかわからない)
・予定があるのに眠れない(時間が迫る)
・人からの依頼に応えられない(相手が誰かわからない、理由がわからない)
・大きな音(原因不明だし尋常じゃない音量)

「やるべきことがある」
「忘れ物」
「鍵がない」
「誰かが居るかも」
なんてほんっとに最悪。すごい不安に襲われる。

「〇〇をやらなきゃ」と普段から考えがちな”脅迫観念強め気味”の私には、ボーが感じている【不安】【焦り】がしんどかったなあ。。。自分も言いようのない不安に襲われる。エログロ要素なんて全然気にならなかった。

そして追い討ち。
ボーと母との電話。乗り気のしない電話。明らかに母の顔色を窺っているやり取り。あまりよく思っていない家族が居る私には、このシーンは観ていてとても重い気持ちになった。心にずしっときた。(多分ここでこの映画の“受け取り方“が人によって大きく振り分けられてたと思うなー。)

あと前半は、実際に【人が居た】シーンがまっっっっじで最悪だった。生活における不安要素が増えたんですけど。。
普段から何度も施錠確認しちゃう人間だけど、映画を観た日の帰宅後は、いつも以上に入浴前、就寝前に施錠確認しちゃったよね。。
心の底から「とにかく治安の良い場所に住みたい!」と思わせてくれた前半でした。。。

中盤:ジワジワと傷が開いてくる

かわいい部屋、ファンシーな色味がこわい。
笑顔がこわい。
親切がこわい。
広い家、美味しそうな食事、幸せそうな夫婦。
すべてがこわい。薄気味悪い。

気持ちはずっとざわざわしたまま。

あと前半でも思ってたけど、「人の精神」は本当に脆くて危うい。壊れた人間は本当にこわい。自分も壊れないように気をつけないといけないな。。。

さて、思ったことを全部書いていると1万字くらいになってしまいそうなので、中盤の出来事は少し割愛。

でも中盤の家族も「優秀な子を忘れられない(子離れできない)親」「自分を見てもらえない(愛情が足りない)子」を描いていたんだよなあと。親が子に与える影響は大きい。家族のカタチって本当にいろいろあるよね〜〜〜。

ま、それをガッツリ描いているからこそ、この映画のことを引きずる羽目になってるんだけどな!

中盤では話が進むにつれ、ボーの心の傷も少しずつ見えてくる。ムビチケが「子供の頃のボー」だった理由もわかる。(前情報を何も入れていなかったので理由が気になっていた)
ただ、ボーが「母」と向き合うシーンが増えてくると、観ている私も家族(私の場合は母ではなく姉)がちらついてくる。
気持ちが一層重くなり、ジワジワと自分の心の傷が開いてきているのがわかった。

中盤で一番打撃をくらったのは【森で演劇を観る】シーン。
ボーが感情移入してストーリーの主人公になるのだが、途中まではあきらかにハッピー…というより「通常のよくある人生」を歩む。仕事をし、パートナーと出会い、結婚し、家庭を築く。嵐に見舞われて不運な道も辿るが、最終的には家族と再会する。

『ああ、これは多分「普通に生きている」人なら歩むことができる、「通常の人生ストーリー」なんだろうな』と思った。

でもボーの場合は「この人生を歩めるはずがない」と我に返ることになる。
そう、この映画もそんな「通常のよくある映画」ではない。

ここの流れが自分でも感情移入してしまってね…。ガツンときました。
『お前も「こっち側の人間」じゃないだろう?』と言われた気がして。。

ストーリーテラーの女神も「観る視点によって〜」って言っていたから、映画を客観的に観ていればこのシーンのことも特に何も思わなかったのかもしれない。でも、私はもう前半でしっかりボーに感情移入しちゃってたので、それは無理な話でした。
しかも実際に「通常の人生ストーリー」歩めてないし、そりゃ思いっきりボーに感情移入しちゃうよね。

でも中盤(森)は【家族に縛られない集団生活】【洋服を選ぶ(選択の自由)】【父らしき存在】【母へのプレゼントを手放す】”救い”や”解放”みたいなシーンがあったからまだ良かった。
この辺はもうずっとボーのことを応援しながら観てた。「頑張れ!」「立ち向かえ!」「向き合え!」って。だってずっと不憫すぎるんだもん。災難起こりすぎでしょ。『よくある幸せじゃなくていいから、何か少しでもボーの状況が改善されたらいいな』って思いながら応援してた。

それなのに…それなのに…


そうだよね……キレイに終わる映画なわけないって思ってた。
わかってたよ。わかってたけどさ。

でもさ……あんまりじゃないか、アリ・アスターよ。

後半〜終盤:もうやめてくれ、ゆるしてくれ

母と向き合う覚悟ができたからなのか、あっさりと家にたどり着く。

母の家に着いてからの伏線回収は気持ちよかったな〜。この映画でここだけは脳汁ドバドバ。『おおーっ!』ってなった。
大切なことだからもう一度言っておく。「ここだけは」気持ちよかった。

・マリア像(プレゼント思いっきり母の象徴やん!ボーも依存してるやん!)
・会社ロゴ(え?ちょっと待って??このロゴってオープニングにも出てたよね???そっか、ロゴそのまんま名前の頭文字じゃん!気づかなかったわ〜!え、でもそうなるとこの映画は「母プロデュース」ってこと!?それとも「母の映画」っていうことなのかな???オープニングで「私の子」って連呼してたもんな〜。えー、どっちにしても母の所有物すぎてこわいわあああ。でもすげーーー!)
・年表ポスター(ちょいちょい『何で後ろのポスターまで日本語訳が書いてあるんだろう?』って思ってたけど、なるほど母の会社の製品だったのかー。結局ずっと「見られていた」「一緒にいた」のねえ。えーでもこんなすごい会社ってことはボーのカード止めたのって母よね?試しすぎでしょ。やっぱりこわいよおおお。)
・PCに嘔吐した理由(社員だったのか!!!!)

伏線回収して、運命の人と再会。トラウマ(女性体験)も乗り越える。
これでいいじゃん…。

ベットシーンは『ボーお願いだからここで死んで!母が言っていたことは”真実でした”ってことでいいじゃん!お願いだ!お願いだから死んでくれ!!!!』って本気で願ってました。

ま、そんなキレイな終わり方をするわけないよね〜〜。
何ならここからさらに【トラウマの上書き】をしてくるから残酷〜〜〜〜。

あ、ボーだけじゃなくエレインも”性に対する捉え方”は母の影響がめちゃくちゃ大きかったんだろうなあと。船で出会った頃はあんなに母のことを嫌悪していたのに、結局は母のように育ってしまったのかなと思った。子どもの頃に受けた大きな衝撃は、多かれ少なかれ、大人になった自分のどこかしらに影響してるよね。

さあ、ここから先はさらに”えぐって”くるストーリー展開。
ほんと「もうやめて!ゆるして!!」って状態だった。

せっかく憧れも体験できたのに、もう二度と体験できなくなるような経験をその上から植え付ける。子どもの頃に自分を大切にしてくれていた人との別れ。信頼して相談していた人からの裏切り。

たしかカウンセラーの秘密が明らかになったシーンで「ひどいよ!どうしてこんなことするの!」的なボーのセリフがあった気がするけど、『マジそれ!』って心の底から思ってたわ!!

終盤にもかかわらず、まだまだボーにたて続けて起こる出来事はしんどかった。トラウマをえぐるえぐる。屋根裏監禁とかおそろしいよおおおおお。

でもそれ以上に、母が、自分がどれだけボーに愛情を注いできたか、自分がどれだけボーのために「してあげてきた」かを主張し、それなのにボーは自分に対して「返してくれなかった」と嘆くシーン。あそこはまるで自分が責められているようで本当にしんどかった。つらかったわー。。姉もああいうタイプで、私も実際に同じようなシーンを体験をしていたから、まー、姉の顔がチラつくチラつく。
ボーに自分をダブらせてしまって「もうゆるしてよ」って泣きたくなったわ。

だからね、ボーが母の首を締める気持ちもちょっとわかるんだ。
むしろ、「かわりに首を締めてくれてありがとう」って思ったんだ。

今は姉と距離を置く道を選んでいる。けど、ボーのようにまた姉と対面する機会が訪れたとき、嘆き喚かれたとしても思いとどまれるから。


船に乗り、暗い海へ。

『頑張った。仕方ないよ。』
『ボー、お疲れさま。』



あーーーー!マジかあああああああ!!!
もういいじゃんかあああーーーーー!!
お願いだー!もうゆるして〜〜〜!解放してあげてえええ!!!!
ここでキレイに終わらせてくれええええ〜〜〜〜〜〜!!!!!!

最後ね。なにあれ。
心の中はもう悲鳴ですよ。

追い討ち?詰めの一手??ひどすぎるわ。笑
ここまで攻め?詰め?ないでもええやん。
容赦ねええええええ。

ボー。。。。

君は頑張った。頑張ったよ。
本当に、本当に、今度こそお疲れさま。

私は頑張って「自分の人生」を「自分で責任を持って」生きてみるね。

エンドロールが終わって場内が明るくなった時、深呼吸のような、ため息のような、思わず大きな息がもれた。

本当にしんどかった。疲れた。
でもすごい映画だった。観てよかった。観る前は3時間という長さも心配だったけど、ちっとも長く感じなかった。

シアターを出て通路を歩いていると、後ろから「難しかったね〜」「なにが言いたいか全然わからなかった〜」と楽しそうに話すカップルが私の横を通り過ぎて行った。

この映画をすごいと感じられることが「幸せ」かどうかはわからない。でもこの映画からたくさんのことを受け取ってしまう自分の人生は、自分だけのものだから受け入れなければならない。

やっぱり私は「そっち側」じゃないんだよなあ…と実感しながら家路についた、先週土曜のレイトショー体験でした。


うおーーー!ようやく吐き出せたーーーー!
スッキリした!!!!!


割愛しても5,000字こえちゃったな。
さ、パンフ読も〜〜〜〜

最後に、こんな長々した感想をここまで読んでくださったあなた。
心から感謝申し上げます。
一緒にいろいろ語れそうですね。

もしおすすめ映画とかあったら教えてください。
なるべく鬱じゃないやつで。笑


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