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「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」*記憶をたどる映画感想文*
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』という映画は、不朽の名作特集の中の1本として観た作品だ。何年も前のことなので記憶をたどりながらの感想を書こうと思う。
この作品の中で、主人公の少年は、自分の恵まれない境遇を『ライカ犬』の話を持ち出し、その犬の悲劇よりかはましだと思って自分をなぐさめる日々を送っている。
少年が劇中で話すライカ犬の話は書くのも辛い(なので省略する)。
救いようのない悲劇をなぐさめとするくらい、それほどに少年は自分の現在が辛いと感じている、ということを表現したかったのだろう。
自分の今置かれている境遇を嘆くとき、「もっと大変な人だっているのだから、こんなこと贅沢な悩みだ」「まだあの時よりかはまし」などと自分に言い聞かせたりすることがある。そういった言い聞かせが、日々増えていく中で、この作品のことを思い出す。
あんなに頑張ったのが何の意味もなかった、なんで自分ばかりがこんな目にあわなければならないの、どうしてあなたたちはそんな理不尽なことを受け入れられるの、といった不満が一滴一滴とコップに収められ、そのうちあふれ出しはしないかと不安になるときがある。
そんな思いを経験して、改めて合点がいくあの映画の言わんとすること。
不朽の名作とは、普遍的なテーマがあることだと私は思う。
自分の力だけではどうにもできない辛い状況下に置かれること、それを○○よりかはましだから、と慰めて紛らわす虚しさは現代にも存在する。共感できる境遇にない方が幸せなのかもしれないけれど。
悲劇を持ち出して、それよりかはましだという考えは、一時のなぐさめにはなるかもしれないけれど、ただ気持ちを紛らわして現実を受け入れるだけというのは虚しい。少年の未来をどんなふうに想像するか、この作品をどうとらえるかは見た者の心境を映す鏡となるかもしれない。
この作品は、救いようのない物語かもしれない。
気持ちが落ち込みやすいときには見ない方がよいかもしれない。
苦手で見ない方が良い人や、見ない方が良いときがある。
けれど、「辛い状況にある者」そこにスポットをあてて、これを知ってほしいと思った製作者がいたということ、名作であるとの評価は、共感する者がいてくれる、という救いになるかもしれない。
<© 2021 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>
※2022年に編集しなおしました。