故郷1
姉は「嫌だ」と言った。
「お父さんとは行かない。行かせないで」と、亡くなった母方の祖母に泣いて縋った。
「大丈夫よ。行かせないよ」と、母方の親戚達は皆んなで姉をなだめた。
姉を宥めながら、母方の親戚達は、再婚相手が見つかったという報告をしている私の父に、
「yamoちゃんも置いていけ」と、全力で説得していた。
その時yamoちゃんはどうしていたかというと、父の首にしがみついて泣きじゃくっていた。
yamoちゃんはyamoちゃんで
「おとうさんといっしょにいく」と言って泣いていた。
母が亡くなって50年の節目。
50年て、、)
更に父の新盆。
星読み的なことを言えば、牡牛座の天王星と火星と北のノードが社会的にも個人的にも変化変容を促す中で、水瓶座の土星が相変わらず葛藤の角度。
このお盆の時期とライオンズゲートが開放された時期とが重なって、宇宙は私にまた過去と向き合えというメッセージを送っている気がした。
私は水瓶座に月を持って生まれた。
水星は双子座で、太陽は蟹座だ。
感情的なモヤモヤはスッキリさせないと気が済まない。
未来志向の強い水瓶座に月だから、過去のモヤモヤを放置して未来を想うことは難しい。
若い時から何度もこういう衝動には向き合ってきたつもりだった。
そのたびに行ってきた方法を今回も試してみる。
深呼吸を何度もして、落ち着く落ち着く私は大丈夫と自分に言い聞かせてみる。
込み上げてくる感情は、言葉では表現しずらい。
かわいそうな小さいyamoちゃんと寄り添ってみようとする。
涙がこぼれる。
嗚咽が漏れる。
こういうのももうホントいい加減勘弁してくださいとまた思う。
この数日間は月が水瓶座から魚座に移動して、順番に土星と海王星と重なっていた。
特に8月12日に水瓶座で満月を迎えた頃は、私自身が水瓶座に月を持って生まれていることが大きく影響したのだろうなと読めるけど、どうにもこうにも過去の記憶の波を避けることが出来なかった。
大好きなアメリカドラマや映画で気を紛らわそうかと試みたけれどダメだった。
ジョニーデップもトムクルーズもカンバーバッチも効果無し。。。
でもNetflixの【Virgin River】は良かった。
ジャック役の俳優さん(マーティンなんとかさん)は効果有った少し(苦笑)。
と、いう事で、ここからは魂の話し。
姉は、「嫌だ」と言った。
「お父さんとは行きたくない」とハッキリ言った。
対して、yamoちゃんは「いっしょにいく」と言っている。
「おとうさんといっしょにいくの〜〜」と、父の首にしがみついて泣いている。
母方の親戚達6〜7人が横並びで座っていた。
中央に祖父母。小さい姉。端を叔父叔母達が前のめりで父の説明を聞いていた。
母が亡くなって1年経った頃だったと思う。
経っていなかったかもしれない。
母は病死。子宮がんだったと聞いている。実際はわからない。
母は、姉を、生まれてすぐに自身の実家に預けている。
姉はそこで、母方の祖父母と叔父叔母達に可愛がられて育っている。
親戚の誰かが姉と必ず一緒に居るという環境が有った。
叔母であるセイコ(仮)は、この頃、お付き合いしていた彼氏とデートの約束をしていても、姉が1人になってしまう状況であれば、「お出かけだよ〜」と、よそ行きのスカートと靴に履き替えさせて、ウキウキとした空気感の中で小さい姉を連れて行った。
姉は、生まれた直後から、実の両親ではない人達の中でだけど「自分は邪魔?」とは疑わずに済む環境で育っていた。
そこは居心地が良かったに違いない。
そこは当たり前に安心出来る場所だったはずだ。
ところがだ。
母は自分が具合が悪くなって、自分が死ぬと分かって、急遽、死ぬ直前数ヶ月前に姉を実家から引き取っている。
「少しでも一緒に暮らせ」と実家に言われたのか、父と母とでそう望んだのかは分からない。
母だけが自分の死期を悟って1人で行動を起こした可能性も高い。
その時期yamoちゃんは3歳(たぶん)。
yamoは母の実家近くの産院で、祖母も見守る中で安全に生まれている。
姉はというと、父の実家(函館)近くの馬小屋で、衛生的にはどうなの?(想像)という環境で生まれて、しかもすぐに母は自分の実家(秋田)に姉を預けに行っている。姉を預けた後で自分は函館に戻って夫であるミツオ(仮)と暮らしている。
yamoは逆子で生まれてきた。
首が変に曲がっていた。仮死状態だったとも聞いている。
母は生まれて間もないyamoを抱いて、毎日欠かさず首のマッサージを受けに産院に通った。
何日通ったのかまでは知らない。
もう誰もそれは思い出せない。
でもとにかくお陰様でyamoの首は割と真っ直ぐでスリムに長い。
母が亡くなる直前の数ヶ月間のことを姉は良い思い出として記憶していない。
母に懐かなかった自分が悪かったのかなと、母の自分に対する態度が冷たかったと振り返る。
私も母のことはよく憶えていない。
良いも悪いも無い。
yamoが生まれた後で、母はなぜ姉はそのまま実家に置いて行ったのか。
母はなぜyamoだけを連れて父の元に帰ったのか。
この時も姉は「行かない」と望んだのかもしれない。
それも仕方ないと母は思ったのかもしれない。
祖父母と母の間でどんな会話があったのだろう。
とは言え、でもすぐに事情が変わる。
自分は死ぬ。
娘たちのことは育てられないと理解する。
それは間もなくやってくる現実だと察した時の母の近くに、父は居てくれたのだろうか。
居てくれたんだろうね?と確かめたい。
さて、ここからは私の想像だ。
母は急いだ。
これは大変だと思った。
自分が死んだ後での、目の前の小さいyamoを想像した時に不憫に思った。
この子をどうしようかと考えた。
ここで、姉が連れてこられた。
、、のではないか。
なぜ?
姉の元にyamoを連れて行けばいいのに。
なぜ。
「父」だと私は思っている。
私が父っ子だったのではないだろうか。
傍目にも父娘は仲良しで、きっと母は私を父から離したくないと望んだのではないだろうか。
もちろん、自分も夫ミツオ(仮)の側に居たかったのだろう。
母は死ぬ覚悟をしながら、自分の夫と、お父さんにじゃれつく小さい次女を眺めた時に何を憂いたのだろう。
何かを憂いた。
そして長女(6歳)が連れて来られた。
この時、母の中でどうしても「お姉ちゃん」が、どうしてもどうしても必要だったのではないだろうか。
冷たい態度しか取ってもらえなかったという記憶しか無い母親から、死ぬ直前に姉は母に耳元で何か言われている。
ビニールに覆われた病院のベッドに寝ていた母が、姉だけを自分の横に呼びよせて何か言っていた。
私は父に抱かれてその様子を眺めている。
よく憶えている。
yamoは4歳になったばかりだったはずだ。
「yamoちゃんを守って」
「お父さんの言いつけを守って良い子で」
姉は、死に際の母親からそんなことを言われたのではないだろうか。
母が亡くなってすぐに私と姉は母の実家に預けられる。
母の葬儀に駆けつけた親戚達が帰る時に一緒に連れて行かれたと記憶している。
姉にとってみれば別に元居た場所、慣れ親しんだ「家」に戻っていくという感じだったろう。
月日は流れる。
「yamo」と呼ばれて顔を上げた道の向こうに父が居た。
雨上がりの朝だった。
外に出るなら長靴を履いて行け」と、おばあちゃんが言うからyamoちゃんは赤い長靴を履いて外の水たまりで遊んでいた。
「おとうさんっ」
夢中で駆け寄った。
走って走ってお父さんに抱きついた。
首にしがみついた。
「もういっしょにくらせる?」
「暮らせるよ。迎えに来たよ」
yamoちゃんはお母さんが死んで悲しいというより、お父さんに会えなくて寂しかった。ずーーっと寂しかった。
呼ばれて顔を上げた道の向こうに、お父さんの顔が見えた時の嬉しさを今でも鮮明に憶えている。
首にしがみついた時の喜びが忘れられない。
姉はでも違った。
「嫌だ」と言った。
お父さんとは行かせないでくれとおばあちゃんに泣いて頼んでいた。
そこに居る大人は全員困っていた。
再婚することになったという父の説明を聞いた。
だからもう大丈夫なのだと父は言う。
yamoちゃんもだいじょうぶと思っている。
しかし、聞けば再婚相手にはyamo達と年齢的にも近い連れ子が2人も居る。
娘だそうだ。
yamo達を2人とも連れていけば4人姉妹をミツオ(仮)さんは養うということになる。
それは無理でしょう?と、
やっていけないでしょう?と、
お給料おいくら?(こんな嫌な言い方は絶対してない)
yamo達2人は私たちに任せてミツオさんはミツオさんで新しい家族を持ったらいいよと父は祖父母(母方)に言われていた。
「でも」とか「だけど」とかとお父さんが言い淀むと、yamoちゃんが泣いてわめく。
「ダメダメぜったいおとうさんといっしょにいく」
「いっしょにくらすのーー」と、泣きわめく。
少しして「じゃあ分かった」と、父が言った。
「yamoだけでも連れて行きたい」
お父さんの顔を見てうんうんと大きく頷いてyamoはまたお父さんの首にしがみつく。
この後だったと思う。
おばあちゃんにしがみついていた姉を引き剥がすようにして、その姉が「しょうがないお前も一緒に行け」と、父側に押し出された。
へ?え?という困惑の姉の顔。
姉と目が合った。
形容しがたいが、姉はただ私を見ていた。
時間が止まった。
運命の瞬間というものが有るなら、私はこの時だったと強く思う。
そのすぐ後に、姉は正気に戻って「嫌だってば」とおばあちゃん達の方へ戻る。
でも、たぶんこの後色々たっぷり説得されちゃうの。
父にではなく、母方の、それこそ自分をとても大事にしてくれていた親戚たちから、「yamoを守ってやれ」と、「一緒に行ってyamoと離れるな」と、説得されて、姉は父と私と一緒に暮らすということを決める。
そして、姉は現実的に本当に妹の私を、継母やその連れ子達の意地悪から体を張って守ることになる。
この度父が亡くなって、父のことはもちろんだけど、死んで50年も経つ母を想うことも増えて、母の実家の秋田に行ってみようと考えた。
「行ってみようかな」と、姉に言ってみた。
なぜかとても緊張した。
「行っておいで。あんたの故郷よ」
ありがとうございますという言葉では足りない。
心からの感謝の気持ちを表現するって本当に難しい。
最後まで読んで頂きありがとうございました😊v