囲炉裏は、場と人とともに生きてきた。
高山駅からバスに乗り、約50分。
白川村に到着した。
『白川郷・五箇山の合掌造り集落』として
約20年前に世界遺産として認定された地。
− 凝縮された知恵と工夫 −
ぼくが訪れたときは前日の雨はあがって、青空が見えた。
この時期は、観光客はそんなに多くない。
さっそく合掌造りの家の中を見せてもらうと
存在感のある大きな囲炉裏が目に入る。
10人くらいで囲めそうなくらい大きい。
囲炉裏が床に埋まっていて、炉端が狭くて低いので、
火の熱が身体までじゅうぶんに届いて
足元からしっかりと温めてくれる。
上の階には、囲炉裏の火の番をするための小窓がある。
燃えやすい茅ぶき屋根を持つ家にとって
火の始末は最も気をつかう点。
かつて、合掌造りの家が火に包まれ
茅ぶき屋根や住宅が焼け落ちていく様子を
目の当たりにしたという住民もいるという。
2階、3階と上がっていくほど、
上階に煙が上がってきているのを感じる。
家の中の柱は真っ黒に燻されていて、
簡単には虫が喰うことも腐ることもない。
火で温められ、煙を含んだ空気の特性だ。
屋根裏の窓から、その煙は家の外へ抜けていく。
柱と柱は釘を使わずに組まれていて
木の枝のようなもので縛られている。
縄が使われている部分は後から補強されたのだという。
合掌造りの家々はある程度同じ方角を向いていて、
日の光を十分に取り入れられるようになってる。
いくつもの季節と時代を超えていく中で
こうした知恵と工夫が蓄積されてきたんだ。
− 減っていく囲炉裏のある空間 −
あらためて、感じた。
『囲炉裏というものは、場・人とともに生きてきたんだ。』
それは、こうも言い換えることができるだろう。
『囲炉裏にとっては、生かしてくれる場・人が必要だ。』
その『生かしてくれる場・人』は減っている。
僕が生きてきた現代の住宅街や暮らしの中では
火が近くにあることは “危険” とみなされ
煙が出ることは “迷惑” とみなされる。
“手間” が省かれることで、“愛着” が失われていく。
その結果、どうなっただろう。
居場所や人間関係が失われ、生きづらい世になった。
知恵や人間らしさが失われ、薄っぺらい世になった。
− 伝えていくための変容 −
今まで、囲炉裏は家や暮らしとともにあった。
囲炉裏を生かしてくれる場があって、
囲炉裏を生かしてくれる人がいた。
そのような場や人が減っていく中で
囲炉裏と温かな雰囲気を伝えていく為には
本質以外の部分を変容させていく必要がある。
「家や暮らしとともになければ、そんなもんは囲炉裏ではない。」
「囲炉裏なんかを持ち歩いて、どうする。」
そういった意見もいただくことが多いけど、
囲炉裏にとって固定された場との関係性は
悪くなっていく一方。
従来の形では存続が難しくなってきた今にあって、
固定式から移動式にトライする価値は大いにあると思う。
囲炉裏のある場を求めている人は多いのに、
今までのあり方や伝統を重んじるがあまりに
その人たちを救う機会を失うのは悲しい。
時代の流れに抗うのではなく、
時代の流れに乗るように
囲炉裏とその空間を生かしたい。
そのためには、囲炉裏の持つ “余白” に
さまざまな人や場、アイディアをかけ算し
場づくりとしての可能性を引き出していきたい。
『囲炉裏のある空間と温かな人の交わりを残し、
伝えていく為に何ができるだろう。』
これからもそのことを考え、教わり続けていく。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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