小川公代さん × 宇野常寛さん トークイベント(12/28)に参加してきた感想
読書が好きなヤマモモです。
2024年12月28日に青山ブックセンター本店で開催されたトークイベントに参加してきました。
『メアリ・シェリー:『フランケンシュタイン』から〈共感の共同体〉へ 』『庭の話』ダブル刊行記念として設定されたイベントです。
本の問題意識や概要について対話しながら、販売促進につなげることが主旨だろうと思います。
小川さんは、何度か出版する本を引用しながらイベントの主旨に沿う様に話を進めます。
「話したいこと」の近隣で話題を提供し、宇野さんの考えに対して真正面からぶつかってくれる小川さんに宇野さんはうれしくなってしまっているように見えました。
結果的に、お互いの考えの相違点がどこにあるのかを真剣に探る熱のこもったトークイベントになりました。
宇野さんの切れ味の鋭い洞察と苦しいくらいの社会環境の言語化に対し、懐深く話題を拾いながら自分の主張を何度も構築し直す小川さん。とてもレベルが高い対話でエキサイティングでした。
二人の主張は大筋では一致しているにもかかわらず、お互いに納得の共通解に至らないというもどかしい空気に包まれていました。
恥ずかしながら、小川さんの著作を読んだことながく、「ケア」を中心とした小川さんの問題意識について前提知識が不足していたので、なにが大きな相違点なのか理解しきれないまま2時間が過ぎました。
宇野さんと小川さんの相違点を考えてみる
存じ上げないのですが、YKKさんも該当のトークイベントに参加されたようで感想を書かれていました。
YKKさんは小川さんに共感を感じつつ、宇野さんの意見を評価するバランスのとれた感想を述べられていました。
YKKさんの感想から「共助」の是非について相違点になっていたと解釈できます。参加した私の実感としてもそのように感じました。
しかし、小川さんはケア=共助ではない、とも発言していました。
より強い相違点としては、「共同体」の是非ではないかと思います。小川さんは「共同体」をポジティブに捉えているのに対し、宇野さんは明確にネガティブに捉えています。
宇野さん自身、何度も発言していますが、共同体に属していない人はいないし、不要ということでは全くないという前提はあります。
その前提を置いたうえで、共同体が持つマイナスの側面(敵を設定して排他的になることなど)を強調します。
こうしてみると、宇野さんの問題設定の精度が細かいことが伺えます。「共同体の善悪や是非ではかく、共同体が不可欠なのは当たり前だけど、マイナスも多いから、資本主義プラットフォームを代替するものとして無条件に受け入れてはいけないよね」という論点設定に見えます。
小川さんは、「マイノリティが孤立することで不当な扱いをうけてきた⇨共同体で支援することが必要だし現状たりていない」という論理展開であるのにたいし、宇野さんは「資本主義プラットフォームの代替として共同体をみんな提唱しがち⇨共同体は必要不可欠⇨だけど、共同体がもつマイナス面は見過ごせないほど大きい→孤立でも共同体でもないものとして公による支援やつながりが必要⇨公の場で個人がつながるための前提として個人の自立がある」という論理展開。
宇野さんの論理展開は長く、精度が細かい。そして、小川さんの論理展開の出発点である「マイノリティの孤立」と宇野さんの「個人の自立」が混同されかねない表現なので、議論が噛み合いにくい形になっています。
小川さんの著作にサインをしてもらうときにご発言
実は、トークイベント後、小川さんにサインをいただきました。その際、小川さんが笑いながら話された内容が以下です。
小川さんはとても穏やかで包容力があり、勝ち負けを気にしている様にはみえなかったので意外でした。もちろん、笑いながら冗談で発言されているのですが、勝ち負けという発想に至ること自体にひっかかりました。
私は「勝ちとか負けどかではないと思います」とお答えし、「ただ、宇野さんがやや意地悪に感じました」と付け加えました。これは、敢行記念のイベントの主旨に則って場を成立させようとしている小川さんに対して、宇野さんが相違点の追求を純粋に楽しんで小川さんをやや困らせているようにみえたからです。
またも包み込むような笑顔で、軽やかにご返事をいただきました。
教養があり、ユーモアがあり、信念があり、やさしく、包み込むような温かさがある小川さんに触れ、すっかりファンになりました。
ケア論にまったく触れてこない人生でしたが、今、小川さんの影響で『メアリ・シェリー:『フランケンシュタイン』から〈共感の共同体〉へ 』を読んでいます。