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推しオジの喪失:すばらしき世界
ネタバレを含みます。
おおまかな感想
誰かの幸せを願うということ
とにかく主役の三上正夫を大好きになってしまう映画だった。結末で胸が張り裂けるまでがセットなので辛いけど、フィクションという垣根を越えて他者の人生に寄り添い、その幸せを願うという得難い体験ができる映画だったと思う。ラストシーンでは、映画と観る側の境目がなくなったと錯覚する程に感情が揺すぶられた。エンディングの沈黙が粋で優しく、思う存分に泣いた。
人間や社会構造を多面的に描くことで、物語がグレーに進むところがやるせなくて良い。社会はルールで作られているというのに、それを営む人間自体が矛盾を孕んだ生き物であるばかりに、生きづらさや理不尽が生まれてしまう。振りかざした正義は、時に私たちから他者への想像力を奪うのだと、恐ろしくなった。
登場人物たちと感情を共有するように映画を観た。人のために行動できるということ、それにより幸せを感じられるということがどれ程尊いものか、散々泣いた後でぼんやり考えた。三上は報われただろうか。救われただろうか。三上が死に際に嗅いだコスモスの香りは、彼の人生を祝福してくれただろうか。
この映画は残酷で生きづらい社会を描きながら、「世界が優しくありますように」という祈りを確かに抱いていた。
もう少し語る
チャーミングな狂犬・三上正夫
役所広司と言えば、不器用で可愛らしい強面男性のイメージが浮かぶ。
今作の三上もチャーミングなキャラクターだ。特に運転免許の試験のシーンは、ド真剣にハチャメチャやっている三上と周りとの温度差が相当面白い。三上意外の人物の台詞はほとんどないのにその表情が絶妙で、心情を想像しながら観ると本当に笑える。
笑ってはいけない自動車教習所24時
三上は人たらしだ。若き日の三上が生き延びるために身につけた術かもしれないと考えると切ないが、天然であれ何であれとにかく彼は人の懐に飛び込むのが上手い。
刑務所では刑期が3年延びる程暴れていたのに、看守達からは疎まれつつも割と好かれている。結構な雪が降る中で看守二人がバスが遠ざかっても見送ってくれるって凄いんじゃないか。他にも、ケースワーカーを「先生」と慕ったり、母探しの番組のため取材に来たディレクターには屈託のない笑顔を見せたりする。
このおじさん相当人懐っこい。役所広司が愛嬌たっぷりに三上を演じているおかげでどんどん彼を好きになってしまうのがズルい。
一方で三上は凶暴な男でもある。彼の中で理屈が整えば、嬉々として相手を半殺しにできてしまう人間だ。オヤジ狩りを成敗するはずが、だんだんゾンビ映画かのように画面が赤くなっていく。カタギで燻っていた三上が、暴力の中で輝いている。
喧嘩に勝った三上が瞳孔ガン開きでラリっているシーンにはちょっと笑ったが、それまでの素朴で温かい彼の一面を見ている分恐ろしくも思った。
母の愛への飢え
三上には「母親に捨てられた」という想いが常に付きまとう。その傷口は癒えることがなく、少しでも触れられれば彼は大きく揺さぶられ、行き場のない感情が噴き出してしまう。
母親への想いを巡り、三上が急に泣き出して周りが困惑するシーンでは、強い負の感情を押し込める不安定な人間の解像度が高いと思った。噴出する怒り、涙。トラウマの蓋が開いてパニックになっている人間が繊細に演じられていて、なんとも痛々しかった。
泣く三上に周りは驚き声をかけるが、本人はそれどころではない。人の形を保っているので精いっぱいで、周りからの温かい言葉でさえ聞く余裕が無い。その状況が周りに伝わりにくいことも、辛い。
それでも、自分に優しくしてくれている人への誠意で、懸命に笑顔を返そうとした三上は優しい人だと思う。
そんな三上を救えるのは母親だけなのに、彼の願いは叶わない。そもそも三上が殺人犯として大きく世に知られた時点で、母から音沙汰がなかったということが全てを物語っているように思う。三上も本当は現実をわかっているはずなのに、鮮明に残る母との美しい思い出に縋っている。孤児院へ向かう道で、母のことを話す三上が本当に幸せそうで、辛い。どうしてお母さんのことって、こんなにもずっと大好きでいちゃうのかな。
悲しくも「救い」のあるラスト
新しい人生がようやく軌道に乗ってきたところで、三上は持病により呆気なく死んでしまう。
三上の死に駆けつけた人々と同様に、推していたおじさんの突然の死に対して私は納得しようにもできない気持ちで一杯だったが、ふと彼の死に際を思い返すと、安らかで満ち足りた顔をしていたように思う。
薄れゆく意識の中でコスモスを掴む姿が切なくて美しかった。その表情を観客は見届けられたのだから、有難いではないか。
物語は沈黙のなか、台風一過の清々しい青空を映して幕を閉じる。彼が最期に自分の人生を肯定できたなら、それ以上何も望まない。
おわりに
三上の眩しさに集う人々
正義感の強い愚直な三上は私の中にも存在する。他人や自分の気持ちを踏みつけた上での世渡りなんてクソ食らえだと思っている。それでも、いちいち突っかかって問題を起こしていては、こちらが厄介者と見なされてしまうし、感情が波打って辛いので、柔軟でいる方が良いということもよくわかっている。
本音と建前のギャップに生きづらさを感じることがあるからこそ、三上には強く感情移入したし、彼が努力する姿を見て励まされた。恐らく三上に集まる登場人物たちも、同じような理由で彼に惹かれていたんじゃないだろうか。不器用でひたむきな彼が報われることで、見殺しにしてきた自分の本音たちが成仏するような気がしていたのだ。
また私を置いて逝くのね、広司
そのようなカタルシスのある映画なのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのか考えると、役所広司演じる三上が自分の中でかけがえのない存在になってしまっているからだと気づく。三上は本当に危険でどうしようもないおじさんなんだけれども、かっこいい役所広司が愛くるしく儚げに演じているから大好きになってしまうんだ。
この映画の初視聴は自宅だった。悲しくておいおい泣いたので、観たのが自宅で良かったと思った。表現が適切かわからないけど、愛犬がお星さまになった時に似た悲しさだった。全力で生きている姿を見せてくれてありがとう、笑わせてくれてありがとう、でももっと一緒に居たかったね、今までお疲れ様……。そんな温かい気持ちに包まれながら泣いて、きっとこの先役所広司の訃報を知ったらまたこんな風に大泣きするんだろうなと思った。本当に凄いお方で、芸能人なのに、私の心に身内みたいな大きさで存在してくれる素晴らしい役者さん。
監督が言うように
ほんと、役所広司はずるいです。
泣いちゃうって。
すばらしき世界
2020年公開
監督:西川美和
原作:佐木隆三『身分帳』