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『きょうはそらにまるいつき』を読んで

Shukkaちゃんこんにちは。
今日もきままに日々の思いを書こうと思います。今日も絵本について。

私と、1歳の愛息子との日々の最大の娯楽にしてコミュニケーション手段は、何といっても絵本です。
最近は目の前に座って、膝をポンポン叩きながら「ママのお膝で読む?」と聞いたら、「ん!」と返事してこちらに背を向けてお膝の上に座ってくれます。かわいい。


展開が面白い絵本、音が楽しい絵本、演出が見事な絵本、絵本の良さは色々あるけれど、私にとって、近頃なんだかとても心に残った絵本が荒井良二『きょうはそらにまるいつき』(偕成社、2016年)です。


荒井良二さんの絵は、長田弘作『水の絵本』(講談社、2019年)で初めて触れて、水という存在を的確に多面的に、それでいてユーモラスに捉えた美しい長田さんの文章に、「こういう絵をつけるのか!」という驚きを感じました。
でも、次の瞬間には逆にこの絵しか考えられないようなしっくり感を感じさせられて、ある対象に対して、自分の解釈・感性を最大限自由に、優しく、美しく表現するセンスにとてつもなく優れた方なのだなと思ったのです。


映画でも何でも、気に入った監督や作者のものを続けて読みたい私 は、いくつかの荒井さんの作品を愛息子と読んだ後に、『きょうはそらにまるいつき』を見つけたのです。


内容としては、今宵、空に浮かぶ大きな丸い月を、さまざまな人が眺めている・もしくはただただその光に照らされている、そんな夜を色々な角度から表現したというものなのだけれど、
ここでも先に述べた、荒井さんの「ある対象に対して、自分の解釈・感性を最大限自由に、優しく、美しく表現する力」が遺憾なく発揮されているのです。


まず、月の光に照らされている、人やもののチョイスが本当に秀逸。
(特に白いとんがり帽子のあかちゃんが可愛すぎる、その無垢な瞳よ)
そしてそのひとつひとつはバラバラなのに、例えば、最初に出てきたバレリーナの女の子が、新しいバスケットシューズを買った男の子の乗るバスに乗っていたり、集合住宅のある住人の部屋の真上に住んでいたり、小さな遊び心をもってページ全体にゆるやかに繋がりが生まれているのです。
そしてふと、それはまるで、この現実世界の在り方のようだと気づくのです。
一見全く関係がないように見えても、同じバスに乗っていたり、実は近くに住んでいたり、見ていても見ていなくても、実は月の光がふんわりすべてのものに光を投げかけているという事実のように、見えないところでふんわり繋がりあって生きているのだよ私たちはと、感覚で訴えかけてくるのです。
まるく、優しい感覚。
月はその象徴なのです。


まだ、「まんま!(ご飯、おっぱい、ママの意」と「ぱぱぱ」(パパの意)しか言えない1歳の愛息子だけれども、そんな言葉の未熟な存在に対して、この世界はゆるやかで優しい繋がりに満ちていて、それでいて美しいのだよ、と希望をもって伝えられるのは絵本の醍醐味だと思います。

私が一番好きなシーンは、海で泳ぐクジラがでてくるところ。
街の中の様子から、ふっと一気に遠い遠い海洋へと意識を持っていかれます。
不思議に思うかもしれないのですが、そのページをみたとき、
私は自身が初めて燕岳に登った時に、山荘から朝焼けの雲海を見下ろしたときの気持ちを思い出したのです。
地上にいるときは、その世界のしがらみにまみれて生きているし、この窮屈な環境、これ以外に世界はないように思えるけれど、
でも世界にはこんなにも雄大で美しい一面も確かにある。
そのことを知れた時、身体の奥底から少しだけ希望が湧いてきたような気がしたのです。

苦しいとき、辛い時、世界のどこかには氷の海を悠然と泳ぐ1頭のクジラが飛沫を上げているかもしれない。
そう考えると、本当に本当にほんのわずかだけ、希望が持てる気がするのです。


私の愛息子には、そんな遠い氷の海のクジラのような存在を、これから沢山知っていってほしいなと思うのです。














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