マインドコントロールについて思う事 カルト教団・創価学会を参考に
はじめに
マインドコントロールなど存在しない、とか、定義が出来ない、等という言説が罷り通り、また、自民党と公明党、更には創価学会の反対によって、カルト宗教の被害者救済を目的とした被害者救済法にマインドコントロールという文言が掲載されず見送られた。
そこでこの説の真偽を検証して行こうと思う。
マインドコントロールは存在しないのか?
最初に結論を書きますが、存在します。
存在しないとする主張自体が意味不明で理解できません。
オウム真理教が実際に、どのようにして信者達をマインドコントロールしたのか、これについては散々語られている話ですので、ここでは詳細に触れませんが、そういった事実が語られ、何度も報道されているにもかかわらず、平然と「存在しない」と言い張る神経を疑います。
どのような意図でそのような嘘を吐くのか、あるいは、主張するのかについては、その人の立場がある為、目的も意図も各々異なると考えられますから、十把一絡げには出来ませんが、一つだけ言える事は、そのような嘘が罷り通る事によって得をしているのは、信者達にマインドコントロールを働いているカルトだという事です。
定義が出来ないのは事実か
これに関しては、要するにマインドコントロールと言うのは、教団に依存させ、教団の指示を絶対と考え、出された指示には絶対に従い実行する事、簡単に言ってしまえばこういう事です。
この点、フランスのセクトの定義が非常に判り易いです。
信者から無条件の忠誠、 批判的思考の減少、一般に受け入れられている基準(倫理的、科学的、市民的、教育的)との断絶を獲得することを目指し、行う精神操作の事をマインドコントロールと呼ぶわけです。
心理学ではかなり研究が進んでいるみたいで、少し調べただけでも様々な情報が出てきますが、では具体的な手口はどうかと言えば、当然の事ながら、無数にあるわけです。
従って、定義に関しては、法律に盛り込むのであれば、かなり抽象度の高い文章にして、適用時の自由度を高めておくか、あるいは、省令その他で定めるとして置いて、定期的に専門者会議を招集し、どのような手口をマインドコントロールとして認定するのか、その都度、最新の情報に変更するような形にするのか、かなりの柔軟性が必要になるものと考えられます。
これに関しては、法案を急ピッチで進め過ぎた為、とてもじゃないが定義して法律で縛るのには時間が短すぎたせいもあるのだろうと思います。
実際のマインドコントロール手口
創価学会を参考に
創価学会は日蓮仏法の正統な後継者であり、常に正しく間違った事はしない絶対的正義の団体である
創価学会は日蓮正宗の信徒団体である法華講から始まっています。
そして日蓮正宗は日蓮を崇拝しています。
だから日蓮がどんな人物なのか知らないと理解できませんが、このカルト団体の性質は、立正安国論を読めば概ね理解できます。
立正安国論は大した分量でなく、1時間もあれば読める程度のものですので、詳しく知りたい方は現代語訳を読む事をお勧めします。
この中でどんな事を書いているか、ですが。
日本で天変地異や飢餓、戦乱が絶えないのは、日本が間違った仏教を信仰しているからである。日蓮が唱える仏法こそが正しい仏教であり、その他は邪教である。今すぐ幕府は日蓮の唱える仏教を国教として正しい信仰をすると同時に、邪教を徹底的に弾圧し、邪教の僧達を餓死させて殺し、信者達は折伏して正しい仏教を信仰させなさい。また日蓮の弟子たちは武器を手に取って邪教徒達と戦いなさい。さすれば国難は去るであろう。
要約するとこんな感じです。
日蓮がこのような考え方を持っている為、日蓮正宗は性質的に、仏教の宗派としては珍しく、多神教よりも一神教に近く、原理主義的であり、他宗派・他宗教に対する寛容性が極めて低く、また、非常に攻撃的です。
また、こうした日蓮の思想から、自分達の存在が、常に正しく間違った事はしない絶対的な正義である、という考え方が現れます。
同様の理由から、日蓮正宗と同宗を破門され新興宗教となった宗教団体には、我こそが日蓮仏法の正統な後継者だと主張し、互いに譲らない特徴があります。
日蓮仏法は国法の上位概念である
イスラム教を見ると判り易いですが、宗教が国の上に来ます。
創価学会もそれと同じで、日蓮仏法は国が作った法律よりも上に位置するものだと考えます。
学会活動が違法である場合、間違っているのは法律の方だから、破ってもよい
日蓮仏法の正統な後継者である創価学会は、常に正しく、間違った事はしない絶対的正義の団体で、日蓮仏法は国が作った法律よりも上に位置するわけですから、創価学会の活動をしている際、それが違法だという事になれば、間違っているのは法律の方であって、破っても問題ない。
昔から創価学会や学会員による犯罪が多発するのはこれが原因です。
仏敵(学会迫害の悪人)は厳罰(げんばち)で野たれ死ぬまで攻め抜け
これは聖教新聞の寸鉄に乗った言葉ですが、この言葉は日蓮が立正安国論で記した内容を基礎としたものです。
日蓮は邪教徒は殺しても問題ない、仏教が説くところの殺人には当たらない上、功徳で位が菩薩に昇るだの、直接武器を手にして殺すのがまずいなら、お布施しない事で餓死させればいいだの、こういう異常な事を本当に立正安国論の中で語っています。
直接手に駆ければ殺人だが、お布施をせずに餓死させれば、殺意をもってそれをやったとしても、自分が直接やったのではないから殺人ではない(言うまでもない事ですが、仏教の性質を考えたら、こんな詭弁、通るわけがない)という考え方から、自殺に追い込んで殺害するのは、あくまでも手を下したのは本人だから、殺人には当たらない、同様に、執拗な嫌がらせで相手が精神的苦痛を感じようが、精神障害を発症しようが、それらも全て、本人が弱かったからそうなっただけ、仏罰を受けるような事をした本人が悪いのだから、実行した学会員は全く悪くないという、とんでもない考え方が出てきます。
道徳的にも倫理的にも完全に破綻していますよね。
学会員が徒党を組んで執拗な嫌がらせをし、自殺に追い込んで殺そうとするのも、日蓮が立正安国論で説いた事を忠実に実践しているだけです。
謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる
これは書いてあるままです。
謗法者というのは、邪教徒、即ち、創価学会以外の宗教を信仰する全ての人、並びに、学会批判者、退転者は脱会者の事です。
1990年代に脱会者に対して嫌がらせが行われた際、週刊文春の記者が面白い事を書いています。
このカルト教団の特徴は、学会員達に、「謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる」と刷り込んでおきながら、実際に地獄に落ちす行為を仏罰と称して学会員達に行わせて、その嫌がらせの被害によって人為的に地獄に落とされた姿を「仏敵(謗法者、退転者)に仏罰が下った」と言い張る点にあります。
実は創価学会にはこんなエピソードがあるのを御存知でしょうか。
一応指摘しておきますが、「自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流している」事を承知で聴いているのに、女子部員達は感激して涙を流しているのです。
は?って思いますよね。
花の開花やどぶ池の鯉なんか、学会員が演出してやってるのに、やった本人が感激して喜んでいる。
理解不能でしょうが、浦沢直樹氏原作の漫画20世紀少年の映画版では、ホールの壇上で聴衆を前に仕掛けで空中浮遊をして見せて、聴衆が「おおっ」とどよめき、仕掛けを知っているセット裏にいた万城目が「馬鹿かよこいつら」と呆れていると、セット裏でワイヤーを引いて空中浮遊を炎暑つ下スタッフが、なんと、「浮いている……」と驚愕し、壇上で浮いている友達を驚きの眼差しで呆然と眺めていて、その姿に万城目が驚くというシーンが最終作で出てきます。
無論、空中浮遊している事を信じ込ませる為の巧妙な仕掛けが幾重にも施されており、その状況で空中浮遊をした結果がこのような現象を起こしているわけです。
マインドコントロールされたカルトの信者達を表現する象徴的なシーンとして挿入したのだと思われますが、創価学会の内部でも、似たような事が起きているという事なのでしょう。
即ち、自分達が行動する事によって、人為的に相手を不幸のどん底に突き落としたり、自殺に追い込んだりしているのに、何故か、やっている本人達は、仏敵に仏罰が本当に落ちてそうなったのだと認識している、という事です。これなどはマインドコントロールされた人間に特有の現象でしょう。
無論、マインドコントロールが解けていたり、解けかけている人であれば、人為的に嫌がらせをして自殺に追い込んだ、不幸のどん底に突き落としただけだと認識できるわけですが、できたらできたで、今度は「この異常なカルト教団にら逆らったら何をされるかわからない」という恐怖心が働く為、脱会や口外を阻止できる効果も期待できるわけです。
学会からの指示は絶対である(守らなければならない、実行しなきければならない)、学会からの指示に従わなかったり、歯向かったりすれば地獄に落ちる
これも書いてあるまんまなんですが、創価学会は日蓮仏法の正統な継承者であり、正義の団体であり、学会活動は常に、絶対的に正しいという考えを刷り込んでいるわけです。しかも学会活動と法が抵触する場合には、間違っているのは法であり、破ってもいいとすら教えています。
そこから当然、学会からの指示は絶対である指示に従わなければ地獄に落ちる、学会に歯向かえば地獄に落ちるという考えが導き出されます。
地獄縛り
このように創価学会は、何かにつけ「地獄に落ちる」と教え込み、マインドコントロールの掛かり具合の強い学会員程、地獄に落ちる事を恐れて、創価学会の言いなりになっているという実態があるわけです。
信心のおかげ
願い事が叶えば信心のおかげ、叶わなければ努力不足、いい事があれば信心のおかげ、悪い事があれば信心が足りない、何かにつけ信心のおかげという事にして、その人の努力を評価しなかったり、偶然による不幸などの予想を軽視するか、無視する傾向があります。
このような思考を植え付ける事で、信仰心を更に強めさせ、マインドコントロールの掛かりをより強化する事が可能ですが、反面、頑張っても自分の努力が評価されず、認められない為、鬱病の原因になるとも言われています。
魔・宿命転換
創価学会は、何かにつけ、「魔」という言葉を用います。
魔の働き、魔の仕業、魔に勝つ為……等々。
宿命転換という言葉も好んで使われます。
それ以外だと、試されているとか、深い意図がある、だとか。
簡単に言ってしまうと、生起する出来事を全て創価学会に都合よく解釈する為のロジックとしてこれらが存在し、そのような思考の枠内でしか考えない人間に仕上げる事によって、マインドコントロールが絶対に解けないような仕組みになっているという事です。
これはマインドコントロールからは話題が逸れますが、学会員達は日蓮の説いた仏法というフィルターを通して現実に生起する出来事を見る為、それ以外にも、現証がどうのとか、かなり特殊なものの見方をします。
その為、創価学会に限らず、これは日蓮正宗にも言える事ですが、これらの宗教や宗派を崇拝する人達に対して、オカルト的だと感じる人が多いようです。長井氏が言っている死に顔の相の話は有名ですが(ちなみに現在の創価学会では、流石に死に顔の相に関してはやらなくなったようですが――ただし一定の年齢以上の会員達は人によりけりです)、異様ですよね。
『葬式での死に顔を視て「苦しんで死んでる、地獄に行った」と故人の家系の宗教のせいだと結論付け悪罵する』の部分がそうです。
その人の死んだときの顔の相として人生の結果が現れる、というのが、創価学会が属していた日蓮正宗の考えのようです。
日蓮正宗に過激で急進的なお坊さんがいて、かなりヤバい事をやっていたようで、やはりその人も、亡くなった人の顔を見て、相がどうのという発言をして、死者に対する冒涜だと物議を醸していた事がありました。
その件について調べていたところ、別件ですが、こうしたものを見つけました。ツイートのアドレスはこちらです。削除される可能性が高い為、スクショを貼っておきますが、こんな事をやっていたら、オカルトだと言われるのも当然ですよね……。
池田大作に対する個人崇拝
これに関しては、時期によって強化されたり、緩和されたりと、必ずしも一貫性があるわけでない事を指摘しておく必要がありますが、この件はよく知られていますよね。
『謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる』の項で触れた池田大作の神格化等もその為に行われているもので、教祖や指導者に対する個人崇拝は、カルトではよく見られる現象です。御存知の方も多いでしょうが、池田本佛論という馬鹿げたものもあったくらいです。
削除対策として、ウィキペディアの当該ページの該当項目をスクショしてアップロードしておきます。
文字が小さくて読みにくいですので、引用します。
杉の木のエピソードを別のところからも引用します。
今でもネットでネタにされる「700年ぶりだねえ」のエピソードは、池田大作が日蓮の生まれ変わりであり、杉の木と再会したというフィクションを前提として成り立った演出が出典元なんです。
このエピソードにより、矢野氏の証言は別として、池田大作の神格化は、かなり昔から行われていた事がわかります。
奇跡の演出
これはガスライティングとも被るのですが、昔は行われていたようです。池田大作を神格化する為に行われた演出もこれに当てはまりますが、ここで触れるのは、個人に対するものです。
例えば、その人が、悩み事や願い事を持っていたとします。
それは人力で叶えてあげる事が可能だとすると、水面下で本人に気付かれないように創価学会が動いて、その願い事を叶えてあげたり、悩み事を解消してあげたりするわけです。
そうして「学会員が言ったとおりにしたから叶ったのだ」と入信勧誘を掛けたり、あるいは、かける伏線としたり、「信心の賜物で叶ったのだ」と、学会員達に対するマインドコントロールを強化する手段とするわけです。
奇跡の演出はカルトの特徴と言われていて、教祖が終末論を唱えていると、大規模テロを起こす事で、現実に終末論が起きたのだという事にして辻褄合わせをしようとしたり、非常に危険な部分として語られています。
平気で人を傷つけ、法を犯す学会員達
マインドコントロールによってこうした思考を植え付けられた学会員達は、学会な批判的な人や脱会者を平気で傷つけ、嫌がらせをして人為的に不幸のどん底に突き落としたら、精神的苦痛を与え続ける事を平気でし、相手を自殺に追い込んで殺害したとしても、仏敵に仏罰が下ったとしか認識しないような、極めて反社会的な人格を持つようになるのです。
また、功徳の為なら何でもやるような人間に改造されている為、それで無冠の友と呼ばれる聖教新聞の配達をしたり、公明党への投票依頼を熱心に行うといった事もしているわけです。
多額の財務をするのも、マインドコントロールされているが故です。
危険な急進日蓮主義
これは触れておいた方が良いので触れますが、創価学会と言えば、大幹部の藤井富雄氏が亀井静香氏ら反創価学会の活動をしていた四名の暗殺を山口組系後藤組組長・後藤忠政氏に依頼したり、1971年にクーデター計画を練る等の問題を起こしていますが、そうした問題の背後には、戦前に猛威を振るった危険思想としての急進日蓮主義が関係していると考えられます。
クーデター事件である226事件の皇道派青年将校の理論的指導者であった北一輝は日蓮主義者として有名で、暗殺テロ事件である血盟団事件も主導した井上日召は日蓮主義者として知られています。
急進日蓮主義は暗殺テロやクーデターの温床となったと言われていて、旧日本軍内部でも猛威を振るったと言われているようですが、終戦後、創価学会にはそうした急進日蓮主義を信奉する旧日本軍の軍人らが入信してきたそうです。
その事が原因で、創価学会を足場にクーデターを起こすのではないかとの噂が流れたとか、その為に国から警戒され、公安警察の監視対象に、公安調査庁の調査団体になったのではないかとする話もある程です。
また藤井氏自身が『旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。陸軍士官学校、第二次大戦終戦直後に創価学会に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学会を支えた』(Wikipedia『藤井富雄』より引用)とあり、そうした旧軍の将校の一人だった可能性もあります。
また、Wikipediaの日蓮主義のページに『長松による日蓮主義は、極度な原理主義、純粋主義に依ったため、智学や日生らのそれとは逆に国体思想や国家神道、それに基づく神社参拝などの行為すべてが日蓮の教えに背く謗法として、「謗法払い」などの過度な排他性も帯びるようになった。日蓮主義との間接的な影響が見受けられる戦後の創価学会、顕正会による「国立戒壇」論や「折伏大行進」はこうした影響の産物であることは否めない』との記述もあり、創価学会が日蓮主義の影響を受けていた可能性についての言及もあります。
学会員達が仏敵や敵対者に異常な好戦性を持ち、平気で自殺に追い込んで殺そうとしたり、執拗な嫌がらせを加えても平気の平左でいる事の裏には、マインドコントロールされている事もさる事ながら、こうした急進日蓮主義の影響も全くないとは言えないのでしょう。
人間理解を文学的に行う事の害
人間は理性を持っただけの動物に過ぎず、狂暴である。平気で人を殺す事もする。しかし、人間は、そのような人間の凶暴性や凶悪性を直視したくないから、理由をつけてそのような行為を働いた者を「普通の人間ではない」と線引きをする事によって、精神的な安定と平和を得ようとする。
このような解釈は間違いではないでしょう。
事実の部分もあると思います。
しかしそれをカルトが信者達をマインドコントロールして行われたカルトに特有の組織犯罪まで当てはめるの間違いです。
考え方としては、このようなもののようです。
カルトが起こしたテロ事件や異常な殺人事件の数々を、同じ人間が起こしたものだと考えたくない。そこで異質な人間が起こした問題だった事にして誤魔化そうとするロジックとして使われたのがマインドコントロールだ。人間は凶暴で凶悪であり、カルトが起こした犯罪も、所詮、人間のそういった野蛮な側面が出ただけでしかない。
全然違いますよね。
その人間の持つ価値観や倫理観、道徳観をぶっ壊す。カルトに都合のいい価値観や歪められた倫理観、道徳観を植え付け、カルトの指示通りに動く忠実なロボットに仕上げる。そうして作った信者達に起こさせた事件が、一連のテロ事件と殺人事件であり、マインドコントロールは確かに存在します。
これが理解できないのは、恐らく、マインドコントロールされた人間の姿を見た事がないのでしょう。私は実際に嫌がらせに手を染めている学会員達の姿を知っているからわかりますが、マインドコントロールされると、そもそも顔つきからして変わりますし、物凄く異様ですよ。
人にもよると思いますが、多くの人がマインドコントロールされた人間の表情として指摘するのが、無表情だというものです。感情の籠らない鉄面皮のような顔つきになると言われています。
マインドコントロールとガスライティングはカルトの信者掌握の両輪
ガスライティングには、相手を心理的に支配する目的で行われる効果もある事を御存知でしょうか?
以下は専門家のサイトからの引用です。
こちらは別のサイトになりますが。
こちらのサイトでガスライティングに関して深く掘り下げています。
ガスライティングについて誤解を生まないように最初に注釈すると、この行為は、実は昔からあるものです。用語として成立してからが比較的新しいだけで、手口そのものは、それこそ大昔からあります。
そしてガスライティングが行われるのは、カップル間、夫婦間、親子間、その他、職場や師弟関係にある者等の閉鎖的空間で、その中でも最もよく起こる場所が、宗教団体の中です。小規模の宗教団体では非常に起きやすくなり、カルトの場合であれば、ほぼ100%、発生します。
これなんかはもろに当てはまりますよね。
読んだ人で気づいた方もいらっしゃると思いますが、これは福岡県篠栗町5歳児餓死事件で赤堀がママ友にやった手口そのものです。
そして多くの方がこの事にもお気づきだと思います。
「ここまで強烈じゃないけど、学会員のやり口とよく似ている」
まずは相手に近づく。友好的な態度で接し、少しずつ、さりげなく、また気取られないように、個人情報を引き出していく。人によっては、あの人があなたの悪口を言っていた、と事実無根の嘘を吐いたり、あの人は危ないから近づかない方がいい、と嘘の情報を伝えたりして、歓心を買おうとすると同時に、自分に対する依存度と信頼度が高まるように工作する。宗教の話だと分からないように、それとなく、自分の信仰する宗教に関する話を散りばめて、教義に関連する話題を入れられるように誘導する。頃合いを見計らって、これは行けそうだと踏んだら、勧誘をかける。
これは創価学会の手口を意識して書きましたが、他のカルトにも当てはまりますよね。新興宗教の中にも当てはまるところはあると思います。
カルトの勧誘活動は、大なり小なり、ガスライティングを働いているという事です。それが露骨であるか、そうでないかの違いはありますが、まず、入信に至るまでは、ガスライティングによって、勧誘を行う主体である信者側に、勧誘対象者の関心を引き寄せる必要があるわけです。無論、この時点で、マインドコントロールの触りに当たるような部分を実行し、既にマインドコントロールを緩やかながら実行する事もあります。
そうして入信させたら、マインドコントロールをどんどんかけて行くわけです。それと同時に、組織や信者達に依存させ、脱会させない目的で、強力にガスライティングを仕掛けて行く事もします。
創価学会には「外部」という言葉があります。
学会内部の「内部」に対して、非学会員達が形成している一般社会の事を「外部」と呼んでいるわけです。敵味方の線引きを鮮明とし、内と外とに社会を分断するやり方も、ガスライティングそのものです。マインドコントロールでもこのような手法が取られます。
このように、カルトにとっては、ガスライティングとマインドコントロールは、入信勧誘から信者達を教団に縛り付けて、教団を営んでいく上での重要な両輪になっているという事です。