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極度の人見知りが60名の教室で話せる講師になるまで —— 「私人見知りなんです」ではなくなった日


幼少期、私は極度の人見知りでした。今では誰にも信じてもらえないほど社交的になりましたが、かつては人と話すたびに、特に初対面で何を喋ればいいのか分からず、思わず「わ、わたし人見知りなんです!」と口走ってしまうような人間でした。その言葉を発した後の気まずい沈黙と張り詰めた空気。そして相手も「あ、私も人見知りで...」と言い出したときの、より一層重たくなる空気。今でもその感覚を鮮明に覚えています。

今は講師という仕事柄、毎日たくさんの人と関わり、60名もの受講生を前に話をすることが日常となっています。この変化に、以前の私自身が一番驚くかもしれません。まさか未来に大勢の前で話をしていることとなるとは。いったい何が、この内向的な少年をそこまで変えることができたのでしょうか。

その答えは、大阪の大学に進学して間もない頃の、ある出会いにありました。

大阪弁の渦に巻き込まれて

滋賀の田舎から出てきた私にとって、大阪の大学は別世界でした。夢にまで見た情報工学科。しかし入学して間もない頃は、その環境の違いに戸惑うばかり。教室に入っても、周りの会話の輪に入れず、ただぼんやりと座っているだけの日々でした。

そんなある日、隣の席に座った男性が、突然話しかけてきました。

「どっから来てるん?」
「へぇー、滋賀やったらめちゃくちゃ遠そうやな」
「冬とか雪とかめちゃくちゃ降るんちゃう?」
「2階から出入りするとかほんまにあんの?」

次々と繰り出される関西弁の質問。私は戸惑いながらも、なんとか答えを返します。彼の話し方には不思議な魅力がありました。質問と質問の間に間を置かず、まるで会話をキャッチボールのように楽しんでいるような。

そして彼は突然、「そうそう、ノリツッコミって知ってる?」と話題を変えました。

「ほな、教えたるわ」
「いくで」
「8月は30度くらいあるらしいわ。ほんま暑くなったなー」
「この調子で行ったら、12月なんか何度まで上がるかわからへんな」

会話の意図が分からないまま付いていくと、ここで私の出番が。

「そうそう、12月なんかは45度とかそんなもんやわ...って、なんでやねん!」

思わず突っ込んでしまった私に、彼は満面の笑みを浮かべました。後で分かったことですが、これは関西の伝統芸「ノリツッコミ」という言葉遊び。相手を自然に「ツッコミ」に誘導する話術だったのです。

関西には「ボケ」と「ツッコミ」という文化があります。彼はその両方をバランスよく織り交ぜて、変幻自在の話術を操っていました。

「面白さ」という新しい物差し

大阪の「面白さ」の基準は、私の想像をはるかに超えていました。例えば彼は、私の「ごめんちょっと遅れるわ」という連絡に、「何分くらい?」と尋ねてきた。「3日くらい」と返すと、「ちょっと待たれへんな」「なんとか2日くらいでこれんかな?」と、現実離れした時間のやり取りに持ち込んでくる。会話が、まるで即興劇のように展開していくのです。

それは、日常のあらゆる瞬間を「面白い」に変換する技術でした。時にはスケールを極端に大きくし、時には視点を真逆に変える。彼の周りにいると、つまらない出来事など存在しないかのようでした。

彼の技術は、まるでストリートファイターのようでした。どんな状況でも受け身を取り、それを技に変える。相手の言葉を受け止めて、想像もしなかった方向に展開させていく。どんな人でも彼にかかったら、よいところを引き出されて、面白い人になってしまう。私は彼の横で、その妙技を目の当たりにする日々を送っていました。

例えば電車が遅延したとき。私が「また人身事故か…」とため息をつくと、「いや、運転手が我慢しきれずトイレ行ってるんとちゃうかな」「それか、運転手が二人いて、いつ出発するかで、言い合いしてるとか」と畳みかけてくる。現実を少しだけずらして見せる技術。それは、重たい空気を一瞬で変える魔法のようでした。

彼は決して「おもんない」とは言いませんでした。しかし私は、彼に面白いと思われたいという一心で、日々会話の腕を磨いていました。そして、会話の千手観音たる彼の顔に「その手があったか」という表情を引き出せたとき、この上ない喜びを感じていたのです。

昔の技が、今に生きる

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