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【第1回】文化の闇鍋会レポート 『アート・ワールドって何?』

皆さんはじめまして。
立教大学大学院社会学専攻 小泉ゼミ所属、修士1年の齋藤です。

私たち小泉ゼミでは、カルチュラル・スタディーズをはじめとして、アートやカルチャー、文化政策、ライフスタイルなどを専門に研究を行っています。

そんな小泉ゼミの院生が主催する研究会「文化の闇鍋会」の第1回が、2022年6月15日に開催されました。
今回の担当は、修士2年の松本さん。ハワード・S・ベッカー の『アート・ワールド 』の文献講読を行いました。

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Howard S. Becker, 1984, Art Worlds
(後藤将之、2016、『アート・ワールド』、慶應義塾大学出版会)

今回は、研究会の主催者である院生4名は一冊丸ごと、それ以外の参加者は第1章のみを読んできて参加するといった形式で進めました。

全 484ページとかなり重量感のある一冊ですが、「アート・ワールド」を包括的に論じるためには仕方ない、と言わんばかりの内容の充実度。それぞれの章にあらゆる角度からのアート・ワールドを解き明かすヒントが隠されています。

ベッカーは、アート作品はアーティスト本人の才能によってだけでなく、その周辺の作品を取り巻く人々や構造によって成り立つと論じ、それこそが「アート・ワールド」だとしています。そこでの相互作用、集合的行為を読み解くというのが今回の主題となりました。

特に私たちの議論が白熱したのは、第3章「資源を動員する」と 第6章「アートと国家」。
アートプロジェクトの中で補佐的な位置付けをされる「サポート人員」が「互換可能な部品」であるという記述に対しては賛否両論、様々な意見が交換されました。
また、国家が個人やアートに介入している点が強調されていたことに対し、アメリカという個人の権利が強い国でこのような議論が出てくることが興味深かったです。この「アートと国家」の部分については、日本のアートワールドに繋がる部分があるのではないでしょうか。

また、ベッカーが論じた「ラベリング理論」と結びつけ、アートは権威や制度によって作られた枠組み(によるラベリング)によって、アート/アートでないものという定義づけがされ、それがアートを保証するものになるといった意見も出ました。

ベッカーの議論が、現在の日本の現状に全て該当するわけではないことを共有した上で、それでもこの複雑で膨大なアートと社会の関係性を包括的にまとめ上げた『アート・ワールド』は、アートを学ぶ一学生として必読の一冊であることを再確認しました。

【まとめ】
初回の研究会ということもあって、進行や文献のボリュームなど悩ましい部分もありましたが、全体を通して活発な議論ができた有意義な時間となりました。

普段の授業より、個人的な感想や経験なども共有しやすい空間で、まさにそれぞれの具材を持ち寄った闇鍋会になったのではないかと思います。

次回の研究会は来週7/13(水)17:30〜、場所は小泉研究室を予定しています。
→(追記)日程延期となり、8/26(金) 17:00〜に変更となりました。
内容は、毛利嘉孝『はじめてのDiY』の文献購読、テーマは「世の中お金!に対するアンチテーゼ」。

文献のサブタイトルに「何でもお金で買えると思うなよ!」とあるように、資本主義社会の中で「オルタナティブなモノ・コト」を自分たちの手で作り出すことに考えていこうと思います。

次回も、参加者の興味関心を持ち寄った「闇鍋スタイル」で研究会を進行していきます。参加希望の方、ご興味ある方は、お気軽にご連絡ください!
(企画担当:オウ 22mb019h@rikkyo.ac.jp )

それではまた次回お会いしましょう。以上、記録担当の齋藤でした!

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次回研究会の告知ポスターです!
(場所は「小泉研究室」に変更になっています)

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