【安倍晴明を大河ドラマに】晴明伝奇―シン・安倍晴明一代記
【安倍晴明を大河ドラマに】『晴明伝奇』のあらすじを紹介します。
『晴明伝奇』は安倍晴明と陰陽道の主神泰山府君の娘・碧霞元君の複雑な運命の絡み合いを中心に晴明の生涯を辿る物語です。全50話。
晴明がどのような一生を送ったか分かる史料は少ないので創作は必須ですが、できる限り史実に基づいています。
あらすじ
妖狐の血を引く安倍晴明は、幼い頃に陰陽道の神である泰山府君の娘の白雪と出逢い、仙界に足を踏み入れる。二人はすぐに惹かれ合うが、彼らには元の世界での生活があったので、別れなければならなかった。晴明は白雪との再会を目指して将来有望な陰陽師の賀茂保憲に弟子入りするが、一人前の陰陽師になるにはとても長い時間を必要とした。
やがて晴明は記憶喪失の少女を救出し、彼女を梨花と名付けて世話をし始める。彼女の正体は、自らの仙人の力と引き換えに地獄の災いを鎮めて人間に転生した白雪だが、晴明はそのことに気付いていない。さまざまな紆余曲折を経て晴明と梨花は夫婦の契りを結ぶが、幸せな時間は長くは続かなかった。二人の愛は冥界の神々を怒らせ、残酷な運命によって引き裂かれてしまう。
長い年月を経て晴明はかつての妻と再会を果たすが、彼女は人間であった時の記憶を失っていた。今や碧霞元君という真神になっていた彼女と晴明の間には大きな隔たりがあった。二人は種族や身分の差を乗り越えて、一瞬の出逢いを永遠の愛に変えることができるのだろうか?
『晴明伝奇』の資料は下の記事にまとめています。
参考文献を下の記事に記載しています。
安倍晴明は2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』にも出演していました。
さらに、安倍晴明は大河ドラマの主人公になってほしい歴史上の人物にもランクインしています!
物語の内容
第1話 仙界への誘い
▶時期:延長八年(930)
遥か昔、宇宙の根源である太極が陰陽の両儀に分かたれたとき、邪悪な陰気が集まって巨大な九尾の狐を形作った。この狐はすべての物の怪の頂点に立つ妖神として、人類を滅ぼし魔界を作ろうとしていた。天地の神々は、唐土と天竺を滅ぼすことに失敗した妖神の次の標的は日本だと予想していた。
日本では、狐が棲むという言い伝えがある信田の森の神社に参詣している一組の親子がいた。父親はかつて白狐と夫婦の契りを結んだ安倍益材で、彼の息子が満月丸である。益材は行方不明の妻葛子との再会を祈願するために、息子を連れて参詣したのだ。満月丸は帰り道で五色に輝く甲羅を持つ亀に遭遇し、国で定められている瑞獣だと思い出して好奇心を湧き立てられ、後を追いかける。しかし、彼は亀を追いかけているうちに不注意にも池に落ちてしまう。
満月丸は池の奥深くに沈んでいき、何かにぶつかった感触を覚えたと同時に、少女の悲鳴が聞こえた。満月丸が目を開けると、ちょうど起きあがろうとしていた少女が訝しげに彼を見つめていた。満月丸は少女に謝罪し、この状況を不思議に感じていると、遠くから仙人のような風貌の女たちが少女を心配して近づいてきた。すると、少女は何事もなかったかのように振る舞い、満月丸の無事を確かめた。満月丸が顔を上げると、荘厳な宮殿が目に入った。少女は白雪という名の仙女で、満月丸が追っていた亀を龍宮の門の前で待っていたのだ。この亀は龍宮の彩亀で、人間界を遊覧しているところを満月丸に見つかったのであった。
白雪は龍宮に辿り着いた満月丸を珍しく思い、彼を龍宮に案内した。龍宮の中には想像を絶するほどの魅惑的な景色が広がっており、白雪は緊張している満月丸の手を引いて観光した。二人は龍宮の中で四季を体験し、玉のように光り輝く宮殿を目にする。四季のない世界に住む白雪は、時々龍宮を訪れて人間の世界を体験していた。彼女は一人前の真神になるまで地上に出ることを許されなかったのだ。満月丸は白雪が暗闇に包まれた世界で暮らしていることを不憫に思った。満月丸には地上よりも龍宮の方が美しく感じられたので、人間界に憧憬の念を持つ彼女を不思議に思った。
白雪の住む世界の神々は陰陽道の神として信仰されており、人間の運命を司る役割を担っているが、彼らは人間の悪行ばかり目にしているため、人間は邪悪な生き物だという偏見を抱いていた。しかし、人の善悪を判じる立場である白雪は、人間と直接関わって神々の考えが正しいのか見極めたいと考えていた。彼女にとって満月丸は彼女が初めて接した人間だった。二人はほんの少しの時間を共に過ごしただけだったが、白雪は満月丸が善良な性格だと見抜き、人間は悪人ばかりではないのだと安堵した。満月丸は白雪から陰陽道について詳しく教えられ、興味をもつ。
観光を終えた後、二人は東海竜王に謁見する。竜王は満月丸の来訪を喜び、記念として龍宮の鎮宅霊符を授ける。この霊符が貼られた建物は、あらゆる災害や怪異を遠ざけるという。
やがて、満月丸が地上へ戻る時が来た。白雪との別れを惜しんだ彼は彼女に再会する方法はないのかと尋ねるが「白雪は人間界と仙界は遠く隔られており、本来逢うことはできないものだ」と告げる。満月丸は落胆し、白雪は彼を哀れに思って「今日のような思いがけない出来事があって、また逢えるかもしれない」と励ます。満月丸は白雪の仙術によって泡に包まれ、龍宮を離れて地上に昇っていった。
地上に戻った満月丸は益材と合流し、一連の出来事を説明した。益材は「そなたを失ったら、母上に合わせる顔がない」と目に涙を浮かべながら満月丸を叱り、満月丸は二度と危ない道を渡らないと約束する。
帰宅した満月丸は、早速家の壁に鎮宅霊符を貼った。満月丸が益材に陰陽道について尋ねると、益材は彼に一冊の書物を手渡した。その書物は金烏玉兎集という陰陽道の秘伝書で、葛子が実家から持ってきたのだ。益材は金烏玉兎集の内容を理解することが難しく、部屋の奥底に眠らせていたのであった。この書物は、葛子が唐土にいた時に吉備大臣から譲り受けたものだった。満月丸は母がかつて唐土にいたと知って驚きを隠せなかった。満月丸は秘伝書をぱらぱらとめくってみたが、まだ幼い彼には難しい内容だった。しかし、彼は母が遺した秘伝書を何とかして理解したいと思い、勉学に励んだ。
平安京では疫病が流行し、安倍家でも多くの家人が亡くなった。この家は鎮宅霊符のおかげで火災に遭うことはなく、泥棒に侵入されることもなかったが、疫病を遠ざけることはできなかった。やがて益材も疫病に罹り、病床に臥してしまう。満月丸は懸命に父を看病したが、彼を病から救うことはできなかった。益材は満月丸が疫病に苦しまないことを祈りつつ、葛子との再会を果たせなかった未練を残して息を引き取った。こうして、満月丸は天涯孤独の身となってしまった。
第2話 弟子入り志願
▶時期:延長八年(930)
家族を失った満月丸の家に、益材に仕えていた陰陽師の賀茂忠行が訪ねてきた。忠行は益材の死を悼み、葬儀の日取りを決める。主人を失った安倍家からは家人たちが離れていき、満月丸は独りで生きていくことを余儀なくされる。彼は忠行から他に身寄りがいないのかと問われ「私は本妻の子ではなく、母の身分も庶民と同然であったので、頼れる人がおりません」と答える。哀れに思った忠行は、荷物をまとめて家に来るように誘う。
満月丸は、忠行から息子の保憲を紹介される。保憲は突然の来訪者に驚きながらも、彼の境遇を哀れに思って新しい家族として受け入れる。こうして、満月丸は賀茂家の一員として暮らし始めた。礼儀正しい彼はすぐに賀茂家の人々と打ち解け、母の教育の賜物だと感じた。
満月丸は龍宮の秘符を賀茂の家に貼り、金烏玉兎集を忠行に見せた。賀茂家には唐土や天竺から伝わった多くの書物が納められていたが、忠行にとっては初めて耳にする名だった。満月丸は、金烏玉兎集は母が吉備真備から授かったものだと話すが、忠行は半信半疑だった。まだ幼い満月丸は、真備が遠い昔に生きていた人物だと知らなかったのだ。
満月丸は将来のことを深く考えていなかったが、母の形見である金烏玉兎集を生かして陰陽師になりたいという志が芽生えていた。彼は、思い切って忠行に陰陽寮に入りたいと願い出るが、陰陽の道はとても険しく誰でもなれるものではないのだと断られてしまう。
一方、冥界に帰還した白雪は、祖神の泰山府君と兄の炳霊帝君の庇護下で修行に邁進していた。益材の死は、冥界に大きな影響を与えた。泰山府君の許に、冥官から「妖狐に誑かされて夫婦の契りを結んだ男がいた」という報せが届いた。日本では妖狐が人間を誘惑する事件が絶えず、妖神の次なる標的が日本だという噂も流れていたので、泰山府君は頭を抱えていた。白雪は泰山府君に妖神を倒したいと願うが、妖神を倒すためには真神の力が必要不可欠であり、仙人に過ぎない彼女には充分な力が備わっていなかった。
都では干ばつの季節が到来して天変や怪異が頻りに起こり、世の中が落ち着かなくなった。このような時は、陰陽寮が異変の吉凶を占ったり五龍祭を修して雨乞いをした。忠行は陰陽寮では長官の陰陽頭の次に偉い陰陽助で、保憲もいずれは陰陽寮に入って父の後を継ぐ予定だった。満月丸は、保憲に誘われて陰陽寮に入ることを決意する。
五龍祭の効験は未だ見られず、宮中では再び雨乞いを実施するか否か議論がなされていた。そこへ都を覆い尽くすほどの黒雲が流れてきて、激しい雨が降り注いだ。大雨のなか雷が鳴り止まず、公卿たちは慌てふためいた。その頃、陰陽寮にいた忠行は清涼殿の方角から雷鳴が聞こえたので、天災を鎮めるために急いで清涼殿に向かう。
清涼殿の柱に雷が落ちて出火し、忠行が駆けつけた時には地獄絵図のような光景が広がっていた。すでに何人かの公卿が落命しており、忠行が辺りを見回すと藤原忠平が一心不乱に念仏を唱えていた。忠行は忠平を守るために彼の側に走り寄り、鳴弦の法を行った。少し遅れてほかの陰陽師たちも駆けつけ、忠行の後に続いた。やがて雷は止み、天が晴れた。忠平は無傷だったが、現場にはいくつもの死体が転がっていた。
ある日、帰りの遅い忠行の身を案じた保憲は宮中に赴こうとするが、家人たちから制止される。その後、満月丸は人知れず家を出発する保憲を見かけて、彼の後についていく。道中で満月丸は保憲に気づかれ咎められるが「従者も付けず独りで出られたので、心配になって後をつけていたのです」とありのままを話したので、保憲は仕方なく満月丸と行動を共にすることにした。忠行は宮中に残って落雷事件の祟りの有無を調べていたのだった。その後、満月丸は鬼のような風貌の男を目撃し、忠行と保憲に報せて身を隠す。三人は何とか危険を乗り越え、忠行は鬼神を見た満月丸に陰陽師の素質を見た。
この事件は菅原道真の怨霊による祟りだと恐れられ、醍醐天皇は事件の衝撃で重病に冒され、程なくして崩御された。数年後、満月丸は元服の時を迎えた。ちょうど清明節だったことから、忠行は彼に「晴明」という名を与える。忠行は「どちらの漢字も日月を含んでいるから、陰陽師を志す者にふさわしい」と自画自賛する。晴明はその名に恥じない優秀な陰陽師になることを誓った。
晴明と保憲は陰陽寮に入ったが、保憲が暦生として受け入れられた一方で、陰陽道の家系の出身ではない晴明は生徒になることができず、雑用係から始めることになった。だが、晴明は路頭に迷うはずだった自分を救ってくれた賀茂家に恩を感じていたので、不満を吐露することはなかった。
ある日、晴明がいつものように陰陽寮で働いていると、突然激しい風が吹きつけてき
た。晴明が寮の中に入ってきた砂埃を掃いていると空に黒雲が立ち込めて、昼にもかかわらず真夜中のような暗闇に覆われた。
第3話 承平・天慶の乱
▶時期:天慶元年(938)― 天慶二年(939)
晴明が不安げに空を見上げていると、大地が揺れ始めた。震動は次第に大きくなり、やがて未曾有の大地震になった。この地震は数時間続き、誰も彼も皆「このまま大地が割れて、地獄に落とされてしまうのではないか」と恐怖に震えた。地震が止み、晴明が恐る恐る外の様子を確かめに行ったところ、京中の多くの建物が損壊していた。賀茂保憲は自宅が無事か不安に駆られ、二人は大急ぎで帰宅した。幸いにも、賀茂家は龍宮の秘符に護られていたので少しの被害もなかった。
翌日、陰陽寮が大地震の吉凶を占ったところ、東西に兵革がある兆しだった。この頃、東国では平将門が、西国では藤原純友が反乱を起こしていた。将門は桓武天皇の後裔であり、純友は藤原氏の者だったので、朝廷では「将門と純友が結託して国家を転覆させようとしている」という不穏な噂が流れていた。
一方、成長した白雪は泰山府君から神器として幽冥傘を賜った。死者の生前の行いを裁くのに忙しい泰山府君は、炳霊帝君に白雪の教育を任せる。冥界に、平安京の大地震で大勢の人々が犠牲になったという報せが届いた。白雪は泰山府君に地震と妖神の関係性を尋ねるが、この災いはあくまでも兵乱の兆しにすぎなかった。彼女はぼんやりと満月丸を思い浮かべ、彼の身を案じる。
大地震の後も大地は揺れ続け、激しい風が吹き、鴨川の水が氾濫した。陰陽寮では年に一度の御暦奏が迫っていたが、地震が起こるたびに筆が揺れて大量の紙が無駄になってしまった。暦博士の大春日弘範がこの状況に焦りを感じていると、忠行は弘範をはじめとした暦道の人々を自宅に招き、この家で造暦の作業を行うよう勧める。忠行は「私の家は龍宮の秘符に護られているので、天変地異に脅かされることはない」と説明し、弘範たちはやむなく忠行の家に赴いた。秘符の効験を実感した弘範たちは、神仙の加護に感謝した。それから造暦の作業は以前より捗ったが、やがて弘範と権暦博士の葛木茂経が暦法を巡って争論になった。貞観年間に宣明暦が日本に伝来してから百年以上に渡って暦法が更新されていないため、このような暦法を巡る論争は度々起こっていた。
二人は暦法の相違によって御暦奏が遅れると奏上する。弘範は会昌革に基づいて暦を作成し、茂経は宣明暦に基づいていた。藤原実頼は造暦の論争が起こった際にどちらの説を採用していたか前例を調べさせ、その結果茂経の宣明暦を採用することに決めた。ところが、そのことを知らなかった陰陽寮は暦法が定まらないことを理由に御暦奏を延期した。数日後、陰陽寮は朝廷から御暦奏の遅延を責められ、過状の提出を求められた。実際のところ、弘範は御暦奏の前に宣明暦採用の宣旨を下されていたが、彼の暦法が採用されなかった腹いせに宣旨を報せなかったのだ。茂経は弘範が過状を書くべきだと主張するが、弘範は非を認めない。茂経の派閥にいた保憲は代わりに過状を書こうとしたが、茂経によって制止される。最終的に、このような庶務は雑用係が行うものだという結論が出され、彼らの代わりに晴明が過状を代筆することになってしまう。晴明は突然のことに驚いたが、暦道の争いを鎮めるためならと文句一つ言わずに職務を遂行した。翌月、茂経は文武兼と平野茂樹に伴われて御暦奏を行った。その後、茂経は月食の予定日を奏上し、当日に起こった月の満ち欠けは事前に茂経が予想していた動きと寸分も違わなかった。茂経は朝廷から時の好事者だと讃えられ、保憲は師のように暦道を究めれば天の動きもわかるようになるのだと感嘆した。
やがて、将門が関東の諸国を手中に収めて新皇を称すると、この状況に危機感を覚えた朝廷は陰陽寮に将門調伏の儀式を行うよう命じる。この儀式は人形を将門に見立てて、太一式盤の下に敷いて呪詛するというものだった。世間の人々は、天地の神々が将門の追討に力を貸してくれることを願った。晴明もまた、皆の祈りが白雪や龍宮の神々に届いているのだろうかと思いを馳せた。
冥界では、日本で大乱が数年に渡り続いていることが話題になっていた。白雪は泰山府君の前に進み出て「衆生が神々に平和を祈願しているのに、何も手助けしなくて良いのですか」と尋ねる。しかし、泰山府君は「衆生の祈りに応えるのは天上の神々の役目ゆえ、我々が力を貸す必要はない」と彼女の提案を却下した。白雪は闇に包まれた冥界で悠久の時を過ごすことを良しとせず、衆生に降り立ち徳を施したいと泰山府君に願い出た。しかし、未だ仙人にすぎない彼女には十分な力を発揮することができなかった。
呪詛の効果はすぐには見られなかったため、藤原忠平は賀茂忠行を召して将門調伏のために効果的な祭祀を問うた。忠行は密教の修法である白衣観音法を提案する。この修法は北斗七星の化身である白衣観音を祀ることによって兵乱を除く修法である。忠平は忠行の提案を聞き入れ、もし効験があれば褒美を授けることを約束する。
第4話 天下安寧
▶時期:天慶三年(940)― 天慶五年(942)
密教に精通している賀茂忠行は、藤原師輔に白衣観音法という兵乱の災いを除くための密教の修法を提案する。だが、密教の高僧たちはこの修法を知らなかったため、師輔は寛静僧正に行わせた。その効果がみられたのか、朝廷が派遣した使者が平将門を討ち取った。翌年には藤原純友も討ち取られ、東西の災いは鎮まった。
暦本を造る時期になり、暦博士大春日弘範はかつて造暦について議論した苦い思い出によって、権暦博士葛木茂経と共同作業することが憚られた。弘範は、暦生の中で最も優秀な生徒である賀茂保憲を朝廷に推薦して造暦宣旨を蒙った。生徒が造暦に携わるのは異例のことであり、ゆくゆくは保憲が陰陽寮の中心的存在になることは間違いなかった。
保憲が造暦に関わってから初めての御暦奏が行われた。この功績によって暦生の中でも特に成績優秀だと正式に認められた彼は、得業生になった。陰陽寮において、得業生になった生徒はいつか博士職に就けることが暗黙の了解になっていた。晴明は、保憲が博士になれば自分も陰陽寮の生徒に登用してもらえると期待した。
この頃の晴明は結婚にふさわしい年齢であったが、雑用係に近い身分の彼を受け入れてくれる女性などいるはずもなかった。晴明は、生徒に昇格することができたら陰陽寮の有力な官人の娘と結婚するという人生設計を立てた。彼の師匠である保憲も将来有望であることに違いなかったが、忠行には娘がいなかったのだ。
年が明けて、地震が頻りに起こった。陰陽寮が吉凶を占ったところ、兵革の兆しであった。朝廷は、前年に日蔵上人から菅原道真の怨霊が都を襲う夢を見たという報せがあったことを思い出した。道真が怨む者はもうこの世を去っているため朝廷は半信半疑であったが、このような異変があったので上人の予言は本当だったのかと思い始めた。世の中は再び騒がしくなり、陰陽寮は天地の動きを注意深く見守った。
冥界では、地獄を取り巻く邪気が溢れかえりそうになっていた。地獄で罰を受ける平将門の怨念が強大な邪気を生み出し、他の罪人たちの苦痛から生じた邪気と混ざり合って激しい炎となった。この火炎を鎮められるのは、水を操ることのできる白雪しかいなかった。冥界の神々や冥府に仕える官人たちを守るために、彼女は万全の準備を整えて迫りくる危機と対峙する。だが、地獄の火炎は想像以上に猛威を振るっており、白雪はすべての力を使い果たさなければ災いを鎮められなかった。
第5話 光り輝く少女
▶時期:天慶五年(942)
白雪の力と地獄の炎がぶつかり合い、激しい爆発が起こった。その反動で、彼女は地獄の深淵に置かれている浮生鏡の向こうに吹き飛ばされた。この鏡は、刑期を終えた罪人が人間界に転生する時の扉として使われていた。こうして、彼女は仙人から人間に生まれ変わった。だが、災いが鎮まった後で地獄の深淵にたどり着いた泰山府君と炳霊帝君は、白雪の姿が見当たらないことから、彼女は自らの命と引き換えに冥界を救ったのだと誤解した。炳霊は白雪は永遠に失われてしまったのだと悲しみに打ちひしがれた。
白雪は仙人であった時の記憶を失い、平安京の北山で倒れていた。ちょうどその頃、晴明は天上から光り輝くものが落下していくのを目撃した。胸騒ぎがして光を追いかけると、倒れている白雪を発見した。だが、成長した彼女を見たことのない晴明は、目の前にいるのがかつて淡い想いを寄せていた仙女だとは気づかなかった。
晴明は白雪を抱きかかえて帰宅し、女房たちに彼女を介抱させた。風変わりな白雪の外見は、賀茂家の人々を驚かせた。数日後に白雪は眠りから覚めたが、これまでの人生はおろか自分の名前すら思い出せなかった。そこで、記憶が戻るまで匿うことになった。晴明は仮の名前として彼女に梨花という名前を与えた。この生活は一時的なものに過ぎないと思っていた彼が、彼女の着ていた真っ白な衣から適当に付けた名前である。
晴明は時々梨花の様子を確かめたが、直接顔を合わせることはなく、御簾越しに彼女と言葉を交わした。彼にとって梨花のような若い女とまともに交流するのは初めてのことで、梨花にとっての晴明もまた、人間界に来て初めて接した男であった。互いの顔がわからないまま、ぎこちないやり取りが続いた。
ある日、いつものように晴明が御簾を隔てて梨花と話していると元気のない様子であった。彼女は慣れない生活に戸惑い、賀茂家の人々からよく思われていないことを知ってとても心細く感じていた。晴明は梨花をこのような状況下に置いたことに責任を感じ、不器用ながらも彼女を励ました。
梨花が賀茂家に匿われて一ヶ月が過ぎたが、彼女の記憶が戻る様子は一向に見られない。梨花をどうすべきか家族会議が開かれ、賀茂家の人々の厄介事に巻き込まれたような反応を見た晴明は、面倒なことを持ち込んだと後悔した。一方、密かに梨花の光り輝く容貌を覗き見た忠行は彼女を娘として受け入れ、立派な姫君に育てることを決意する。
第6話 賀茂の娘
▶天慶五年(942)― 天慶六年(943)
晴明は賀茂忠行から梨花を娘として育てることを告げられた。表面上は、忠行は梨花に普通の娘として幸せになることを願っているように見えた。皆が驚き戸惑うなか、保憲はこの状況を受け入れ、妹として仲良くすることにした。晴明は梨花に姫君が備えるべき一般的な教養を教えるよう頼まれ、面倒なことになってしまったと感じながらも渋々引き受けた。
晴明は御簾越しに梨花へ日記を渡した。また記憶を失ってもこれまでの生活を振り返ることができるようにしたのだ。彼女は暦の吉凶によって多くの行動が制限されることに納得がいかない様子だったので、晴明はこの家で暮らしていくのなら都の風習に従わなければならないと諭した。
晴明と梨花の交流は、これまでと変わらず御簾を隔てて行われた。晴明は梨花に和歌や漢詩を教え、庚申の日は一晩中話し相手になった。彼女から外の景色を見たいと頼まれた晴明は、女房たちの手を借りて自分たちのいない間に外に出した。そうしているうちに、梨花は女房たちと打ち解けていった。
重陽の日に、晴明は梨花から日頃のお礼として菊の酒を渡された。その酒を飲むととても気持ちよくなったので、毎年この季節に飲むことにした。寝る前に晴明は体にちょっとした異変が起こっていることに気付いたが、酔っているせいだと思い直してそのまま眠りについた。翌朝、起床した晴明は体が元通りになっているのを確かめて、思い過ごしだったのだと安堵した。
梨花は自分が何者なのか知りたかったが、かつての記憶を思い出すことはできなかった。彼女は、賀茂家の娘として生きていこうと決意し、皆の役に立ちたいと考えていた。
年が明けて、上巳の祓の季節が訪れた。晴明は梨花に顔を隠すための市女笠を被らせた。梨花にとって初めての外出だったので、晴明は彼女の手を引いて河原に連れて行った。晴明と梨花が出逢ってから一年が経とうとしていた。互いに心を通わせていたが、二人とも奥手でなかなか気持ちを伝えられずにいた。
ちょうどその頃、保憲が暦得業生から陰陽師になることが決まった。陰陽寮において、得業生は博士になる前に陰陽師として実務経験を積むことが定められていた。陰陽師が出世するためには藤原氏に重用されることが一番の近道だったので、忠行は藤原忠平との縁を頼って、彼の息子である藤原師尹に保憲を仕えさせることにした。晴明は保憲が権力者に好かれるよう、誠心誠意支えていくことを誓った。
第7話 雨乞いの儀式
▶時期:天慶六年(943)
賀茂保憲の主人になる藤原師尹は、藤原忠平の息子たちのなかでも特に冷たく厳しい性格だと知られていた。晴明と保憲は気を引き締めて彼に仕えなければならなかった。保憲は師尹から料紙を渡され、翌年の暦本を造るよう命じられた。暦の吉凶を示す日は数え切れないほど多く、晴明はとても覚えきれないと感じる。だが、保憲はこれらの吉凶日をすべて暗記していた。
干ばつの季節になり、保憲は雨を祈るために五龍祭を奉仕することになった。晴明は、いつか陰陽師になったときのために保憲の祈祷を真似てみた。すると、空が晴れているにもかかわらず小雨が降ってきた。雨はすぐに止んでしまったので、晴明にはそれがただの偶然なのか、一瞬でも天に祈りが届いたのかわからなかった。この祈祷は他の陰陽師も行い、僧侶たちも加持祈祷を行ったので、程なくして恵みの雨が降った。
保憲は師尹に完成した暦を渡した。誤りがあったときに訂正するため、晴明と保憲は師尹が暦を確認している間ずっとその場に留まっていた。ほんの少しの誤りもなかったので、安堵した。保憲は控えめな性格で能力をひけらかすようなことはしなかったが、彼の実力は自ずと世間に知られることとなった。
ある日、保憲は働きすぎて体調を崩してしまう。梨花の強い願いで、晴明は彼女と一緒に保憲の病を治すために奔走した。その過程で梨花は医学に興味を持ち、密かに学び始めた。彼女には権力者の愛人になって一族を繁栄させるよりも、保憲の健康を保って仕事を支える方が性に合っていた。晴明は自身の健康について考えた結果、菊の花が最も身体に適しているという結論にたどり着いた。そこで、家中の菊を集めて管理することにした。
偉大な師匠がどれほど名声を得ても、晴明の生活は以前と変わらなかった。普通の弟子であればこの状況に不満を抱いてもおかしくなかったが、陰陽寮の生徒たちと比べてもそれほど勉強ができないことを自覚していた彼は、陰陽師になる素質がなかったのではないかと思い悩みながらも、何とかして保憲に実力を認められようと考えていた。
師尹が立春の方違のために賀茂家に泊まりに来た。賀茂忠行は藤原氏との結びつきを強めるために梨花を利用する計画を用意していた。梨花は本来の願いではない生き方を強いられることになり、晴明への想いは断たなければならないのだろうと感じた。そして、晴明は偶然にも師尹が梨花の部屋に入っていくのを目撃する。
第8話 遥かなる夢
▶時期:天慶六年(943)― 天慶八年(945)
晴明は、自分が未だ越えられずにいた男女の境界線を藤原師尹が簡単に渡っていくのを見て、身分の違いを痛感する。実際のところ、梨花は賀茂家の役に立つことなら何でもしようと覚悟を決めていたが、緊張しきっている梨花を見た師尹は彼女との関係を持つことをやめたのだ。だが、晴明がそのことを知るはずもなく、梨花が誤解を解こうとしても信じる者はいなかった。
正月の子の日に、晴明と梨花は若菜を摘みに北山へ出かけた。その時に医師である丹波康頼と知り合い、医学に興味をもつ梨花と康頼との交流が始まった。
陰陽寮に、新しい天文奏者として明経得業生十市部以忠が入った。彼の父がかつて天文道を学ぶ宣旨を下された縁によるものであった。陰陽寮に所属していない者が外から入ってくるのは、深刻な人材不足が原因であった。晴明は、天文道に詳しくなれば天文生になれると希望を抱くが、天文道と関わりのない保憲をよそに願いを叶えることはできなかった。
それでも晴明は諦めきれず、皆が寝静まった後、天文観測をするために屋根によじ登ろうとした。その時の物音で目が覚めた梨花は、何事かと思って御簾の外へ出た。このような時でも、彼女は扇で顔を隠しながら周囲の様子を伺っていた。ようやく晴明が屋根に上がろうとした時、均衡を崩して落下してしまう。だがその時、体から九つの尾が放たれて晴明を包み込んだ。ちょうど晴明の身に起きた異変を目にした梨花は、思わず手に持っていた扇をうち捨てて駆け寄った。この時、晴明と梨花は初めて互いの顔をはっきりと見た。二人は少しの間見つめ合っていたが、我に返って皆に気づかれないようにその場を離れた。
晴明は、自分の体に妖狐の血が流れていたことを不安に感じて眠れなくなる。彼は幼い頃に失踪した母は妖狐だったのだと思い至った。梨花は驚いたものの晴明の人柄を充分に理解していたので、今さら彼がどのような存在であろうと気にしなかった。晴明もまた、梨花の正体が何であれ彼女への想いは変わらないと思っていた。二人は身を寄せ合って一晩を過ごした。
晴明は、周囲の人々とは違う特別な力が自分に備わっていると気付いたものの、この力の使い道を教えられなかったので、思い通りに使いこなすことができなかった。彼の母が正体を明かさないまま姿を消したのは、晴明に普通の人間として生きていくことを望んでいたのかもしれなかったが、晴明は妖狐の力を自分の武器にすると決めた。
第9話 秘めた想い
▶時期:天慶八年(945)― 天暦元年(947)
二人だけの秘密を共有してから、晴明と梨花の絆はより一層深まった。一度顔を見てしまった以上、二人きりの時は顔を隠す必要はなくなったが、長らく顔を見せないで晴明と接してきた梨花は、いざ顔を露わにして向き合ってみるとどうしたらいいかわからなくなった。梨花が恥ずかしそうに俯きがちになって接してくる様子は、晴明をたまらなく愛おしい気持ちにさせた。
新嘗祭の時期、梨花は藤原忠平から五節の舞姫になることを勧められた。賀茂家の役に立つよい機会だが、大勢の男に顔を晒すため返事を渋っていた。彼女は、初対面の男と逢瀬を交わす都の習わしは自分には不向きであることを自覚していた。梨花は晴明に舞姫を勤めるべきか相談し、心の内では彼が引き止めることを期待していた。晴明もまた、梨花の光り輝く容貌を他の男に知られたくなかったが、本心は伝えずに彼女の意志を尊重することにした。結局のところ、梨花は適当な理由をつけて舞姫を辞退したが、彼女は晴明の曖昧な態度に気が沈んでしまう。
村上天皇の即位に伴い、晴明は大嘗会において安倍氏の当主として吉志舞を奉納した。今や安倍氏の一族は、晴明が子孫を残さない限りは途絶えてしまう運命であった。晴明は結婚適齢期をとうに過ぎていたが、未だ陰陽寮の雑用係のような身分の晴明に嫁ぎたい女などいるはずもなく、まして彼の正体が受け入れられるとも思えなかった。晴明は、陰陽師になるまでの道のりは思い描いていたよりもずっと長かったことを痛感した。
近江国比良天満宮の禰宜の息子が夢の中で菅原道真から神託を授かったことについて、陰陽寮は吉凶を占った。その結果、神託に従い北野天満宮を創建して菅原道真を祀った。道真からのお告げがあったのは日蔵上人以来のことであった。彼が深く恨んでいたであろう人々が死してもなお、世間では相変わらず道真が怨霊と化して都に災いをもたらそうとしているとの迷信が語り継がれていた。
都では疱瘡が流行し、朝廷は僧侶たちに加持祈祷を行わせ、陰陽師たちにも疫病を鎮める儀式を行わせた。だが勢いが収まることはなく、陰陽寮でも多くの犠牲者が出た。晴明は心の内に、欠員の補充として陰陽寮の生徒になれるかもしれないという邪念が芽生えていることに気付いた。彼は自分を戒めた。晴明は特別な血が流れている自分より、周囲の人々のことを案じていた。やがてその懸念は現実となり、梨花が疱瘡に罹ってしまう。
第10話 泰山府君の法
▶時期:天暦元年(947)
疱瘡を患った梨花は隔離され、孤独な日々を送っていた。晴明は、心の内では彼女を看病したいと思っていたが、身勝手な行動で彼の師匠に病が伝染るようなことはあってはならないことだと自分を戒め、遠くから無事を祈っていた。
賀茂忠行は、密教の修法である焔羅王供行法次第には万病を治す力があることを発見する。この修法は病人の家で泰山府君の呪文を唱えれば死籍から病人の名前が削られるもので、泰山府君は陰陽寮でも延命祈願の神として祀られていた。この時、晴明は初めて泰山府君の名を知った。
本来であれば密教僧が行うものだが、晴明は妖狐の霊力を活かして梨花を救えるかもしれないと考え、泰山府君の法を修した。晴明は一心不乱に泰山府君の呪文を唱えた。その様子を陰ながら見ていた保憲は、晴明が梨花に並々ならぬ想いを抱いていることを察する。梨花は病の苦しみから救われたが、顔に疱瘡の跡が残ってしまった。晴明は梨花の様子を確かめようとしたが、彼女は醜い顔を誰にも見せたくなかった。
やがて村上天皇が疱瘡を患い、陰陽寮は疫病を鎮めるために四角祭を修したが、天皇の病は治らなかった。晴明が特別な力を持っていることなど知らない忠行は、泰山府君には疫病を治す力があると確信し、天皇を病から救うために泰山府君の法の実施を勧めた。だが、忠行が勧めたのは密教の修法ではなく、陰陽寮において泰山府君を祀る唯一の祭祀である七献上章祭であった。保憲が名を揚げるにはこれ以上ない機会だったのだ。
保憲が七献上章祭を修したのと同じ日に丹波康頼が参内した。康頼は、梅干しに疫病を治す効果があることを確かめ、天皇に食べさせた。数日後、天皇は病から回復した。保憲と康頼は共に褒美を賜ることになった。疫病で陰陽博士が欠けていたので、保憲が博士に昇格した。
保憲は疫病の影響で陰陽寮の生徒に欠員が生じたことを話し、長らく自分を支えてくれている弟子を生徒に登用してほしいと願い出て認められた。こうして、晴明は晴れて陰陽寮の生徒になった。
梨花は未だ誰にも会いたがらなかったので、晴明は御簾越しに丹波康頼から受け取った薬を置いた。そして、どのような容貌でも梨花であることに変わりはないと言い残してその場を去った。康頼の薬が功を奏し、梨花の顔の傷は以前より薄れた。彼女は晴明の言葉を信じて彼の昇格を祝う宴に顔を出し、彼が陰陽師を志したきっかけは白雪という仙女との出逢いだと知る。
第11話 蛍雪の功
▶時期:天暦元年(947)― 天暦二年(948)
梨花は、白雪が晴明の初恋の相手であると同時に、彼の人生に大きな影響を与えていたことを痛感する。晴明はそのことを認めながらも、今の自分にとって白雪は憧れの存在に過ぎず、安倍氏の末裔として一族の再興を優先しなければならないと誤解を解いた。
泰山府君の法によって病から救われたことを知った梨花は、謝意を伝えるために泰山府君が祀られている赤山禅院に参詣した。晴明も彼女の旅に同行した。梨花にとって泰山府君は初めて聞く名前であり、彼女の生みの親だとは思いもしなかった。その日の夜、梨花は自分の正体に関わる不思議な夢を見た。
本来、賀茂保憲は暦博士に就任する予定だったが、前年の疫病で陰陽博士が亡くなり、陰陽生にも適任がいなかった。そこで、優秀な陰陽師である彼が臨時の陰陽博士として生徒たちを養成することになった。陰陽生に昇格した晴明は他の生徒たちと一緒に保憲の講義を受けていたが、いずれ暦道に戻る師匠に付き従わなければならなかったため、博士への道は閉ざされていた。とはいえ、陰陽生の講義は陰陽師になるために必要な技能も含まれていたので、晴明は勉学に勤しんだ。
保憲は晴明を弟子だからといって贔屓はせず、一人前の陰陽師に育てるべくほかの生徒たちと同等に扱った。陰陽寮の教科書を外に持ち出すことは禁止されていたため、晴明は寮に留まって勉学に励み、夜遅くに帰ることが多くなった。
晴明が夜遅くまで陰陽寮で勉強していると、初雪が降ってきた。晴明は白雪に思いを馳せ、雪明かりの下で陰陽道の習得に励んだ。
そうした日々が続き、晴明は出勤前に梨花から破子を手渡された。多忙な晴明の体調を心配した梨花が、丹波康頼の指導の下で身体に良い食べ物を破子に詰めたのであった。晴明は梨花の心遣いに感じ入り、必ず陰陽道を余す所なく会得すると約束した。
保憲は藤原師輔から雷雨が止まない原因を占うよう命じられ、神社の祟りによる天変だと占った。しかし、詳細がわからないため占い直すことになった。祭神に憤怒の気が見られたことから、晴明は石清水八幡宮の放生会が行われていないことに関係があるのではないかと疑い、保憲に知らせる。師輔が八幡宮に奉幣使を遣わして放生会の件を謝罪すると、天が晴れた。世間では保憲の手柄だと讃えられたが、晴明は少しも不満を抱かなかった。彼が将来について占ったところ、謙虚な心で主人に尽くせば道は拓けると示されたからである。
第12話 まろびあう露
▶時期:天暦三年(949)― 天暦四年(950)
梨花は泰山府君の存在を知ってから時々見る夢のことが気になっていた。夢の中では、彼女に瓜二つの仙女が泰山府君の娘として冥官たちから敬われていた。梨花は自分の正体を疑ったが、今の彼女は普通の人間と何ら変わらない生活を送っているため、夢に現れる仙女がかつての自分だとは思いもしなかった。
今や賀茂忠行は梨花を本当の娘のように思っており、彼女のためにいくつかの縁談を用意した。忠行は、権力者に愛されることが都に生きる女の幸せだと考えていた。
梨花の本心がわからない晴明は、自分の許しがなければ結婚はできないと彼女に伝え、常に身の回りの世話を焼き続けた自分よりも、他所の男に想いを寄せているのかと嘆いた。すると、梨花から晴明以外の男と結婚しようと思ったことはないと言い返される。思いがけない答えに晴明はどう反応していいかわからず、気まずい雰囲気になってしまう。
都は例年よりもひどい干ばつに見舞われ、陰陽寮は五龍祭を奉仕して雨を祈った。朝廷は干ばつの影響で田園が焦げ枯れたとの報せを受けて、百姓たちに神泉苑の水を分け与えた。程なくして、雨が降ってきた。梨花は陰陽寮に残って勉学に励んでいる晴明のために、保憲と一緒に傘を持って宮中へ向かった。晴明は梨花の突然の来訪に驚きながらも、彼女を受け入れた。
激しい雨で川の水が溢れ、道路が水浸しになり通行できなくなった。雨は降り止まず、晴明たちは陰陽寮に留まらざるを得なくなってしまう。梨花は陰陽寮を見学し、晴明たちが普段どのように過ごしているのか知る。二人は互いの気持ちを打ち明け、晴明は保憲が陰陽寮で最も偉い存在になったら結婚を願い出ると約束した。そうして、寒さで凍えないように身を寄せ合って一夜を過ごした。
翌朝、晴明は陰陽寮の人々が入ってくる音で目が覚めた。天が晴れたので、皆が出勤してきたのであった。晴明は周囲から梨花との関係を怪しまれながらも、彼女を連れて帰った。大雨のおかげで、都は干ばつから救われた。世間の人々は、神泉苑の水が外に放たれると恵みの雨が降るという古くからの言い伝えは本当だったのだと騒ぎあった。
陰陽生の中で博士にふさわしい人材が育ったので、保憲は元の希望通り暦博士に就任することになった。晴明も彼の異動に従った。晴明は将来のために保憲の都合に振り回されることを厭わなかったが、保憲は真摯に尽くしてくれた晴明を何とかして出世させてやりたいと考えていた。
第13話 泡沫の逢瀬
▶時期:天暦四年(950)
七夕の夜に心を通わせてから、晴明は密かに梨花の寝所を訪れ、夜が明ける前に帰る生活を送っていた。二人は束の間の逢瀬を楽しんだが、まだ正式に結婚を許されていないので、一緒に寝るだけで契りを結ぶことはなかった。東の空にたなびく朝焼けの霞は夢のような逢瀬の終わりを告げているようで、梨花には厭わしく感じられた。
晴明は人に気づかれないように細心の注意を払っていたが、いち早く異変を察した賀茂保憲から夜中に部屋を離れて何をしているのかと問い詰められる。晴明は女の許に通っていると答えたが、それが梨花だとは教えなかった。しかし、保憲は晴明が他所の女と関わっているのを見たことがなく、信じられない気持ちでいっぱいだった。
藤原師輔の娘安子の出産が近づき、陰陽寮は安産の祈祷を行うため屋敷に集められた。無事に皇子が生まれ、師輔は普段から重用していた平野茂樹に産後の雑事を行う吉日を占わせようとしたが、茂樹は病を称して参上しない。そこで、晴明と保憲は茂樹の邸宅に赴き師輔の命を伝えたが、茂樹は病床に臥しているため代わりを務めた。皇子は親王宣下を蒙り、憲平の名を賜った。憲平親王は皇太子となり、藤原氏の一族が彼の成長を支えた。
暦道に復帰した保憲は元の通り造暦に携わった。保憲は宣命暦に基づいて暦を作成していたが、権暦博士である大春日益満は会昌革を用いていた。益満は承平・天慶の乱の最中に当時の暦博士である葛木茂経と争った大春日弘範の息子であった。保憲と益満は藤原実頼に召され、暦の作成方法の相違について問われた。二つの暦法を巡る議論は度々繰り返されており、その度に宣明暦が採用されていた。この前例によって、今回の造暦の議論でも保憲の説が採用された。こうして、保憲は暦家としての地位を固めることに成功した。彼は、このような暦家の論争が起こるのは長らく唐から暦が伝わっていないことが原因だと考えていた。だが、唐から新暦を得ることはできず、彼は好機の到来を待たなければならなかった。
御暦奏の後、朝廷に丹波国と播磨国が虫害に苦しんでいるとの報せが届いた。陰陽寮は軒廊御卜を行い、晴明と保憲は播磨国へ赴き害虫駆除の祭礼を修するよう命じられる。晴明が梨花に長旅でしばらく留守にすると伝えたところ、彼女は同行を願い出たので、三人で旅に出ることになった。彼女は家に籠りがちで都の外に出たことがなかったため、遠くの国を見てみたかったのだ。
第14話 隠れ陰陽師
▶時期:天暦四年(950)― 天暦五年(951)
晴明たちは害虫駆除の祭祀を修するために播磨国へ赴き、この国で評判名高い智徳法師に迎え入れられた。智徳に案内されている途中で、晴明は河原で紙冠を被った法師が祓えをしている光景を目にして驚く。陰陽寮出身の官人陰陽師を雇えない身分の人々のために陰陽師としての役割を担う法師がいて、そのような法師は隠れ陰陽師と呼ばれていた。智徳は独自に陰陽道を学び、播磨国の法師たちを隠れ陰陽師として養成していたのであった。
智徳は陰陽道だけではなく、呪詛のやり方も教えていた。陰陽寮では私的に呪詛を行うことが禁じられているため、私的に法師陰陽師を雇って呪詛を行わせる貴族もいた。保憲は人を害して報酬を得る法師陰陽師を非難するが、智徳は生きていくためには仕方ないのだと反論する。
祭祀を終えて、晴明たちは智徳の屋敷に泊めてもらった。皆が寝静まった後で、晴明は密かに智徳の許を訪れた。晴明は智徳が陰陽寮の教科書にない様々な呪術を知っていると聞いて、己の身に流れる狐の血を生かせないか思案を巡らせていた。智徳もまた、晴明がまもなく三十歳を迎えようとしているにもかかわらず、未だ陰陽寮の生徒に過ぎない現状に焦りを感じていることを察していた。晴明は智徳から呪術だけではなく呪詛も教わり、普通の官人陰陽師にはできない術を会得した。彼は、私利私欲のためではなく朝廷を守るために学んだのだと自分に言い聞かせた。
智徳は晴明の非凡な才能を目にして、彼の実力を確かめようとする。晴明は智徳に仕えている童子の道満と術比べをして、彼を負かした。その過程で智徳は晴明が普通の人間ではないと察する。負けず嫌いな道満はいつか必ず晴明に勝つと宣言したが、晴明は童子の約束事は当てにならないと本気にしなかった。
都に帰ってから、晴明は人知れず呪術の修練に励んでいた。梨花が晴明の様子を確かめようとしたところ、彼の霊気に包まれて気分が悪くなり、その場に倒れ込んでしまう。意識がはっきりしない中、梨花は龍宮で仙女が童子に鎮宅霊符の使い方について説明している夢を見た。その霊符は、賀茂の家にあるものとまったく同じであった。晴明は梨花が不思議な夢を見ていることを知り、彼女を不安な気持ちにさせないと約束する。
再び造暦の季節が巡ってきたが、前年に保憲が暦の論争を収めていたおかげで争いが起こることはなかった。朝廷は保憲のこれまでの功績を讃えて位階を授けることにした。
第15話 狐の婿入り
▶時期:天暦六年(952)― 天暦七年(953)
賀茂保憲が造暦の功績によって従五位下に叙された。保憲は正六位上の父忠行の位階を越えて昇進したので、父に栄爵を譲ってほしいと奏上した。彼の願いは朝廷に受け入れられ、忠行も息子と同じ位に叙された。忠行は、思いがけない幸運を喜んだ。
この叙位によって、保憲は未だ陰陽頭に就任していないにもかかわらず、陰陽頭と同等の身分になった。晴明は師匠の出世を祝福し、今が好機だと言わんばかりに梨花との結婚を願い出た。保憲は、播磨国での晴明と梨花の仲睦まじい様子を見てただならぬ関係だと察していたが、二人を尊重して口出しせずにいたのであった。
こうして、晴明と梨花は晴れて結婚することになった。都の貴族は自分の気持ちよりも相手の家柄を優先させなければならない中で、想い人と結婚することが一族の繁栄につながる晴明は幸福な立場に置かれていた。婚儀の夜、二人は感慨に耽り、初めて情を交わした。保憲が貴族として認められたこともあり、彼らが想像していたよりも華やかな祝宴が催された。
陰陽寮の生徒である晴明には夫婦だけで暮らしていける程の財産がなかったので、これまでと変わらず賀茂の家で生活していた。二人が結婚してから天変が頻りに起こり、重大な喪事の兆しがみられた。天文密奏は的中し、程なくして朱雀上皇が崩御された。この頃の天文道は相変わらず人材不足に悩まされており、晴明は未だ天文生になる夢を捨てきれていなかった。
保憲の息子である光栄が元服を迎え、陰陽寮に入った。光栄は保憲の指導の下で暦道を学ぶことになった。陰陽寮の人々は、ゆくゆくは光栄が保憲の後を継ぐのだろうと予想していた。行き場を失った晴明は、このままでは陰陽師として大成できないのではないかと不安に駆られる。保憲もまた、献身的に自分を支えてきた弟子の将来について熟考しなければならなかった。
保憲の許に、僧日延が呉越国に留学する報せが届いた。保憲にとって、唐から新しい暦法をもたらす良い機会が訪れた。彼は暦道の発展のために唐から新しい暦法を持ち込むことが必要だと奏上する。貞観の時代に宣明暦が伝来してから久しく新暦を得る機会はなく、暦道の間でも暦本の作成を巡って論争が繰り返されてきた。村上天皇はこの問題を解決するために、日延に新暦を持ち帰るよう命じた。日延が帰朝するまで、保憲は暦博士の職を離れられなくなった。晴明と保憲が日延の帰朝を待ち望んでいる間に、梨花が懐妊した。
第16話 天上に煌めく星々
▶時期:天徳元年(957)― 天徳三年(959)
梨花が懐妊してから四年の月日が流れた。晴明と梨花は二人の男子に恵まれ、円満な家庭を築いていた。陰陽寮では、陰陽頭であった平野茂樹の逝去によって賀茂保憲が後任を務めていた。今や保憲は右大臣である藤原師輔の宴会に招かれるほどの大物になっていた。
日延は留学先の呉越国で符天暦を学んだ後、帰朝した。保憲は新しい暦法の到来を喜ぶが、この暦は官暦である宣明暦とは異なり、民間発祥の暦であったため、村上天皇は公式に用いないとの判断を下した。そこで、暦本を作る際に確認するための暦として用いられることになった。
符天暦が天体の運行と深く関わっていたことから保憲は天文生として天文道を学び始め、晴明も付き従った。晴明が陰陽生であった時と異なり、保憲は、天文博士になって機が熟したら陰陽寮を離れて独立しようとしていた。晴明は保憲が寮を去った後に博士になることを目標に掲げ、まずは得業生になるために熱心に勉強した。彼は、いつか保憲のように自分の息子たちに天文道を継がせる夢を抱いていた。
天文生には、陰陽寮の司天台から天体観測を行い、異変があれば報告する職務があった。晴明は帰りが遅くなることが増え、帰宅した時には妻も子供たちも眠りについていた。梨花は仕事だからと納得していたが、子供たちは父の不在を寂しがっていた。晴明は非番の日に家族団欒の時を設け、妻子が寂しがらないように努めた。
司天台では天体観測の最中にもかかわらず居眠りしている者、女に逢いに行くために欠勤する者が跡を絶たず、老衰とともに視力が低下して陰陽寮を離れる者もいた。晴明は天文道が人材難に陥っている原因を知り、眠気を抑えながら真面目に勤務した。
晴明は初老の年齢に差し掛かっていたが、妖狐の血のおかげで若さを保っていた。天文道をはじめ陰陽寮の人々は晴明の年齢を知って驚き、彼の素性を疑った。晴明は長年の知己である医師の丹波康頼から教わった美容法によるものだと誤魔化したが、保憲もまた若い時と少しも変わらない晴明の容貌を不思議に思っていた。
三合の厄によって世間の人々は疫病や飢饉に苦しみ、天暦から天徳に改元がなされた。世の中が穏やかになった後、天文生として優秀な成績を収めた保憲は得業生になった。やがて藤原安子が皇子守平を出産し、守平は親王宣下を蒙った。
世の中が平穏に満ちていた時、晴明は白虹が太陽を貫く天変を目撃する。それは、天文道において不吉な兆しであった。
第17話 去りゆく春
▶時期:天徳四年(960)
白虹が太陽を貫いてから、天変が頻りに起こるようになった。陰陽頭は天文密奏を行うことができないため、晴明や十市部以忠が賀茂保憲の代わりを務めた。朝廷は天変を鎮めるために、僧侶たちに熾盛光法を修させたり、大般若経を転読させた。
天象は災いを示し続けたが、都は相変わらず平穏であった。正月の叙位では藤原師輔の息子である伊尹・兼通・兼家らが昇進した。兄弟三人以上が同時に昇進した前例はなく、師輔は栄華の極みだと感嘆した。数ヶ月後には、宮中で華やかな歌合が催された。
しかし、翌月に疫病が勢いを増し、多くの人々が命を落とした。朝廷は疫病を鎮めるためにあらゆる手を尽くしたが、疫病の勢いは止まらない。とうとう、賀茂忠行までもが疫病に罹ってしまう。
晴明と保憲は病に倒れた忠行を看病していた。保憲は丹波康頼に診察させたが手の施しようがなく、余命いくばくもなかった。晴明は病床に臥している忠行の部屋に忍び入り、法術によって彼を病から救おうとする。その時、忠行は晴明が普通の人間ではないと悟り、晴明は妖狐の血を受け継いでいることを認める。しかし、忠行が晴明を息子の弟子として受け入れてから長い年月が過ぎた今となっては、深く追求しても仕方のないことであった。晴明は懸命に法術を施したが忠行の病は回復せず、忠行は天命には逆らえないのだと悟る。
晴明は梨花に忠行の寿命が長くないことを伝え、最後の別れの挨拶を勧める。梨花は、どこの馬の骨ともわからない自分を家族の一員として受け入れてくれたこと、実の娘のように大切に育ててくれたことを深く感謝した。
保憲は天文道の成績を評価され、天文博士に任じられた。保憲は陰陽寮で初めて暦道・陰陽道・天文道の三道の博士を経験し、皆から模範的な存在として敬われた。陰陽頭と天文博士を兼ねることはできないため、保憲は陰陽頭を秦具瞻に譲った。保憲は早速晴明は得業生に推挙し、晴明は四十歳にしてようやく出世への道を拓くことができた。忠行は息子とその弟子の栄達を喜び、静かに息を引き取った。
忠行の死後、冥界の獄卒たちが彼の生前の行いについて善悪を判じていると、白雪によく似た女が映し出されていた。獄卒から報せを受けた炳霊帝君が忠行の死籍を見たところ、容貌こそ白雪に瓜二つだったものの、立ち振る舞いはまるで別人のように感じられた。炳霊は彼女が死んだはずの妹か確かめるために、平安京に降り立つことを決意する。
第18話 迫り来る足音
▶時期:天徳四年(960)
賀茂忠行が亡くなってから程なくして、藤原師輔もまた疫病によって命を落とした。村上天皇の寵愛を受けている中宮藤原安子の父の死は朝廷に大きな衝撃を与えた。陰陽寮では天変が鎮まったことを受けて、数々の天象は貴人の喪事を示していたのだと噂された。
都に降り立った炳霊帝君は白雪の居処を捜そうとするが、手がかりが少なく辿り着くことができない。夜更けの暗闇の中、都を彷徨っている炳霊の頭から生えている神龍の角を目撃した貴族の男は彼を鬼だと思い込み、慌ててその場から逃げ去った。
晴明と保憲はいつものように司天台で天文観測を行った後、帰路に着いた。二人の姿を目にした炳霊は彼らが忠行の家族だと気付き、尾行する。やがて晴明たちが帰宅し、炳霊はとうとう白雪の居処を掴んだ。
炳霊の行動は世間の人々を混乱させ、朝廷も鬼が現れたとの報せを受けて菅原道真や平将門の怨霊の報復を恐れる。鬼の噂は陰陽寮にも届いたが、天文観測を中止することはできず、晴明は鬼に遭遇しないよう注意を払わなければならなかった。
晴明と保憲が天文観測で不在の時、梨花の目の前に炳霊が現れた。梨花は、夢の中で白雪の兄として現れた神仙だと気付いて動揺する。炳霊は梨花に白雪であった時の記憶がないと知り、彼女が人間界に流れ着いたときに身につけていたものは白雪のものであったことを説明する。彼の話を聞いて、梨花はようやく自分が何者だったのか悟った。炳霊は梨花に神仙の力を取り戻すことを約束するが、彼女は元の立場に戻ったら晴明に別れを告げなければならないと知り拒絶する。それから梨花は物憂げな様子でいることが多くなり、晴明は不安を覚える。
一方、冥界では泰山府君の許に一人の尼が地獄を彷徨っているとの報せが届く。尼は将門の娘で、兵乱で父を失った後出家して如蔵尼と名乗り寂しく暮らしていたが、息絶えて地獄にたどり着いたのであった。泰山府君は如蔵尼から地獄で苦しんでいる父を救ってほしいと懇願されるが、将門の怨念は冥界に大きな災いをもたらしたので罰を逃れることはできないと告げ、如蔵尼は悲嘆に暮れる。如蔵尼を哀れんだ泰山府君は一心不乱に修行すれば父も救われると励まし、彼女の魂を現世に送り出した。
現世に戻った如蔵尼の許に、弟である平良門が訪ねてきた。彼は近隣の住民から姉が息絶えたと知らされ、急いで来たのであった。良門は彼女が地獄から生還したと知って驚き、経緯を尋ねる。
第19話 虹の羽衣
▶時期:天徳四年(960)
如蔵尼は地獄で目にした凄惨な光景と泰山府君の神託を良門に話し、出家を促す。だが、良門は今まで自分の出生の秘密を隠されていたことに憤慨し、父の仇を討つと心に誓い都に向かって出発した。
一方、炳霊帝君は泰山府君に白雪の生存を報告し、彼女の仙力を取り戻す方法を尋ねる。泰山府君が言うには、天界にある霓裳羽衣を着せれば神仙に戻れるが、人間界で過ごした一切の記憶を失ってしまう。炳霊は人間として第二の生を送っていた梨花の心情を慮り、彼女が天寿を全うする直前に羽衣を着せようと考えていた。しかし、人間の生命の脆さをよく理解していた泰山府君は悠長に構えている炳霊を叱責し、一刻も早く羽衣を得て白雪を取り戻すよう命じる。
梨花の目の前に炳霊が姿を現すことはなくなったが、彼女はいつ自分が自分でなくなってしまうのか不安を感じていた。梨花は晴明に正体を明かそうか思い悩んだが、二人の関係が白雪の存在に上書きされることを嫌い、真実を明かさないと決めた。梨花は晴明に自分が姿を消したら冥界を訪れるよう手紙を書こうとしたが、彼に大きな誤解を与えてしまいそうだと感じて別の方法を考える。
ある日、晴明は梨花から耳飾りの片方を渡され、肌身離さず持ち歩くように頼まれる。その耳飾りは、晴明が初めて彼女に出逢ったときに着けていたものであった。梨花は、たとえ自分の意識が白雪のものになったとしても、耳飾りが片方しかないことに気付けば自ずと探し求めるだろうと考えていた。また、彼女が晴明の目の前から姿を消した時に、彼が行方を捜す手がかりにもなった。
梨花は赤山禅院に泰山府君が祀られていることを思い出し、久しぶりに参詣した。彼女は、かつて陰陽道の神の娘であった自分が晴明と出逢ったことに運命を感じながらも、懸命に生きてきた自分の人生は白雪にとって試練の一つでしかないことを痛感する。梨花が帰ろうとしたその時、炳霊が彼女の目の前に現れた。炳霊は動揺する梨花に構わず、霓裳羽衣を彼女の身体に吸い込ませる。梨花は自分の身に何が起こったのか悟り、意識が遠のいていくなか晴明と子供達の幸せを願った。
晴明が司天台で天文観測をしていると、一つの小さな星が落ちていくのが見えた。彼は誰かに喪事が起こる兆しだろうと考えたが、その天象が妻を失ったことを示しているとは思いもしなかった。
一方、良門はとうとう都に到着し、父を滅ぼした朝廷に復讐を果たす好機を伺っていた。
第20話 浮生は夢のごとし
▶時期:天徳四年(960)
平良門は朝廷に復讐するために、宣陽門に火を放った。やがて火は燃え広がり、侍臣たちは悲鳴を上げながら逃げ惑った。藤原兼家が村上天皇に未だ消火できていない状況を奏上し、天皇は内侍所に納められている大刀契を持ち出すよう命じたが、温明殿はすでに炎が燃え盛っていて誰も近づけない。陰陽寮に火災の報せが届き、晴明と保憲は皆が避難する場所を定めるために内裏へ急
いだ。
覚醒した白雪は、人間界でのすべての記憶を失っていた。彼女は地獄の火炎に呑み込まれて気を失ってから、自分の身に何が起こったのかわからず呆然としていた。炳霊はすぐに白雪を連れて帰ろうとしたが、彼女は遥か向こうに燃え盛っている炎を目にして、火災を鎮めてから帰ることにする。炳霊は人間界に干渉してはならないと説得するが、白雪はこの事態を放置できないと言い返
して火が燃えている方へ向かった。
晴明たちが内裏へ駆けつけると、凄まじい火炎が燃え盛っていた。保憲は天皇を太政官朝所へ避難させようとしていた藤原師尹を引き留め、忌むべき方角に当たることを伝えて他の場所に避難させた。三種の神器のうち神璽と宝剣は天皇が持って内裏を脱出したが、神鏡だけは宮中に残されたままであった。藤原実頼は燃え盛る炎のなか神鏡を探し回ったが、なかなか見つからない。
同じ頃、白雪もまた宮門の前にいた。彼女は炎を鎮めるのに最も適当な場所を探している最中に、灰燼の中に鏡が埋もれているのを発見する。その鏡が神鏡だと察した白雪は、神鏡を浮かび上がらせて木の枝に掛けた。その光景を目撃した実頼は、神仏の加護は消えていなかったのだと感涙した。
晴明は人気のない場所に移動し、妖狐の力によって炎を鎮められないか試したが思うようにいかない。ちょうどそこへ白雪が通りかかり、晴明は突然内裏に梨花が現れたことに驚いて声を掛けようとする。しかし、白雪はもはや目の前にいるのがかつて愛した男だということなど覚えていなかった。
内裏の中心部に到った白雪は空高く舞い上がり、幽冥傘を取り出して激しい雨を降らせる。内裏を包んでいた炎は鎮まり、人々はみな天女が恵みの雨を降らせたと感嘆する。炎が完全に消えると白雪は虚空へ去っていき、晴明はただ地上から見ていることしかできなかった。
騒ぎが収まって晴明が帰宅すると、子供たちが母親の不在を悲しんでいた。その時、晴明は初めて梨花の正体が内裏で炎を鎮めた天女だったのだと思い至った。
第21話 霊剣修復
▶時期:天徳四年(960)― 応和元年(961)
内裏焼亡の翌朝、貴族たちは灰燼のなか宝物を捜索した。宣耀殿の宝物や仁寿殿の太一式盤は悉く灰燼と化していた。式盤の焼失は、陰陽寮に大きな打撃を与えた。世の中は落ち着かなくなり、火災が起こる前に不審な男が都を徘徊していたという噂が流れ、藤原師尹は源満仲に京中を捜索するよう命じた。
世間の人々は、燃え盛る火炎のなか突如として現れた天女が災いを鎮めたと感嘆した。賀茂家の人々もまた、梨花の正体を知って驚かない者はいなかった。晴明は子供たちに自分と同じ運命を辿らせてしまったことを嘆き、妻から渡された耳飾りを手にして必ず彼女を見つけ出すと誓った。
陰陽寮では、村上天皇が避難場所の職御曹司から冷泉院へ移ってもよいか議論がなされた。冷泉院は忌むべき方角が否かを巡って賀茂保憲と秦具瞻の間で意見が衝突し、最終的に保憲の意見が採用されて冷泉院遷御が定められた。具瞻は陰陽頭である自分よりも保憲の意見の方が重んじられたことを不服に感じたが、朝廷は三道の博士を経験した保憲の方が優秀だと判断したのであった。
一方、冥界に帰還した白雪は以前よりも仙力が真神と同格になっていることを不思議に思い、炳霊帝君に原因を尋ねる。それは白雪が人間界で刧を経験したからであったが、炳霊は彼女に以前の記憶を思い出させたくなかったため、地獄の災いを鎮めた功績によるものだと偽った。力を取り戻したばかりの白雪は万全ではないため、しばらくの間休養することになった。
保憲は藤原実頼から温明殿の宝物である大刀契の文様を修復するよう命じられ、晴明も弟子として手伝うことになる。大刀契は二柄の霊剣であり、かつては日月や四神の文様が刻まれていたが火災で焼けてしまった。晴明と保憲がどのようにして霊剣を修復するが思案を巡らせていると、突然霊剣から霊気が立ち上り、文様を示した。それは、白雪の幽冥傘から解き放たれた力の残滓であった。翌年、高雄山の神護寺で霊剣修復の儀式が行われ、保憲が祭文を読み晴明が進行役を務めた。この功績によって、晴明は天文得業生から陰陽師になった。
長い休息を終えた白雪は、真神に昇格したことを祝福されて天仙聖母碧霞元君の称号を賜った。泰山府君が言うには、碧色は五行思想で東方を表し、霞は朝焼けを指しているため、一日の始まり即ち生命の誕生を意味していた。真神昇格の儀式が終わった後、碧霞は大切にしていた耳飾りが片方しかないことに気付く。
第22話 新しい家
▶時期:応和元年(961)― 康保元年(964)
碧霞元君は耳飾りが片方しかないことに気付くが、地獄の災いで失ったとは思えず、再び赤山禅院を訪れた。彼女は覚醒した場所の辺りを探し回ったが、それらしきものは見つからない。碧霞が諦めて帰ろうとすると寺院の僧に呼び止められて、かつて自分によく似た女が夫と参詣していたことを知るが、全く身に覚えがなく困惑する。
内裏の修復作業がひと段落した後、晴明は子供たちと一緒に賀茂の家を離れる決意をする。保憲は引き止めるが、梨花がこの世を去った今となっては、晴明にはこの家にいる理由がなかった。
晴明は陰陽師として貴族に仕え始めてから間もなく収入も少なかったが、保憲の援助もあってそれなりの暮らしができる屋敷に移り住むことができた。引越しの当日、晴明は保憲がら竜宮の鎮宅霊符を渡された。晴明は、梨花がいつか自分の許に帰ってくることを願って庭に梨の木の種を植えた。
晴明の新居に智徳法師が訪ねてきた。晴明は智徳から若藻という少女を紹介され、女房として仕えさせてほしいと頼まれる。智徳が言うには、若藻は異国から播磨国に流れ着いた少女で特別な力を持ち、智徳が晴明の話をしたところ強い興味を持ったので連れてきたのであった。晴明は遥々遠くから来た智徳のために渋々若藻を受け入れる。
晴明は梨花を捜すために神仙の住む世界で唯一縁のある竜宮を頼ろうとしたが、行き方がわからずにいた。思い悩んでいる晴明を前に、若藻は今の晴明の霊力では自力で海に潜ることはできないと話す。さらに、彼女は晴明が手にしている耳飾りには冥界の宝珠が用いられており、その耳飾りを使って修練を積めば容易に竜宮に行けるという。晴明は半信半疑ではあったものの、藁にもすがる思いで彼女の言葉に従う。
三年後、晴明は半妖でありながら仙人に近い力を扱えるようになった。若藻は晴明の力が増大したことを祝福し、海底に向かうには十分だと伝える。
保憲は藤原実頼の屋敷に召され、改元について議論した。この年は甲子革令に当たり、変事が起こりやすいという言い伝えがあった。保憲は災いを鎮めて徳を施すために改元が必要だと訴え、応和から康保へ改元された。
改元に伴い、保憲は摂津国難波浦で海若祭を修することになる。晴明は修行の成果を試す好機が訪れたと喜び、弟子として同行する。
一方、碧霞は兼ねてからの念願であった世界中の妖狐を統括する計画を進めていた。彼女は妖狐を集めるために、再び平安京に向かう。
第23話 耀を蔵する者
▶時期:康保元年(964)
難波浦に到着した晴明は保憲の海若祭を手伝った後、一泊してから帰ることになった。保憲が眠りについた後、晴明は密かに宿を抜け出して竜宮へ向かう。竜宮の人々は晴明の来訪に驚き、晴明は竜宮の門前で兵士たちに捕らわれ東海竜王の前に連行される。
東海竜王は晴明の素性を確かめるために、法術によって彼の過去を覗く。すると、晴明が満月丸であることがわかり、竜王をはじめ竜宮の人々は晴明に非礼を詫びて歓迎した。長い年月を経て再び竜宮を訪れた晴明は昔を懐かしみながら城内を巡ったが、以前と変わらない様子であった。
晴明は竜王に梨花の耳飾りの片方を見せ、これが泰山でしか採れない宝珠で作られていることを知る。晴明は梨花の正体が泰山に関係していると思い至る。
晴明はかつて竜宮で将来を占ったときに「立派な陰陽師になれば、再び白雪に会える」と予言されたことを覚えており、玄天上帝に白雪の近況を尋ねる。ところが、竜宮に納められている神仙の史書によると、白雪は平将門の怨霊を鎮めるために犠牲になったと記されていた。晴明はもう二度と白雪に会うことはできないと嘆き悲しむ。
一方、碧霞元君は日本に降り立ち、妖狐の生息地である山林を中心に「年に一度仙狐の登用試験を行うので、興味のある者は泰山に来るように」という旨を記した看板を立てる。それから平安京に赴き、妖狐が身を潜めていそうな場所に同様の看板を立てた。
一仕事終えた後、碧霞は都を観光した。彼女は満月丸と出逢ってから長い年月が過ぎていたことに思いを馳せながら、彼が陰陽師になれたのか知るために陰陽寮に向かった。しかし現在の満月丸の近況がわからないため、外から眺めていることしかできなかった。碧霞は観光をしている間に彼女が梨花だった時の友人たちとすれ違うが、彼女は笠で顔を隠していたので気付かれることはなかった。
晴明は白雪との約束を守り陰陽師になったものの、師匠のように卓越した陰陽師になって一族を再興できるのか気がかりであった。玄天が晴明の将来を占ったところ、多くの魑魅魍魎と対峙する運命が待ち受けていた。そこで、玄天は晴明に沈星扇を授け、来たるべき災いに備えて修行するよう備えた。また、彼は自分を卑下する晴明を水中に沈む玉に喩えて励ました。晴明は玄天に礼を述べて、保憲と一緒に難波浦を後にした。
都に帰ってきた晴明は、奇妙な看板を目にする。それは碧霞が設置した仙狐登用試験の看板であった。
第24話 妖魔を捉える鈴
▶時期:康保元年(964)― 康保四年(967)
仙狐登用試験の看板を目にした晴明はこの看板の主が何者か気になったが、この看板が設置された経緯がわからないため、看板の主に逢えることを待ち望みながら修練に励んだ。 そして、晴明は泰山へ渡るための舟を造り始め、晴明の息子たちも手伝った。
二年後、晴明たちの造った舟が完成した。看板の主は現れなかったので、晴明は自ら泰山に渡ろうとする。ところが、朝廷の乱れを示す天象が頻りに起こり、世の中は落ち着かなくなる。晴明は都を離れられなくなり、妻との再会は遠い夢となってしまう。
一方、碧霞元君が妖狐統括の計画を実行に移してから長い年月が過ぎていたが、彼女の許に集まった妖狐は数人しかいなかった。また、彼女の期待に応えられるほど優秀な者はいなかった。冥界では人間が妖狐に苦しめられた報せが尽きなかったので、碧霞は妖力を感知すると鳴る捉妖鈴を作り、自ら妖狐を探す旅に出ることを決意する。
碧霞は再び平安京を散策するが、捉妖鈴はまったく反応しない。歩き疲れた彼女が休んでいると庶民の男たちに乱暴されそうになり、偶然通りかかった源満仲に助けられる。満仲は、主人の藤原師尹と京中の水害を巡検していたのであった。
師尹は碧霞の無防備を諌めようと近寄るが、彼女が梨花に瓜二つの容貌であることを知って驚きを隠せない。碧霞が事情を説明すると、師尹は彼女のために小一条邸の女房がかつて使用していた部屋を用意し、仮初の住まいとした。碧霞は師尹がなぜここまで親切にしてくれるのか不思議に思い、かつて彼女によく似た女が都にいたことを知る。師尹は梨花との思い出を話している間、積年の想いから晴明の存在について触れなかった。碧霞が都にいる間、師尹は満仲の息子である頼光に彼女を護衛させた。
晴明と保憲は師尹に頒暦を渡すために小一条邸を訪れた。師尹が暦本を確認している間、晴明は屋敷の端の部屋にかつての妻がいるとは予想だにしなかった。
やがて憲平親王が病を患い、保憲は憲平の邪気を払う儀式を行ったが、病状は変わらなかった。年が明けても憲平の病気は回復せず、碧霞は師尹から憲平の診察を依頼される。当初、彼女は衆生の天命に干渉する気はなかったが、物の怪の仕業である可能性を考慮して捉妖鈴を師尹に預ける。
上巳の祓の季節、保憲が師尹の穢を祓っている間に師尹の捉妖鈴が微かに鳴った。師尹が鈴の鳴る方向を探っていると、晴明の前で最も大きく鳴り響いていた。
第25話 天寿を操る秘術
▶時期:康保四年(967)
晴明は眼前の鈴が鳴り響いている理由がわからず困惑し、賀茂保憲もまた晴明の身に何が起きているのか把握できていなかった。藤原師尹は捉妖鈴が晴明に反応したことに内心驚いていたが、詳しい状況を説明することなくその場を後にした。
帰宅した晴明が憲平親王の病状を案じていると、若藻が智徳法師から教わった秘術を提案する。それは唐の道士たちが泰山府君を祀って編み出したもので、自分の残りの寿命を相手に差し出す禁術だった。晴明が若藻の話を信じられないでいると、彼女は晴明の目の前で秘術の効果を証明する。
一方、碧霞は人知れず冥界の死籍を開いて憲平の天寿を確認し、師尹に対して遠回しに憲平の寿命が残りわずかであることを伝える。碧霞は師尹から例え話として「憲平を救うために、物の怪の力を借りても良いか」と問われる。碧霞は一歩引いた視点で「物の怪の力によって延命できたとしても、健康でいられるかはわからない」と答える。
師尹は晴明の力に頼ることを決意し、源満仲を介して晴明を小一条邸に招く。師尹は晴明の前に捉妖鈴を見せ、晴明の力を以て憲平を救うように命じる。晴明は断るが、師尹から憲平を救えなければ晴明の正体を公にすると脅され、息子たちの将来を潰すことを恐れて仕方なく引き受ける。晴明は憲平を救う方法について思案を巡らせている間に、若藻から教わった秘術を思い出す。晴明は師尹に秘術の概要について説明し、荒唐無稽だと却下されるに違いないと思っていた。ところが、意外にも師尹は晴明の言葉を疑うことなく彼の提案を採用した。
晴明は、憲平を救うためには身代わりとして寿命を差し出す者が必要だと説明する。師尹がその役割を買って出ようとすると、村上天皇が身代わりを名乗り出る。天皇は亡き妻である藤原安子を恋しく思って兼ねてから退位を望んでいたが、公卿たちに引き止められていた。そのような状況に置かれていた天皇は、彼の息子のために残りの寿命を犠牲にしても構わないと考えていたのだ。しかし、天皇の決断は晴明をはじめ周囲の人々に大きな動揺を与えた。
天皇は藤原実頼に「守平親王を次の東宮とする」と遺言を伝え、晴明に儀式を始めるよう促す。晴明は憲平と天皇の手をとって、天皇の寿命を憲平に移した。憲平の病が回復した代わりに天皇が病床に臥し、程なくして崩御された。晴明は自分が強大な力を持っていることを自覚し、朝廷を揺るがす行いをしてしまったと後悔する。
第26話 外戚不善の輩
▶時期:康保四年(967)― 安和元年(968)
村上天皇亡き後、憲平親王が即位して冷泉天皇になった。晴明は天皇を救った功績として、政始の吉日を占う機会を与えられる。陰陽寮の人々は、晴明が師匠である賀茂保憲を差し置いて重要な仕事を任されたことを不思議に思う。
晴明は世の中が落ち着きを取り戻したら再び梨花を探しに行こうと考えていたが、なかなかその機会は訪れなかった。彼の息子たちは母が会いに来ないことを不思議に思い、家族のことを忘れてしまったのではないかと悲しむ。
一方、碧霞元君は冷泉天皇が生き長らえていることを不審に思い生籍と死籍を確かめたところ、天皇が何者かの手によって延命されたことを知る。碧霞は師尹に事情を尋ねるが、師尹は晴明の名を伏せて優秀な陰陽師によって救われたと説明し、彼女は不審に思う。
関白である藤原実頼は天皇と直接の関わりを持たず、天皇の外戚に当たる藤原伊尹と兼家が実質的な政治の実権を握っていた。天皇は病の後遺症で狂気的な行動に出ることがあり、しばしば周囲の貴族たちを困らせた。晴明は、泰山府君の秘術が原因ではないかと責任を感じずにはいられなかった。
藤原師氏が実頼の屋敷を訪れ、除目が行われる日を報告する。実頼は、天皇が狂乱の病に冒されている状況でも除目が行われる状況を嘆き、そのような状況下でも昇進を競う伊尹と兼家を外戚不善の輩だと強く非難する。
村上帝が崩御された後、女御・更衣たちは悲しみのあまり後を追うように亡くなり、師尹の娘芳子も例外ではなかった。碧霞は芳子の魂が救済されることを祈り、悲嘆に暮れる師尹を慰める。この時、碧霞は師尹に求愛されるが「貴方は私を介して、かつて愛した人の面影を追い求めているに過ぎない」と優しく拒絶する。しかし、彼女は娘に先立たれた彼を独りにしてはいけないと感じて一晩だけ想い人の代わりを務める。そして、師尹の気持ちには応えられないが、よき友人でいることを約束する。
実頼は現状に危機感を覚え、村上帝の喪が明けてまもなく守平親王の立太子を行った。この立太子は、為平親王を支持していた源高明を落胆させた。高明は右大臣就任後に娘を東宮候補である為平と結婚させ、密かに為平の立太子を期待していたのだ。
年が明けて、晴明の二人の息子が元服を迎え、兄を吉平、弟を吉昌と名付けた。晴明は息子たちに陰陽寮に入って天文道を学ぶように勧め、吉昌は天文道に意欲を示すが、吉平は天文道ではなく陰陽道を学びたいと願い出る。
第27話 安和の変
▶時期:安和元年(968)― 安和二年(969)
晴明は吉平が天文道ではなく陰陽道を志していたことを知って驚く。吉平は「自分は生まれつき視力が悪く天文観測に不向きであり、天文道を志す弟と博士の座を争いたくない」と申し出て、晴明は息子の願いを受け入れる。こうして、吉平と吉昌は陰陽寮に入り、それぞれが希望する分野で勉学に励んだ。
吉昌は天文博士である賀茂保憲の指導の下で優秀な成績をおさめ、保憲はいずれ吉昌を得業生に推薦しようと計画していた。そこには、幼少の頃から今まで保憲を長く支えてきた晴明への感謝の気持ちもあった。
藤原実頼は一族の行く末を案じ、自分が生きているうちに藤原氏にとって脅威となる芽を摘んでおくことを決意する。密告を任された源満仲は「源高明は娘婿である為平親王が東宮にならなかったことを恨み、朝廷に対して謀反を起こそうとしている」と奏上し、藤原氏は高明を太宰外帥に左遷した。満仲の密告は世間の人々を大きく混乱させ、宮中は承平・天慶の乱を彷彿とさせるほど騒がしくなった。高明の左遷によって藤原師尹が最も昇進したことから、世間の人々は師尹が政変の首謀者ではないかと噂した。
実頼は狂乱の病に冒されている冷泉天皇に譲位を勧め、守平親王が即位して円融天皇になった。即位後まもなくして師尹は重く患い、病床に臥してしまう。碧霞は真神であることを自覚して人間の運命に干渉しないと決めていたが、師尹が衰弱していく様子を静観することしかできない状況にもどかしさを感じた。
数ヶ月後、晴明と保憲は小一条邸を訪れ、死期が迫っている師尹に対して長らく世話になったと感謝の意を告げた。碧霞は、安和の変に関する噂を知りながらも師尹を信じ続け、最期の瞬間まで付き添った。彼女は神仙として初めて友人の死を経験し、人知れず落涙した。そして、今まで借りていた小一条邸の部屋を離れた。碧霞は捉妖鈴を見ながら、鈴が彼女の期待に応えてくれなかったことに苦笑する。ところが、碧霞が冥界に帰る途中で捉妖鈴が反応したので、彼女は鈴の音が大きく鳴る方向へ急ぐ。
晴明が師尹の葬儀場から帰宅する途中、聞き覚えのある鈴の音が聞こえた。晴明は捉妖鈴の音だと気付き、一刻も早く鈴の音から離れるためにその場から走り去った。しかし、鈴の音は徐々に近づいてきて、とうとう晴明の背後に迫った。晴明は捉妖鈴の持ち主と対峙することを決意して振り向くと、かつての妻と瓜二つの女が不思議そうに晴明を見つめていた。
第28話 恋しき人の形見
▶時期:安和二年(969)― 天禄元年(970)
晴明が碧霞元君の容貌に驚きを隠せず言葉を見つけられないでいると、彼女は晴明の手を引いて一条戻橋から冥界に連れて帰った。冥界の神々は晴明の来訪に驚き、無断で彼を連れてきた碧霞を非難した。炳霊帝君は、碧霞がかつての夫を連れてきたことに動揺しながらも、彼女の前では平静を装って晴明を迎えた。
碧霞は晴明が冷泉上皇の寿命を延ばした陰陽師だと知り、彼を叱責する。晴明は彼女の言葉を受け入れて謝罪し、かつて梨花から渡された耳飾りの片方を碧霞に見せて、碧霞と梨花が同一人物であることを知る。しかし、碧霞には梨花として過ごした時の記憶がなく、晴明の話を不思議そうに聞いている彼女の態度は彼をひどく落胆させた。晴明を哀れんだ碧霞は彼を慰め、彼女が平安京に来た理由を説明する。晴明は血が滲むほどの苦労をして捜していた妻が、同じ都の中にいたことを知って苦笑した。
碧霞は晴明が人間としての生を終えるまで彼の側にいることを決意し、彼を引き連れて泰山府君に謁見する。冥界の神々は晴明を泰山府君と引き合わせたのは分不相応だと碧霞を非難するが、碧霞は一切動じず泰山府君に晴明の監視を願い出る。泰山府君は晴明が半妖であるにもかかわらず強い妖力を持っていることに興味を持ち、碧霞の提案を受け入れる。こうして、碧霞と晴明は獄卒たちによって地上に送り出された。
吉平と吉昌は母親との再会に戸惑いながらも、感涙せずにはいられなかった。晴明は碧霞に梨花の日記を渡し、梨花がどのように生きていたのか知ることができると伝えた。こうして、新しい家族生活が始まった。晴明と親しい人々は、夫婦の再会を喜んだ。吉平は友人である源頼光に碧霞を紹介し、実際のところ彼女と頼光は旧知の仲なのだが、頼光は気を利かせて初対面であるかのように振る舞った。
翌朝、若藻は晴明に女房を辞めて播磨国に帰りたいと願い出た。晴明は若藻の突然の申し出に驚きながらも、彼女に別れを告げて播磨国へ送り出した。晴明は真神である碧霞が彼の身の回りの世話をしていることを気恥ずかしく感じながらも、彼女の手慣れた様子を不思議に思っていた。碧霞は晴明から渡された日記を読み始め、晴明と梨花の深い間柄について理解を示した。
二人は穏やかな日々を過ごしていたところへ、源満仲が藤原師氏の使者として訪ねてきた。満仲は頼光から碧霞が晴明の家にいると聞いて、病床に伏している師氏を救ってほしいと頼む。
第29話 天文博士として
▶時期:天禄元年(970)― 天禄三年(972)
病床に臥している藤原師氏はこれまでの人生を回顧し、善行を積まなかったことを後悔した。師氏は碧霞元君に魂の救済を願い、碧霞は彼を苦しめないことを約束する。この間、晴明は碧霞と師氏がまるで以前から知り合いだったかのように親しくしているのを見て不思議に思う。
やがて師氏の葬儀が行われ、碧霞は棺の上に一枚の護符を置いた。碧霞が「師氏の魂が救われていたら、護符は燃えずに残る」と告げたので、晴明は葬儀が終わってから灰燼の中を探し、護符を発見した。葬儀に参列した人々は皆、師氏は極楽浄土に行くことができたのだと安堵した。晴明は葬儀の場で人知れず師氏との別れを悲しんでいる碧霞を見て、優しく慰める。
晴明は源満仲から碧霞が数年に渡り藤原師尹の屋敷に身を寄せていたこと、その間に彼の屋敷を訪れた師氏と親しくなったことを教えられる。晴明が碧霞に師尹との関係を尋ねると、碧霞は師尹に世話になっていたことを認めながらも、彼の想い人の代わりを務めていたに過ぎないと語る。しかし、晴明は師尹に先を越されていたことを知って薄暗い気持ちになる。
賀茂保憲は天文博士の職を晴明に譲り、吉昌を天文得業生に推薦して陰陽寮から独立した。晴明は念願の天文博士に就くことができて感慨に浸る。碧霞は晴明と吉昌を祝福するが、どこか他人行儀な様子であった。晴明は、彼女は師尹と過ごしていた時と同じように梨花の代わりを務めているだけで、本当に家族を愛する気はないのだろうと悟り寂しい気持ちになる。
一年の内に藤原氏の者が立て続けに落命し、天変地異が多発した。晴明は藤原伊尹に召されて、祟りの有無を占うように命じられる。晴明は伊尹の屋敷で若藻の姿を発見し、故郷に帰ったはずの彼女が伊尹に仕えていることを知って驚く。
晴明が占ったところ祟りはなかったが、彼の目から見て伊尹や彼の兄弟たちは左遷された源高明の祟りを恐れているようだった。晴明は、冷泉上皇を救うために村上帝の寿命を移し替えたことが結果的に安和の変に繋がったのではないかと責任を感じていた。そこで、晴明は伊尹に近頃の天変は高明の祟りによるものだと奏上し、このままではいずれ高明が菅原道真のように怨霊と化すだろうと脅かす。伊尹をはじめ朝廷の貴族たちは恐怖で震え上がり、高明を召還することに決めた。高明が召還されて朝廷は落ち着きを取り戻したかのように思われたが、程なくして伊尹が病に倒れる。
第30話 大乗院点地
▶時期:天延二年(974)― 天延三年(975)
藤原伊尹は摂政の辞表を提出し、藤原兼通と藤原兼家は彼の辞表を認めるべきだと奏上する。その結果、伊尹は摂政の辞任を認められたが、世間の人々は辞表がたった一度で認められたのは異例であると驚き、伊尹を非難した。
伊尹が亡くなってまもなく、兼通は円融天皇に藤原安子の字で「関白は兄弟の順に任じるように」と記された遺言状を見せて、将来の関白を約束させる。天皇は遺言状が安子の筆跡だと認め、少しの間亡き母を懐かしんだ。こうして兼通は念願の関白に就任したが、彼よりも早く昇進していた兼家にとって兼通が先に関白に就いたのは予想外の出来事だった。
天皇の御願によって比叡山に大乗院を建てる計画が進められていたが、担当者が病を患い計画が頓挫してしまう。そこで、藤原兼家は平親信を新しい担当者に任命し、親信と賀茂保憲に大乗院の建立に適した場所を定めるよう命じる。晴明も弟子として同行し、比叡山を視察した。大乗院を立てる場所を定めて土地を鎮める儀式を行った後、三人は下山して帰宅しようとした。ところが、保憲が疲労を訴えたので、晴明と保憲は坂本の宿に留まった。前日が庚申の日だったので、一睡もしていなかったのだ。
保憲は残りの人生が長くないことを悟り、晴明に陰陽道の発展を託す。この頃の保憲はすっかり老け込んでいたが、彼は晴明の外見が若い時から少しも変わっていないことを不思議に思っていた。晴明は彼の容姿について疑いの眼差しを向けられたとき、丹波康頼から伝授された美容法のおかげだと答えていた。ところが、保憲も以前に康頼の美容法を試してみたが、晴明ほど効果は得られなかったと反論する。晴明は保憲に彼の正体が露見する恐れを抱いていたが、保憲は晴明がどのような存在でもこれまでの信頼は覆らないと約束する。
朔旦冬至の叙位が行われ、保憲は造暦の功績によって従四位下に叙される。陰陽師がこの身分に到達するのは異例のことであり、保憲は陰陽師の規範となるべき存在だと讃えられた。暦道・陰陽道・天文道を究めた保憲と比較して、晴明はまだ天文博士になったばかりであった。晴明は師匠に追いつけそうにない現状を悲観するが、碧霞元君から為すべきことを為すだけだと励まされ、安倍氏を賀茂氏に並び立つほどの大きな家にする目標を掲げる。その後、天変が頻りに起こり、晴明は安和の変で源高明と共に配流された人々が未だ現地に残されたままであることが原因だと奏上する。
第31話 宇治の橋姫
▶時期:貞元元年(976)― 貞元二年(977)
碧霞元君が晴明の息子たちと都を観光していると、安和の変を主題とした猿楽を目にした。猿楽の内容は「藤原氏が一族の繁栄のために無実の源高明を左遷したが、勇敢な陰陽師である安倍晴明が朝廷に天上の星々の怒りを訴え、高明をはじめ流罪に処せられた人々を都に呼び戻した」というものだった。碧霞は晴明の名が世間に知れ渡ったことを喜びながらも、複雑な気持ちになった。吉平が碧霞にその理由を尋ねると、彼女は昔の友人との思い出を語る。彼女の話を聞いて、吉平は父の人間らしい一面を知る。
渡辺綱は帰宅する途中で一条戻橋を渡ろうとすると一人の若い女に声を掛けられて、家まで送ってほしいと泣きつかれる。綱が渋々女を馬に乗せようとしたところ、女は瞬時に鬼と化して綱を連れ去ろうとする。ところが、綱は鬼女の腕を切り落としたので、彼女は悲鳴を上げて飛び去った。
源頼光は晴明に鬼女の腕をどうすべきか相談し、晴明と碧霞は実物を確認するために綱の屋敷を訪ねる。晴明は、碧霞と初対面である綱から彼女の紹介を求められて、妻と紹介してもよいのか返答に困る。ところが、碧霞が機転を効かせて晴明の式神だと名乗り、綱をはじめ頼光の家来たちは式神が実在していたことに驚く。碧霞は鬼女の腕に護符を貼り、綱には腕を厳重に保管して七日間物忌するよう伝えた。綱が物忌を始めてから六日後、綱の母親を名乗る女が彼の屋敷を訪ねてきた。その女の正体は綱に腕を切り落とされた鬼女で、強引に屋敷に入って腕を奪い去った。碧霞は鬼を捕えられなかったことを知って落胆し、晴明と一緒に鬼を捜索する。
内裏では天徳四年以来の激しい火災に見舞われ、翌月には雷鳴のような大地震が起こった。この地震は二ヶ月間続いた。晴明は藤原兼通から吉凶を占うよう命じられ、改元が必要だと奏上する。兼通は晴明の報告を聞き入れ、天延から貞元へ改元が行われた。
晴明と碧霞は鬼女を見つけ出し、彼女の出自を知る。鬼女は元々貴族の娘だったが、夫への嫉妬心から鬼になることを願い、若藻の勧めで貴船神社に参詣して鬼と化したのだ。碧霞は鬼女の身の上話に理解を示しながらも、大勢の人々を屠った罪を許すことはできなかった。二人は鬼女を撃退し、魂を冥界に送った。
保憲は病状が悪化し、余命幾ばくもなかった。彼が危篤だと知らされた晴明は、急いで彼の屋敷に向かう。死が迫っていることを悟った保憲は、晴明に陰陽道の行く末を託して亡くなった。
第32話 最後の除目
▶時期:貞元二年(977)― 天元元年(978)
賀茂保憲が亡くなり、晴明は彼の弟子として葬儀に参列した。碧霞元君も晴明と一緒に参列し、賀茂家の人々は梨花にそっくりな彼女を見て驚いた。保憲の葬儀に関する雑事は、賀茂光栄が執り行った。葬儀が終わった後、晴明は光栄から賀茂氏と決別するよう言い渡され、安倍氏と賀茂氏は完全に別々の道を歩んでいくことになる。
師匠の死を機に、晴明はこれまで学んできた陰陽道の知識を一冊の書物にまとめる計画を立てる。彼は天文博士として世間に名を知らしめた今もまだ、保憲に対する劣等感に満ちていた。碧霞は晴明を励まし、賀茂氏が暦道の独占を図っている現状に対抗して、安倍氏が天文道を家業とするよう促した。
晴明は藤原兼家の屋敷に招かれ、兼家が見た夢について吉凶を占うよう命じられる。夢の中で、兼家は藤原兼通の屋敷から大量の矢が放たれ、兼家の屋敷に落ちていく光景を目にしたのだ。晴明は「天下が兼通から兼家に移り、兼通に仕えている人々が兼家に移ることを示す吉夢である」と告げ、兼家は安堵する。
やがて兼通は危篤になり、関白を辞任する。病床に臥していた兼通は、兼家が挨拶もせずに屋敷の前を通り過ぎて参内したと知って激怒し、重病にもかかわらず参内した。ちょうどその時、兼家は円融天皇に次の関白について相談していたが、兼通が参内したことに気づいた兼家は慌ててその場から立ち去る。兼通は最後の除目を行うと宣言し、兼家の大将の兼官を取り上げて藤原済時を大将に任じた。兼通は退出してまもなく亡くなった。
翌年の除目で、兼家は右大臣に任じられた。彼は、兼通に冷遇されていた当時はこのまま一族が絶えてしまうのではないかと危惧していたことを回顧して、天皇に感謝した。また、兼家は晴明の夢占いが現実になったと喜び、晴明は兼家から信頼を得ることに成功した。
兼家の右大臣就任を祝う宴に招かれた晴明は、宴席で若藻の姿を発見する。若藻は晴明に別れを告げた後、藤原氏の屋敷を転々として、今は兼家に女房として仕えていた。宴が終わった後、晴明は若藻に貴船明神の力を借りて鬼になった女のことを話し、女に鬼になる方法を教えたのは本当か尋ねる。若藻は力を貸したことを認め、晴明は人を誤った道に進ませてはならないと諭す。帰宅した晴明の許に渡辺綱が訪ねてきて、源頼光が倒れたと告げる。頼光もまた兼家の宴に招かれていたが、帰り道で急に具合が悪くなり、家に着いたと同時に意識を失ったのだ。
第33話 土蜘蛛退治
▶時期:天元元年(978)
晴明と碧霞元君が源頼光の屋敷に駆けつけると、頼光は激しい頭痛に苛まれて病床に臥していた。頼光が言うには、家に着いた途端寒気に襲われ、身体中が燃えているかのように汗が湧き出て倒れてしまったのだ。渡辺綱をはじめ頼光の部下たちは懸命に看病し、丹波康頼は頼光の脈を診て薬を処方した。しかし、頼光の病状は回復しなかったため、廉頼は何種類かの薬を処方したが、頼光の熱が下がることはなかった。そこで、碧霞が頼光の身体を診たところ、強い妖力によるものだとわかった。彼女は頼光から妖力を取り除き、安静にしているように伝える。
その夜、眠りから覚めた頼光は夢か現かも定かでない状態で、何者かが歌を口ずさむ声が耳に入ってきた。不審に思った頼光が辺りを見回していると、暗闇の中から一人の法師が姿を現し、頼光に向かって無数の糸筋を放った。頼光が枕元に置いていた膝丸の太刀で反撃すると、法師は跡形もなく消えた。頼光は燭台の下から血痕を辿り、大きな古塚を発見した。頼光が四天王と一緒に塚を突き崩すと、土蜘蛛の精が現れた。皆は土蜘蛛の精と死闘を繰り広げ、ついに頼光が土蜘蛛の精の首を切り落とした。
碧霞が土蜘蛛の骸を調べた結果、強い妖力を吸収していた。碧霞は何者かが土蜘蛛に妖力を与えたと考え、黒幕の正体を突き止めるために冥界に戻って泰山府君に報告する。泰山府君は彼女に照魔鏡と薬王樹の樹液を貸し、黒幕である妖魔を退治するよう命じる。頼光が藤原兼家の任大臣大饗で若藻に酒を注がれてから身体に異変が生じたと訴えたので、晴明たちは急いで兼家の屋敷に向かった。碧霞が照魔鏡を若藻に向けると、若藻は眩い光を放ち九尾の狐になった。碧霞は、若藻の正体がかつて泰山府君から教えられた白面金毛九尾の狐だと悟った。正体が露見した若藻は虚空へ逃げ去った。碧霞は屋敷の庭に落ちていた九尾の狐の毛を拾い、鳥の形に折った白い紙に挟んで空高く放り投げた。すると、紙はたちまち白鷺となって遥か向こうへ飛んでいった。白鷺は若藻のいる場所へ向かい、晴明たちは後を追った。
晴明たちは白鷺を追って大江山に入り、白鷺は負傷している若藻の前に落ちて、元の紙に戻った。頼光と四天王は若藻と戦い、頼光は薬王樹の樹液を塗った矢が若藻に命中した。若藻が暴れて頼光に飛び掛かろうとしたところ、碧霞は幽冥傘を槍に変化させて若藻を突き伏せた。すると、若藻は眩い光を放ち、山全体を包み込んだ。
第34話 占事略决
▶天元元年(978)― 天元二年(979)
若藻は全身から眩い光を放ち、大きな石に姿を変えた。源頼光は石に近付いて触れようとしたが、石の毒気に害されてその場に倒れ込んでしまった。碧霞はこの石の対処法について泰山府君の指示を仰ぐために、冥界に戻る。晴明は石に近付く者が出てこないように結界を張り、立ち入り禁止の看板を設置した。
冥界に戻った碧霞は、冥界に石を持ち込むことを泰山府君に提案するが、却下されてしまう。泰山府君は、若藻の正体は天竺から日本に逃げ延びた白面金毛九尾の狐だと説明し、強大な妖力を内包した石が冥界に災いを招くことを恐れていた。碧霞は人間界に災いが及んでも構わないという泰山府君の態度に失望し、石を見守り続けると約束する。泰山府君をはじめ冥界の神々は、碧霞は人間界に肩入れしすぎだと心配する。
晴明は源頼光の看病を渡辺綱に任せて、一条戻橋から冥界に渡る。晴明はちょうど碧霞が若藻の扱いについて泰山府君と議論している場面に遭遇する。泰山府君は碧霞に、白面金毛は唐と天竺の王朝を滅亡に追い詰めるほど強いと諭し、炳霊帝君もまた、碧霞が地獄の災いを鎮めて人間界に落ちてしまったことを指摘して石を冥界に置くことに反対する。一連の会話を聞いた晴明は、碧霞は白雪が人間界で梨花として試練を乗り越えて真神になった存在だと悟る。
冥界から帰ってきた晴明は、再び陰陽道の秘伝書の執筆に取り掛かる。晴明は碧霞に陰陽師を志したきっかけを話し、自分が満月丸だと明かす。碧霞は晴明が竜宮で手に入れた鎮宅霊符を発見し、彼は本当に満月丸だったのだと感慨に浸る。晴明は「立派な陰陽師になれば再び白雪に逢える」という予言は偽りではなかったのだと喜び、碧霞もまた、彼が約束を果たしたことに感涙する。二人は抱き合い、互いの立場の違いも忘れて愛を確かめ合った。
翌年、晴明は秘伝書を完成させて『占事略决』と名付けた。晴明は巻末に「自分は占事の核心にたどり着くことを願っていたが、遠い未来においても吉凶の道理を完全に理解することはできそうにない」と記す。その文章を読んだ碧霞は、師匠亡き後もまだ弱気でいる晴明を叱咤激励する。晴明は吉平と吉昌に占事略决を書写するよう伝える。
晴明の評判は播磨国にも知れ渡り、智徳法師の庇護下で成長した芦屋道満は力を試すために上洛することを決める。智徳は、道満が晴明に勝てないことはわかっていたが、道満に経験を積ませるために快く送り出した。
第35話 初めての弟子
▶時期:天元二年(979)―永観二年(984)
道満は晴明の家を訪ね、道満を弟子にしてほしいと頼んだ。晴明は、若藻によって散々な目に遭ったことから道満の弟子入りを断ったが、道満は諦めない。晴明は仕方なく道満に試験を課し、合格したら弟子に迎え入れると約束する。しかし、実際のところ、この試験は道満の弟子入りを諦めさせるためのものだった。
晴明は道満に箱の中身を問い、道満は十五個の柑子だと答えた。ところが、晴明が箱を開けると道満が予想した柑子と同じ数の鼠が飛び出した。元々、箱に入っていたのは柑子だったが、晴明が仙術で鼠に変えていたのだ。その後も、道満が呪術を駆使して小石を燕に変えたかと思えば、晴明が沈星扇で燕を地上に落として元の小石に戻した。また、晴明は呪文を唱えて雨を降らせたが、道満は止めることができなかった。
道満が諦めて故郷に帰ろうとしたとき、碧霞が出てきて晴明に道満を弟子にするよう勧める。晴明は、陰陽寮の知識を部外者に教えてはならないと反対するが、碧霞は道満の熱意を評価し、陰陽道の代わりに呪術を教えることを提案する。こうして、晴明は渋々道満を弟子として受け入れた。そして、占事略决が彼の目に触れないよう部屋の奥深くに隠した。
藤原詮子が皇子懐仁を出産し、晴明は出産後の雑事を占った。藤原頼忠は詮子と同じく円融天皇の女御である娘遵子が未だ御子を産んでいない状況に焦りを感じ、遵子を皇后に立てる。晴明は賀茂光栄が立后の雑事を占ったと聞いて、改めて安倍氏と賀茂氏が別々の道を歩んでいることを実感する。世間の人々は御子を産んだ詮子の方が皇后にふさわしいと考えており、御子のいない遵子を「素腹の后」と非難する。兼家も心中穏やかではなく、娘超子の喪に服すと称して息子たちを巻き込み出仕を怠るようになる。そんな中、内裏が焼亡する事件が起こり、晴明は天皇から原因を占うよう命じられる。晴明は天皇が兼家を冷遇するからだと奏上するが、天皇は態度を変える事なく、内裏の修復作業が終わるまで兼通の屋敷だった堀河殿に移り住んだ。
やがて天皇は師貞親王に譲位し、懐仁親王を東宮に立てることにした。師貞は即位して花山天皇になった。天皇は生まれつき頭痛持ちで、即位式のときは王冠の重さに耐えられなかった。天皇の頭痛は雨が降ると特に悪化し、ありとあらゆる治療法が試されてきたが、天皇の病を治せた者はいなかった。そこで、晴明が天皇の病の原因を占うよう命じられる。
第36話 谷底に挟まった髑髏
▶時期:永観二年(984)― 寛和二年(986)
晴明は花山天皇の頭痛の原因を占ったが特定できず、後日改めて占うと約束して退出した。晴明が天皇の病について碧霞に相談すると、彼女は天皇の前世が関係しているのではないかと思い至る。碧霞は冥界で天皇の前世を調べ、その途中で炳霊帝君から人間に肩入れし過ぎだと苦言を呈されながらも、都に戻った。
天皇の前世は優れた行者で、その行徳によって今世では天子の身に生まれた。前世では大嶺で生を終えたが、遺体が朽ち果てて髑髏が岩間に挟まり、長らく発見されずにいた。岩は雨に当たると膨張する性質を持つことから、雨が降ると髑髏が岩に押されて天皇の頭が痛むようになっていた。晴明は普通の治療では天皇の病を治すことができないと奏上し、大嶺に赴き髑髏を取り除くよう命じられる。碧霞も髑髏のある場所を指し示すため晴明に同行する。
晴明たちが髑髏を探していると、上空から天狗が襲いかかってきた。晴明は説得を試みるが、二人は侵入者とみなされ戦闘を余儀なくされる。晴明たちは洞窟に逃げ込み、結界を張って危機を脱出した。しかし、天狗が暴風雨を巻き起こしたせいで、洞窟で夜を明かさなければならなくなった。晴明と碧霞は寒さに身を寄せ合い、二人が夫婦だったときの思い出話に花を咲かせた。
晴明が不在にしている間、吉平は占事略决の書写に勤しんでいた。この間、彼は道満を一時的に預かっていたが、道満は晴明から学んだ呪術のほかに占事略决の学習も望んでいた。しかし、吉平は道満の頼みを固く断った。
翌朝、晴明はついに碧霞の指し示した場所に辿り着き、岩間から髑髏を取り除いて布で包んだ。晴明が都に帰ってくる頃には、天皇の頭痛は治っていた。その後、権力を得るための入内競争が始まり、藤原為光は娘忯子を入内させて、彼の願いが叶い忯子は天皇の寵愛を一身に受ける。やがて忯子は懐妊するが、天皇はなかなか彼女の里下がりを許さず、側から離そうとしない。忯子に嫉妬した後宮の女たちの呪詛もあり、彼女は懐妊中に亡くなってまう。天皇は憔悴し、出家への道を模索し始める。この状況を好機だと捉えた藤原兼家は息子道兼を介して天皇に出家を勧め、頼光をはじめとした源氏の武者たちにも出家に協力するよう命じる。
有明の月の夜、天皇は出家のために密かに内裏を出発し、道兼も同行する。天皇は一度出家を思いとどまったが、後戻りはできなかった。ちょうどその頃、晴明は帝の退位を示す天象を目撃する。
第37話 花山院の出家
▶時期:寛和二年(986)― 永祚元年(989)
晴明が天象に驚いていると、ちょうど出家に向かう花山院と藤原道兼が通り過ぎていった。晴明は花山院の出家を報せるために大急ぎで参内する。花山院の不在に気づいていなかった女官たちが晴明の報告が本当か確かめたところ、貞観殿に小門が微かに開いているのを発見し、この門から出家に向かったのだろうと察して呆然とした。
花山寺に到着した花山院は剃髪し、出家の願いを遂げた。彼に同行していた藤原義懐と藤原惟成も共に出家した。花山院は道兼も共に出家するものだと思い込んでいたが。ところが、道兼は出家する前の最後の姿を父に見せたいと申し出て退出する。その時、花山院は兼家の策謀に嵌められたことに気付き追いかけようとしたが、源頼光たちに阻まれてどうすることもできなかった。
新たに懐仁親王が一条天皇として即位し、藤原兼家が摂政を務めることになった。さらに兼家は娘詮子を皇太后宮に、孫に当たる居貞親王を東宮に立てて権力の基盤を盤石にする。花山院退位の天象を奏上した晴明は比類なき天文博士だと評され、天文道の頂点を究めた晴明は博士を吉昌に継がせる時が来たと判断する。そうして、晴明は吉昌を天文博士に推薦して、陰陽寮から独立した。
今や安倍氏は元々陰陽師の家系ではなかったにもかかわらず、晴明の不断の努力によって代々陰陽道を受け継いできた家柄の人々と肩を並べるほどになっていた。しかし、長らく師匠の下で苦渋を噛み締めてきた晴明は現状に満足することなく、安倍氏を他の一族より抜きん出た存在にしたいと考えていた。彼はこれまでに何度も縁があり、愛する人を生み出した神でもある泰山府君の名を知らしめ、安倍氏の守神にしようと思い立つ。
晴明は碧霞と一緒に冥界に赴き、泰山府君に新しい陰陽道の祭祀を行わせてほしいと願い出る。その祭祀は、かつて晴明が梨花を疫病から救うために修した密教の焔羅天供行法次第と、七献上章祭を掛け合わせたものだった。泰山府君は意外な申し出に驚くが、自分の名前が世に広められるのを喜ばない神はいないと言って彼の提案を受け入れた。泰山府君は司命を呼び、祭祀の呪文や供物を考案して晴明に伝えるよう命じる。
それから時が流れ、円融法皇は一条天皇に関する悪夢を見た。朝廷は法皇のために尊勝御勝法・焔魔天供・代厄御祭を修することを定めた。陰陽寮も邪気を祓う予定だった。そこへ晴明が参内し、彼が編み出した特別な祭祀を行わせてほしいと奏上する。
第38話 泰山府君祭
▶時期:永祚元年(989)
晴明は藤原兼家に、焔魔天供と代厄御祭の代わりに泰山府君祭を行わせてほしいと奏上する。兼家は初めて聞く祭祀の説明を求め、晴明はかつて泰山府君の法によって村上帝が救われたこと、泰山府君にまつわる呪術によって冷泉院を延命させたと述べる。兼家は泰山府君祭の実施を認め、晴明は吉日を選んで祭祀を修した。その後、法皇は悪夢から救われ、泰山府君祭の効果が認められた。晴明は、泰山府君祭は安倍氏が生み出した祭祀だと主張し、あらゆる苦しみを救済する儀式として陰陽寮の公的な祭祀に加える。こうして、晴明は自ら生み出した祭祀によって陰陽寮の発展に貢献することに成功した。
その後、宮中で花宴が催され、晴明は酒に酔った公卿たちから「泰山府君祭によって桜の花の寿命を延ばしてみせてほしい」と要求される。晴明は仕方なく沈星扇の力を駆使して桜の寿命を延ばしてみせたが、次の日になると宴の場にいた人々のほとんどは花の寿命のことなど覚えていなかった。数日後、晴明が桜の花の様子を見に行くと、寿命を迎えるはずの桜の花が未だ咲いていたので、晴明は泰山府君祭の効果は偽りではなかったのだと実感する。晴明が感慨深く桜の花を眺めているところへ藤原道長が通りかかり、晴明が花の寿命を延ばしたことを祝う。道長は花宴での出来事を覚えており、晴明がただ者ではないことを悟る。
やがて彗星が現れ、吉昌は災いが訪れる兆しだと奏上して改元が行われる。彼の天文密奏は的中し、都は暴風雨に見舞われた。世間の人々は天象を見逃さなかった吉昌を讃えた。
寛静が創建した遍照寺で大般若経の供養が行われた。供養が終わり、晴明は若い貴族たちから「陰陽師は式神を用いて人を殺めることができるのか」と声を掛けられる。晴明は無益な殺生はしないと答えたが、貴族たちはなかなか引き下がらない。ちょうどそこへ、一匹の蛙が池の方へ飛び跳ねていった。貴族のうちの一人が晴明に対して、あの蛙を殺めてみてくれないかとしつこく要求してきた。晴明は、失礼な貴族たちを追い払うために、一枚の葉を用いて蛙を押し潰したように見せた。その場にいた人々は真っ青になり逃げ去った。晴明は碧霞元君から人前で術を行使したことを叱責され、自制心を強くもつと約束する。
一方、炳霊帝君は司命から大江山に置かれている石の封印が解けそうだと報告を受ける。二人が石の様子を見に行ったところ、石は猛烈な毒気を放っていた。
第39話 酒呑童子との戦い
▶時期:正暦元年(990)
大江山に封じられた殺生石の周囲には結界が張られていたが、石から放たれている強い毒気によって力が弱まっていた。司命は、この結界が解けたら殺生石は近づく者に害を為し、石の下から湧き出ている水が川に合流すれば魚がいなくなるだろうと説明する。炳霊は人間界には興味を示さなかったが、碧霞元君が責任を感じてしまうことを恐れる。炳霊と司命は泰山府君に報告するために冥界に戻るが、その間に山賊たちが封印の解けた殺生石の毒気に当たって鬼と化してしまう。
貴族の娘たちが次々に失踪する事件が起こり、宮中は厳重に警固された。晴明は藤原道長から極秘に事件の解決を命じられる。晴明と碧霞は失踪した娘たちが大江山に囚われていると突き止め、殺生石が原因ではないかと思い至る。晴明が道長に事情を説明した結果、源頼光たちを連れて大江山に向かうことになった。大江山の近隣に住む翁たちによると、この山に突然鬼神が出現し、酒をよく呑むことから酒呑童子と名付けられて人々から恐れられていた。酒呑童子は酒を呑むと前後不覚になるため、碧霞は神変鬼毒酒を調合して頼光に渡す。この酒は鬼が呑むと力を失い、人間が呑めば良薬になった。
晴明たちは酒呑童子の居城に辿り着き、門番を務めていた鬼たちを倒して酒呑童子と対峙する。頼光が酒呑童子に酒を呑ませると、彼は都からさらってきた娘たちを呼び寄せて酒を呑ませようとする。酔いが回った酒呑童子は身の上話を始め、彼は元々普通の人間だったが、大江山の奥地に置かれている石に近づいたところ強大な力を吸い込み鬼になったと話した。彼が泥酔している間に、碧霞は娘たちを救い出した。頼光四天王が酒呑童子の手足を拘束し、頼光がとどめを刺した。
碧霞が娘たちを介抱している間に、晴明は酒呑童子の居城を離れて殺生石の様子を確かめに行く。晴明が殺生石に話しかけると、若藻の霊魂が現れた。若藻はこれまでの悪事を告白し、殺生石の封印が解けたら日本を滅ぼすと宣言する。晴明は若藻に改心を迫るが、彼女は手遅れだと拒む。だが、晴明は若藻を諌めながらも善良な心を持たずに生まれた彼女を哀れみ、彼女の力添えがなければ強くなれなかったことに感謝する。若藻は晴明に改心を約束し、眩い光を放ったかと思うと、その光は晴明の身体に吸い込まれていった。一方、碧霞は娘たちを頼光と四天王に託して晴明を探しに行き、殺生石の前で倒れている彼を発見する。
第40話 混沌の力
▶時期:正暦元年(990)― 長徳元年(995)
殺生石の前で倒れている晴明を発見した碧霞は、彼の身体から放たれた瘴気に当たって意識が混濁し、気を失ってしまう。しばらくして、二人の帰りが遅いことを心配した源頼光は四天王を引き連れて再び大江山に登り、倒れている二人を発見して都に連れて帰った。
昏睡中の碧霞の脳裏には、彼女が梨花として生きていた時の記憶が次々と蘇った。目覚めた彼女はすべての記憶を取り戻しており、これまでに起こった出来事を回顧した。碧霞は晴明が無事だったことに安堵して、再び殺生石の様子を確かめに行く。だが、彼女の懸念とは裏腹に、殺生石は何の変哲もない石と化していた。碧霞は殺生石を冥界に持ち帰ったが、冥界の神々は彼女が冥界を滅ぼす気だと非難した。
泰山府君は殺生石に封じられていた力がなくなっていることを確かめ、獄卒に石を叩き割らせた。石は真っ二つに割れ、若藻の霊魂が現れた。しかし、もはや若藻は何の力も持たなかったので、泰山府君は彼女の霊魂を消し去った。二つに割れた殺生石のうち、片方を泰山府君が持ち、もう一方を碧霞が保管することになった。
目覚めた晴明は、外傷はなかったものの体に力が入らず起き上がることができなかった。碧霞は晴明を介抱しながら、記憶が戻ったことを伝えた。晴明は感慨に浸り、もう二度と碧霞を離さないと誓う。碧霞の献身的な看病も虚しく、晴明は経験したことのない高熱にうなされた。神変鬼毒酒は酒呑童子との戦いで使い果たしてしまったので、碧霞は新しい薬を調合しなければならなかった。
晴明は数日間苦しみ、吐血することもあったが、碧霞の必死の看病もあって回復した。晴明は、藤原兼家が危篤だと知り、急いで屋敷に向かう。兼家は出家して摂政を息子道隆に譲り、晴明が見守るなか静かに息を引き取った。葬儀の場で、晴明は藤原道長と再会する。晴明から兼家とは長く親交があったことを聞いた道長は、彼の年齢を知って驚く。本来なら老人であるはずの晴明は相変わらず若いままの容姿を保っており、外見上は道長と同世代に見える程だったのだ。しかし、晴明は必ず一族にとって大きな支えになると信じていた道長は、彼に不審感を表すことはなかった。
都では疫病が流行し、庶民だけでなく貴族までもが落命する。上流貴族も例外ではなく、藤原道隆と藤原道兼も疫病に罹って数日足らずで亡くなる。そんな中、晴明の家に園城寺の僧が訪ねてきて、師匠を疫病から救ってほしいと懇願される。
第41話 泣不動縁起
▶時期:長徳元年(995)
園城寺の僧は晴明を病床に臥している智興阿闍梨の部屋に案内し、これまでに大法秘宝や医療鍼灸の限りを尽くしても師匠を病から救うことができなかったと説明する。弟子たちは晴明が人間離れした力を持っているという噂を聞きつけ、彼ならば師匠を救えるかもしれないと一縷の望みをかけていた。晴明は泰山府君祭を修して智興を救おうとしたが、碧霞から身代わりとして寿命を差し出す者を要求される。晴明は人命に関わる状況で淡々と説明する碧霞に反発するが、彼女は何の代償もなく本来の寿命を延ばすことはできないと諭す。晴明は神々にとって陰陽師など取るに足らない存在なのだと痛感し、碧霞の言葉を渋々受け入れた。
晴明は弟子たちに「智興阿闍梨を救うためには、誰かが身代わりとして命を差し出さなければならない」と苦々しく説明する。ところが、身代わりを申し出る者はなかなか現れず、弟子たちは互いに顔を見合わせて様子を伺っていた。しばらく沈黙が続いた後、弟子の一人である證空が身代わりを申し出た。彼は師匠から特に気に入られていたわけではなかったが「私は人生の半分以上生きたので、もう長くは生きられません。貧しくて善行を積むこともできません。ですから、私が師匠の身代わりになります」と覚悟を決める。
晴明が祭祀の準備を始めようとすると、證空が最期に母に会って別れを告げたいと懇願したので、彼を願いを聞き入れた。その間、碧霞は冥界に戻って泰山府君に晴明の泰山府君祭を見てほしいと頼む。
晴明は都状に證空の名を記し、泰山府君祭を修した。祭祀が終わると、智興の容態はみるみる回復し、弟子たちは晴明を師匠の命の恩人だと讃えた。一方、證空は死穢に触れても問題ない部屋を用意されて、極楽浄土に行けることを願って念仏を唱えていた。晴明もまた、證空の最期を見届けるために園城寺に留まっていた。晴明はこの手で證空の命を奪ったような気持ちになり、一睡もできなかった。
夜が明けて、晴明は證空の様子を確かめようと彼の部屋を訪ねたが、命に別状はなかった。二人が不思議に思っているところへ碧霞が来て、泰山府君の慈悲によって證空が救われたと伝えた。晴明は、泰山府君祭を修している間に碧霞が泰山府君を説得していたことを知る。
園城寺から帰る途中、晴明と碧霞は陰陽師を題材にした猿楽が耳に入って足を止める。その猿楽では、賀茂道世という架空の陰陽師を主人公にして、陰陽師を紹介していた。
第42話 道長を襲う呪詛
▶時期:長徳元年(995)― 長徳二年(996)
晴明は平安京をあらゆる災いから救ってきたが、世間の人々は未だに三道を究めた賀茂保憲こそ陰陽師の代表的な存在だと認識していた。すでに陰陽寮を離れた晴明は、師匠のように三道の博士を経験することはできなかった。だが、暦博士である賀茂光栄に対して、吉平は陰陽博士、吉昌は天文博士に就任していた。晴明は息子たちに賀茂氏を越える夢を託すことにした。
疫病は勢いを増し、庶民だけでなく四位や五位の貴族も犠牲になった。藤原道隆も疫病で亡くなり、彼の関白を引き継いだ藤原道兼も程なくして疫病で命を落とした。このような状況の中で、晴明は宮中を往来していたにもかかわらず、少しも体調を崩すことがなかった。晴明は疫病に苦しむ人から助けを求められたら、貴賤を問わず彼らを救った。そして、自分一人の力ではこの災いを収めることができないと判断した彼は、陰陽寮に四角祭を行わせて疫病を鎮めるよう奏上した。
道兼の死後、一条天皇は誰が関白を引き継ぐのか決めなければならなかった。天皇は藤原定子のために伊周を推すが、藤原詮子は道兼の弟である道長が関白にふさわしいと必死に説得する。その甲斐があって、道長は内覧宣旨を賜った。
藤原伊周と藤原道長が激しい口論になり、その場にいた人々は遠くから二人の口論を聞いて嘆いていた。さらに、数日後には道長の従者と藤原隆家の従者が闘乱し、隆家の従者が道長の従者を殺害する事件が起こった。
その後、道長が病に倒れるが、医療鍼伮や加持祈祷では効果が見られなかった。そこで、晴明が道長を診たところ、強い邪気に覆われていた。道長が呪詛されていると判断した晴明は、霊力を集中させて呪詛返しをした。夜が明けて道長の病は平癒し、彼の家族たちは晴明を並々ならぬ陰陽師だと讃えた。道長を呪詛したのは高階成忠に仕えていた法師陰陽師で、彼は晴明の呪詛返しに遭って落命してしまった。高階家の家人によると、法師陰陽師の骸から凄まじい毒気が漂っていたという。その毒気は、碧霞元君が殺生石の前で倒れている晴明を発見したときに感じ取ったものと同じだった。しかし、晴明自身は毒に冒されている気配はまったくなかった。成忠は伊周の縁者であるため、道長は伊周が呪詛を行わせたのではないかと疑う。
年が明けて、伊周は花山院に愛人を奪われたと誤解し、隆家に相談する。花山院が伊周の愛人の家から帰る途中、隆家は従者に命じて花山院目がけて矢を射させる。
第43話 長徳の変
▶時期:長徳二年(996)― 長徳四年(998)
藤原隆家の従者が放った矢は、花山院の衣の袖に当たった。闘乱が起こり、隆家の従者が花山院の従者である二人の童子の首を持ち去った。為光の四女のもとに通っていることを知られたくなかった花山院は事件を公にしなかったが、やがて事件が発覚し、宮中の人々の知るところとなった。
一条天皇は藤原道長に藤原伊周と隆家の罪名を決定するよう命じる。翌月、藤原詮子が急病を患い、道長に召された晴明が詮子の病を占ったところ、邪気を感じ取った。晴明は道長に詮子の病が呪詛によるものだと伝え、寝殿の板敷の下から呪いが込められた人形を発見する。晴明は人形に対して呪詛返しを行い、数日後に伊周に仕えていた法師陰陽師が落命したという報せが届いた。さらに翌月には法琳寺から伊周が太元師法を行っているという密告が届いた。この修法は、臣下が無断で行ってはいけないものだった。道長は伊周の罪を「花山院を得たこと・詮子を呪詛したこと・私的に太元師法を行ったこと」と決定し、伊周と隆家の配流宣命が下された。検非違使たちが二人を捜索したが屋敷に籠ったまま出て来ず、とうとう屋敷を打ち破るまでの騒ぎになった。この騒動に耐えられなかった藤原定子は、自ら髪を削ぎ落として出家した。
騒動の後、藤原公季の娘義子と藤原顕光の娘元子が入内して女御となった。道長の娘彰子はまだ幼く、詮子は皇子を出産してくれるのであればどの女御でも構わないと考えていた。ところが、年が明けて詮子が再び病床に臥してしまう。晴明は道長に詮子の病の原因は配流された伊周と隆家の祟りによるものだと説明し、大赦を行って二人を召還すれば詮子は病から救われると進言する。こうして伊周と隆家は帰京し、世間の人々の道長への人望はより一層高まった。やがて定子が出家した身であるにもかかわらず参内し、多くの貴族たちは奇怪に感じる。しかし、一条天皇は出家する前と変わらず定子に深い愛情を注ぎ、道長は彰子を入内させられない状況に焦りを感じていた。
晴明と賀茂光栄は蔵人所陰陽師に就任し、行動を共にすることが多くなっていた。晴明は二人の息子がそれぞれ陰陽道と天文道の博士であることについて、度々光栄から苦言を呈された。光栄は、父保憲は晴明に陰陽道まで明け渡したわけではないと考えていたのだ。
晴明は、道長を支え続ければ師匠に並び立てるかもしれないと希望を抱いていた。ところが、道長は命に関わる重い腰病を患ってしまう。
第44話 一帝二后
▶長徳四年(998)― 長保二年(1000)
重い腰病を患った道長は大臣を辞めて出家したいと奏上したが、認められなかった。道長の病は邪気が原因だったので、晴明は泰山府君祭を奉仕して延命を祈願した。道長の病は一時的に平癒したが、すぐにまた病床に臥してしまう。このようなことが繰り返され、晴明は道長を呪詛している者は一人ではないと思い至る。晴明は弱気になっている道長を励まし、必ず病から救うことを約束する。
晴明は道長を恨みのありそうな者の屋敷を次々と訪問するが、門の中に入れてもらうことはできなかった。晴明が道長を救うために呪詛返しを行うことが繰り返され、やがて高階成忠が亡くなったという報せが届いた。その後、道長は完全に回復し、腰病に苦しむことはなくなった。
冥界では晴明の呪術によって大勢の法師陰陽師が落命していることが話題になり、炳霊帝君は晴明が妖狐の力によって人間界の運命に干渉することを危惧する。泰山府君もまた、半妖にすぎないはずの晴明が身に余るほどの霊力を蓄えていることを不審に思う。碧霞元君は、晴明は主人を呪詛から守っただけだと主張し、泰山府君は碧霞に晴明を任せてしばらく静観することにした。
やがて藤原彰子が入内し、道長は立后の計画を進める。道長は藤原行成を介して一条天皇に彰子の立后を認めるよう要求し、行成もまた藤原定子が出家した現状を顧みて新しい后が必要だと判断し、道長の指示に従った。天皇は道長の願いを受け入れ、晴明は立后の日時を定めた。そして、藤原遵子が皇太后に、定子が皇后、彰子が中宮となった。前代未聞の事態だが、彰子以外の后たちが悉く出家しており、藤原氏の氏神を祀ることができないため受け入れられたのであった。
詮子が重病に冒され、晴明は道長に「藤原伊周を本位に復せば、詮子の病は平癒する」と進言する。道長は伊周の復位を奏上するが、天皇は尋常ではないと認めなかった。その後、道長が病に倒れたので碧霞が彼を診たところ、邪気は詮子ではなく道長に憑いていた。晴明は、道長を護るために多くの法師陰陽師たちの命を奪ってきたことに苦笑しながらも、彼を守り通すことを約束する。
相撲の季節が到来し、相撲人のためにたくさんの瓜が届けられた。道長の屋敷にも瓜が届けられたが、物忌の期間中であったため、晴明に瓜を受け取ってよいか相談した。そこで、晴明が瓜を見に行ったところ、強い邪気が感じられた。晴明は源頼光を呼び、瓜を叩き割ってほしいと伝える。
第45話 陰陽の達者
▶時期:長保二年(1000)― 寛弘元年(1004)
源頼光が瓜を叩き割って中を覗くと、小さな毒蛇がとぐろを巻いて死んでいた。晴明は道長にこの事件を報告し、邪気のない瓜を厳選して渡した。
陰陽寮では、以前から賀茂光栄が朝廷に暦博士の任命を申請していたが未だ博士が決まっていないため、頒暦の期限を過ぎてもなお暦を進上できていなかった。本来、博士は除目の際に任じるものだが、吉日がなかったので行われていなかったのだ。だが、陰陽寮は暦の完成が遅れているのは暦道の懈怠だと思われたくなかった。そこで、光栄の息子守道が新たに暦博士に就任した。この一件を知った吉平は「博士が不在ならば、光栄が暦を造進すればよかったではないか」と不満を吐露する。だが、晴明は「光栄は敢えて自ら暦を造進しないことによって暦の完成を遅らせ、息子を博士に任命せざるをえない状況を作り出したのだ」と推察した。
道長は藤原詮子の長寿祝いを催すが、彼女の病状は重くなる一方で、余命いくばくもなかった。晴明は詮子の延命を祈願したかったが、碧霞元君から「物の怪や呪術によって寿命が縮まっているなら延命するが、天寿である場合は徒に延命してはならない」と忠告されたので、形だけの泰山府君祭を修するにとどまった。死の淵にあった詮子は道長を邪気から遠ざけるために伊周の復位を望み、伊周は本位の正三位に叙された。
詮子の死に伴って追儺は中止され、大祓のみを行うことが決定した。そのことを知らなかった碧霞は追儺が行われていないことに疑問を感じ、晴明に追儺を行うべきだと伝える。しかし、すでに決定したことを覆すことはできなかったので、仕方なく安倍家だけで行うことになった。皆で追儺の祭文を読み上げていると、近隣の住民たちにも声が届き、ちょうど隣に住んでいた源頼光の一家も追儺に参加した。追儺の輪は次第に広がっていき、結果として平安京の大部分で追儺が行われた。翌日、この騒ぎは朝廷にも届き、晴明は説明を求められた。晴明が「自宅で追儺を行ったところ、都の人々も呼応して追儺を行った」と話すと、人々は晴明を陰陽の達者だと讃えた。
伊周と和解した道長は、兼ねてからの念願であった法性寺にある藤原氏一族の墓所の地に木幡三昧堂を建てる計画を勧める。晴明は木幡三昧堂を建てる場所を定めるために、光栄と道長と一緒に法性寺へ赴く。ところが、道長が門に入ろうとした時、連れていた白い犬が彼の前に立ちはだかって中に入れないように吠え回る。
第46話 道満の厭術
▶時期:寛弘元年(1004)― 寛弘二年(1005)
藤原道長が法性寺に入ろうとすると、連れていた犬が立ちはだかって中に入れないようにした。不思議に思った道長は晴明を呼び、原因を調べさせた。晴明は法性寺までの道から邪気を感じ取り、呪物が埋まっているのではないかと疑う。そこで、晴明が道長の従者に邪気の強い場所を指し示して掘らせたところ、土器を発見した。土器の中には黄色い紙が十文字に縛られていて、土器の底には朱砂で一文字が書き付けられていた。晴明は、かつて道満に教えた呪術と同じものだと察して、懐から白い紙を取り出した。そして、彼は紙に朱砂を付けて鳥の姿に折り、術をかけて空へ放り投げた。すると、紙でできた鳥はたちまち本物の白鷺と化して遥か向こうへ飛んでいった。晴明は人に気づかれないように術をかけたつもりだったが、密かに一連の光景を見ていた光栄は「晴明は普通の人間ではなかったのだ」と驚き動揺する。
晴明と道長は白鷺を追いかけていると、白鷺はふらふらと地上に落ちていった。晴明が落ちた場所に向かうと、道満の家の前にたどり着いた。道長の従者が道満を生け捕りにして、道満は罪を認めて播磨国へ追放された。道満の呪詛の標的は、道長ではなく晴明だった。
晴明は光栄から正体を問いただされ、妖狐の血を引いていることを白状する。光栄は「父上は物の怪を弟子にしていたのだ」と絶望して朝廷に奏上しようとしたが、晴明が半妖であることを証明できるものがないので、どうすることもできなかった。
今やかつての師匠と同じ官位まで登り詰めていた晴明は、八十歳を過ぎてもなお宮中で働き続けていた。彼自身もまだ宮中を去るつもりはなかったが、光栄が陰陽寮に晴明の正体を言いふらして噂になり始めていた。また、晴明が老年になっても若者と変わらない風貌であり、五龍祭で雨を降らせる力を見せてから宮中では光栄の話を信じる者もいた。碧霞は晴明の今後の生活について熟考し、弟子として仙人になるための修行を積ませることを決意す
る。晴明もまた、子供達に迷惑をかけるわけにはいかなかったので、彼女の提案を渋々受け入れて身辺整理を始める。
晴明は碧霞と一緒に冥界へ赴き泰山府君に事情を説明する。泰山府君は碧霞のように晴明と共に時間を過ごしたことがなかったので、彼が仙人にふさわしいのか否かわからなかった。そこで、泰山府君は晴明に試練を課すが、その過程で晴明が身体に強大な陰気を秘めていることが判明する。
第47話 火刑台上の妖神
▶時期:寛弘二年(1005)
晴明の身体には強大な陰気が秘められていることが判明し、彼は冥界の鎖妖窟に閉じ込められてしまう。責任を感じた碧霞元君は泰山府君に晴明に代わって罰を受けることを願い出る。しかし、泰山府君は彼女の願い許さず、晴明の身体から邪気を完全に取り除くことはできないと説明する。今、晴明の身体の中には生来の霊力と白面金毛九尾の狐から授かった陰気が混ざり合っており、もはや妖神と呼ぶにふさわしい存在と化していた。碧霞は晴明の中にある妖神の力を封印したと主張したが、冥界の神々は聞く耳をもたなかった。
冥界の神々は妖狐を統括する立場である碧霞が妖神の存在に気づかなかったことを責め立て、泰山府君は碧霞に晴明の処遇を任せようとしたが、炳霊は彼女が晴明を救出するのではないかと危惧していた。碧霞は自室に幽閉され、泰山府君は炳霊に晴明のことを任せた。
炳霊は鎖妖窟を訪れ、晴明を火刑に処すと告げる。妖神のもつ混沌の力を完全に消し去るには、晴明の霊魂ごと抹殺しなければならなかった。そうなれば、晴明は生まれ変わることもできず、碧霞には二度と会えなくなるのであった。晴明は以前の妖神のような悪行を働かないと誓うが、炳霊は彼の言葉を聞き入れなかった。晴明は自分が処刑された後の未来に思いを馳せ、もし命を奪われれば碧霞とは永遠に別れることを想像して絶望する。
一方、陰陽寮では晴明の正体が広まっており、吉平や吉昌の立場も危うくなっていた。しかし、このことを耳にした藤原道長が根も葉もない噂話だと断じて、いかに晴明が朝廷に尽くしてきたか主張し、この騒動は緩やかに収まっていった。
処刑の当日、晴明は獄卒によって火刑台に連行される。処刑台に火がつけられ、晴明の身体には燃え盛る火炎が迫っていた。一方、晴明が処刑されることを知った碧霞は幽冥槍に全身全霊の力を込めて部屋に張られた結界を破り、刑場に急ぐ。晴明の衣に火が燃え移って彼が死を覚悟したその時、封印されていた妖神の力が目覚め、晴明は鎖を引きちぎり周囲の獄卒たちを一掃した。そこへ碧霞が駆けつけ、処刑台に向かって幽冥槍を投げつけて火を消し、晴明を連れて刑場から逃げ出そうとする。しかし、二人の前に炳霊が立ちはだかり、碧霞は彼と一騎打ちになる。激しい攻防戦の末に、碧霞は炳霊を押し退けて晴明と一緒に冥界を脱出した。二人が晴明の家に逃げ込むと、ちょうど家に来ていた吉平と吉昌がいた。
第48話 道満の厭術
藤原道長の許に早瓜が献上されたが、物忌の期間中だったので、晴明は受け取ってもよいか占いました。晴明が瓜を調べたところ、一つの瓜から毒気が感じられました。晴明が祈祷すると瓜は左右にゆらゆらと揺れ始めました。源頼光が刀で瓜を叩き割ると、瓜の中で小さな毒蛇がとぐろを巻いていました。頼光が瓜を割ったときに蛇の頭も切られていました。
長保六年(1004)二月、藤原道長が法性寺の修理巡検のために門に入ろうとした時、連れていた白い犬が道長の前に立ちはだかり、門の中に入れないように吠えまわりました。道長はしばらく立ち止まって様子を見ていましたが、特に変わったことはなかったので再び入ろうとしました。すると、犬が道長の衣の裾を加えて引き止めようとしました。何か理由があるのだろうと思った道長は晴明を呼び、吉凶を占うよう命じました。晴明はしばらくの間占い、犬が道長を引き止めたのは道の下に厭物が埋められているからだと伝えました。さらに、晴明は道長に命じられて厭物が埋まっている場所を探して掘り起こすと、土を五尺程掘ったところに厭物が埋められていました。そこには、土器を二つ打ち合わせたものに黄色い紙が十文字に縛り付けられていました。土器の中には何も入っていませんでしたが、底に朱砂で一文字が書かれていました。晴明は懐から紙を取り出し、鳥の形に折って空へ投げました。紙の鳥はたちまち白鷺になり、南の方へ飛んでいきました。晴明たちが鳥を追っていくと、古民家の中に落ちていくのが見えました。そこは道満の家でした。道満は播磨国へ追放されました。
寛弘元年(1004)、晴明は五龍祭を奉仕しました。夜になって大雨が降り、人々は晴明の祭祀に効験がみられたのだと感動しました。翌日、晴明は褒美を賜りました。
第49話 蘇る記憶
晴明は藤原道長から一条天皇の病の原因を占うよう命じられる。天皇は強い邪気に冒されていた。晴明が泰山府君祭を行うと、九尾の狐が姿を現して都の外へ逃げていった。伝説の悪狐・白面金毛九尾の狐だとわかった。
源頼光と四天王は後を追い、那須野の原で白面金毛を発見した。碧霞元君は激しい雨を降らせて、白面金毛が逃げられないようにした。頼光らが妖狐を退治したが、不思議なことに狐は大きな毒石に変じた。
晴明は毒石に近づかなければ害はないと説明し、人を近づけないために札を立てた。毒石に近づく者はいなかったが、動物が近づいては倒れた。石の周りには動物の骸が積み上がり、殺生石と呼ばれた。碧霞は晴明に気づかれぬよう密かに那須野に向かう。
碧霞が殺生石と対峙すると、少女の霊魂が現れた。彼女は「いずれ時が経てば復活して、再び日本を傾ける」と宣戦布告した。日本に災いが訪れないように、碧霞はここで霊魂を完全に絶つことに決めた。彼女の一撃によって殺生石は二つに割れた。ところが、石から立ち込めた凄まじい毒気が碧霞を襲い、彼女は昏睡状態になってしまう。眠っている間、梨花だった時の記憶が次々と呼び起こされる。
第50話(最終回)
魔尊を倒すための九尾狐の力を解放したことによって、晴明の正体が都じゅうの人々に知られてしまいました。しかし、全身全霊で平安京から災いを退けた彼を物の怪だと恐れる者はもはや誰もいませんでした。正体を知られた晴明は、もうここにはいられないと別れを告げます。晴明は藤原道長に息子の吉平と吉昌を託して、この世を去りました。このときの晴明は八十五歳で、人間であればとうに亡くなっていてもおかしくない年齢でしたが、それでも道長や息子たちをはじめとした大勢の人々が晴明との別れを惜しみました。
碧霞元君の真摯な説得によって、青丘は晴明を正式に狐族の皇子だと認めます。青丘において、晴明はついにかつての母親と再会を果たしました。しかし、青丘の皇子の身分をもってしても、真神である元君とは未だ釣り合いません。そこで、玄天上帝が特別に東海の神仙の称号を与えた。元君は晴明に上帝は自分の師匠だと紹介しました。そのときになって初めて、晴明は幼少の頃に出逢った白雪と元君が同じ存在だと知りました。彼にとって、陰陽師を志したきっかけである白雪が人間に転生したのが梨花で、梨花が人間界での試練を終えて真神に昇格したのが碧霞元君だったのは、思いもよらないことでした。
三年後、北宋の皇帝真宗は封禅のために泰山に登り、玉女池を訪れました。突然、池から女神の石像が湧き上がり、真宗は石像を碧霞元君として祀りました。後に元君は泰山府君を凌ぐ人気となり、彼女を祀る廟が次々と建てられました。碧霞元君の傍らには、夫として、冥官として常に彼女を支え続ける晴明の姿がありました。