陰陽師たちの活動年表:仁明天皇時代
平安時代の陰陽師たちの活動記録をわかりやすく簡単に解説します。仁明天皇時代の陰陽師たちの活動を紹介しています。
安倍晴明だけではなく、たくさんの陰陽師たちが歴史の中で活躍してきたことがわかります。
その他の時代の陰陽師たちの活動記録は以下のマガジンで確認できます。
活動記録
承和九年(842)
◆6月5日 陰陽寮が怪異について占う
承和九年(842)6月5日戊辰、仁明天皇は次のように勅した。
「まず陰陽寮に物の怪について占わせたところ、疫気があると奏上してきた。使者を伊勢大神宮へ遣わして奉幣し、災いを祓うための祈祷をさせるように」。(『続日本後紀』)
承和十年(843)
◆5月3日 陰陽寮が天変に謝す
承和十年(843)5月1日己丑、太陽に光がなく、終日回復しなかった。雲でもなく霧でもない黒い気が天に広がった。午後になって時々太陽が見えたが、日光の色は黄みのかかった赤色であった。(『続日本後紀』)
同年5月3日辛卯、陰陽寮は神祇官とともに先日の天変を謝した。この日の午の刻、太陽が明るくはっきりと見えるようになった。(『続日本後紀』)
承和十四年(847)
◆1月12日 陰陽頭を故のままとする
承和十四年(847)1月12日己酉、従五位下藤原朝臣並藤を兼加賀守に任じ、陰陽頭は故とした。(『続日本後紀』)
承和十五年(848)
◆6月10日 陰陽寮が今秋の雨について奏上する
承和十五年(848)6月10日丁酉、仁明天皇は次のように勅した。
「陰陽寮が申して言ったことには、今年の秋は雨による被害があるという。もし予防しなければ、年穀が損害を受けるだろう。五畿七道の諸国に命じて明神に奉幣し、雨の被害を防ぐように」。(『続日本後紀』)
嘉祥二年(849)
◆2月25日 陰陽寮が疫病と洪水について奏上する
嘉祥二年(849)2月25日庚戌、陰陽寮が言上したことには「今年は疫病が流行するおそれがあり、また四、五月には洪水があります」という。仁明天皇は次のように勅した。
「年来、疫病に感染した人は往々にして早死している。それを防ぐためには神仏の威光が頼りであり、その救済は仏教の力に期する。五畿七道の諸国に命じて名神に奉幣し、併せて国分二寺及び定額寺において七日間に渡り、昼は経を転読し、夜は観音を拝むように。法のように修行すれば、必ずや感応があるだろう」。(『続日本後紀』)