最近読んだ本 『雨の降る日は学校に行かない』 相沢沙呼
読んだ本の感想を備忘録的に書いていこうと思ってます。
読書は知識となり血となり肉となると言いますが、私自身、あまりそういう実感が湧かないんですよね。面白かった~うへへwで終わってしまうことが多いです。一年も経てば内容も忘れてるし。
なので簡単にでも自分の感想を書いていくことで多少なりとも自分の中に残して読書ライフが充実したものになればいいと思ってます。そしてこの感想を読んだ方が、この本読んでみたいと思ってくれたらなおのこと幸せですね。
というわけで書いていきます。
「雨の降る日は学校に行かない」 相沢沙呼
相沢沙呼さんと言えばミステリー小説の「medium 霊媒探偵城塚翡翠」が本屋大賞で話題になったりして、そのイメージが強い方なのですが、非ミステリーの青春小説の多数執筆されており、この「雨の降る日は学校に行かない」もそのうちの一本です。
学校生活に息苦しさを感じている女子中学生の憂鬱と、かすかな希望を描き出す6つの物語
とあるようにこれは短編集です。全体を通したテーマとして、思春期の少女の抱える切実な痛みが描かれています。
未熟さゆえの無理解・想像力の無さ、そういったものによる悪意の発露、過大な自意識による承認欲求、そう言ったものに悩む少女たちの悩みや葛藤、そして、そういった少女たちに向き合う大人たちの無力さ、それを食い物にしようという大人の卑劣さを描いています。
とはいえ大人である私が少女たちに共感することなんてできないんです。できるという大人がいればそれは例外なく嘘つきです。私たちはこの小説に出てくる愚かな大人たちに自分を重ね悩み考えます。そして限界を知る、それこそがこの小説を読む意味じゃないかと思うのです。
5本目に収録された「放課後のピント合わせ」では、SNSに自撮りをあげる少女と、その自撮りを求める「大人」たちの存在が描かれます。少女は大人たちの存在によって、肥大した自意識の遣り場を見つけ、承認欲求を満たしていきます。次第に大人たちの要求はエスカレートしてゆき、取り返しのつかなくなる一歩手前まで追い詰められるのですが、都合よく現れた「大人」によって間一髪助けられます。そしてなんやかんやあり、自分の本当にやりたいことを見つけクラスメイトとも繋がりをつくりめでたくハッピーエンドを迎えます。
この物語は読者への問題提起となります。大人という存在の卑劣さ、矮小さというものを散々叩きつけられ、読者は自分自身の大人としてのあり方を否応無しに考えさせられます。SNSの向こう側の「大人」に純粋な不快感を覚え、どうしたらこの地獄から少女を救い出せるか考えながらも、自分がこのSNSの向こう側にいる人間とは本当に違うと言い切れるのかを考えはじめます。そうして悩みながら読み進めていくと、ここではひとまず「大人」の善意によってハッピーエンドを迎え、読者は一度、胸を撫で下ろすことができます。
そして6本目の「雨の降る日は学校に行かない」。この物語は、いじめにあい教室に居場所を無くした少女、「小町サエ」が保健室登校になり、同じように保健室登校をしている子と友達になるまでの過程を描いた物語です。
この物語で出てくる「大人」は保健室の先生です。いままで少女の周りには親を含め無理解な大人しかおらず、この先生は初めて現れた”理解のある”大人でした。
クラスメイトの悪意によって教室に行けなくなった少女のために、先生はサエの居場所をみつけてあげようと悩みます。
世界はこんなに広くて、どこにだって繋がっているのに。ほんとうに、どうしてあたしたちは、小町さんたちを狭い世界に閉じ込めようとしちゃうんだろう。本当にごめんね
上のセリフから感じられるのは先生の葛藤です。学校に行かなければならない理由を思春期の少女に説明できる大人がどれほどいるでしょうか。彼女たちに正論なんか通用しません。先生はその壁に突き当たり悩みます。
本当は勉強をするのに教室に閉じこもる必要なんてないはずなんだ。学校が世界の全てじゃないんだよ。世界は、うんとうんといっぱい広くて、なにかを学ぶ方法も、人と繋がる方法も、学校の外にはたくさんあるんだ。どんな生き方を選ぶのも、本当は小町さんの自由なんだよ。学校に行かない生き方だってある。それが普通のことなんだ
一見理解のある大人の言葉に聞こえます。でも、ここでは「普通に教室に行って勉強をしたい」というサエの気持ちは考慮されていません。サエの”普通”はもう手に入らないから、それなら別の”普通”を用意してあげるしかない。もちろん先生はサエの気持ちを無視したわけではないのでしょう。考えに考え、それでも答えが見つからなかったのだと思います。それが大人の限界なのです。
このセリフを読んだ時本当に泣きそうになったんです。たしかに一人の人間のできることなんてたかが知れてます。それでも、サエの”普通”が奪われるようなことは絶対にあってはならない。いつかいじめのない学校ができたら、なんて呑気に思いながらこの感想を書いている自分を顧みて胸が痛むのです。
この、5本目で大人の”善意”の部分を見せ6本目でその”限界”も見せ叩き落とす、この構成こそがこの小説の恐ろしいところであり面白いところでもあるのです。
というわけで、ひとまずここで感想は終了となります。
決して読後感の良い小説ではありませんが、綺麗事だけじゃない、そういった現実の苦い部分を見せてくれるのが文学というものなのかもと思ったり。
ホントは1つの記事で3冊分くらいサラッと書こうと思ったんですけど思いのほか長くなってしまいました。短く簡潔にまとめるって難しいですね。なので今回書こうと思った本の感想は近々投稿できるかなぁと思ってますのでどうぞよろしくお願いします。
最後に、十代に共感する奴はみんな嘘つきです。
作者の別作品