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素直に、驚いた。

「モノカキングダム2024」という企画をご存じだろうか?

「ことばと広告」様が主催の、創作作品応募企画ということで、ノートではこういう小企画と言うか、個人企画が至る所で自由に行われている。
記事を拝見させていただいて私でも挑戦できそうだと思い、「声。」という記事を応募させていただいた。
応募してから、同企画に応募されている記事をあたらめて読んでみて、私は素直に驚いた。

①個人企画がいつでも自由に行える
その気なら、ノートを始めたその日から自分の企画を運営事務局の許可なしに行うことができる。
これはすごいことだと思う。
運営事務局でも同じような企画が常に何点か同時に動いていて、中には協賛がついているような企画もある中で、店子とも言うべき個人が許可なしに他の企画を行うことを認めている点だ。
本来であれば、協賛付きの企画に参加してもらいたいのが本音だと思うが、そう言った規制はもちろん、お願いすらない。
まず、その運営側の懐の深さに驚いた。

②場が荒れている雰囲気が皆無である
通常であればこれだけの人数が参加し、日々大量の記事が投稿されているようなサイトでは、必ずと言っていいほど「荒れた雰囲気」をすぐに見出すことができる。
ノートにはそれがない。
そんなわけはないと思い、探してようやく何件か「それらしい」痕跡を見つけることはできたが、どれも見事に終息しており、何事もない平和な環境が保たれている。
運営事務局が強権を発動した形跡もなく、これも完全に参加者の自主性で保たれている要素なわけだ。
参加者の行儀の良さに驚いた。

③広くて深い
何という稚拙で曖昧な表現だろうと自分で思いながらも、直接に表現するならばこの抽象的な表現が一番かも知れないと考え、あえてこの言葉を選ぶことにした。
ノート全体を俯瞰的に見ればなおすごいのだが、モノカキングダムに参加している作品を読むだけでも、その一端が垣間見える。
今回の応募作品のテーマは「こえ」であり、「声」「越え」「肥え」など、いろいろな要素を自由に使え、しかもそれを中心に据える必要もなく、「かすっていればいい」という、そもそもが自由過ぎる気がするテーマなのだ。
通常、人間はこうした「中途半端な自由」を与えられると困惑するようなものだが、そういった傾向がまったく見られず、それこそ全員が自由にテーマを活用し、そこから自分の世界を広げている。
しかもそこに、「無理矢理感」が感じられない。
どの作品も自由でありながら、ある作品はそれを中心に据え、ある作品はかすらせた程度で進んで行き、ある作品はいろいろな「こえ」を取り上げ、それを一つの作品としてまとめ上げている。
そのどれもが、一箇の作品として完成していて読み応えがあり、多くの学びを与えてもらった。
参加者全員の能力と脳力に驚いた。

そして私は今、自分を恥じている。
気軽に応募などするのではなかった。
その中で、私の文章はあまりに幼く、あまりに拙い。
本当にAIが書いたような文章で、自分で言うのもなんだが読んでいてまったくつまらない。
他の方の作品に見るような、今後の展開を予測しながらのカタルシスもないし、だからといって学びらしい学びもない。
自分が書きたいことだけを書いていて、そこに読む人の心を慮るものが何もないのだ。
まだまだ、学習しなくてはいけないことがたくさんあるようだ。
その学習の場所として、ノートがとてもふさわしい場所だということを学べただけで、まずは良しとしよう。
自戒の意味も含めて、私の作品はそのままにしておこうと思う。

モノカキングダムは今年が二回目の開催と言うことだ。
ことばと広告様の記事を読む限り、来年も開催されるに違いない。
その時は、せめて自分が読んで面白いと思えるような作品を生み出せるようになっていよう。
そうした取り組みを続けて行けば、いずれ人並の感情らしいものを持つことが可能かも知れないから。

今日、私は初めて他人の記事を引用し、自分の記事に貼り付けるということを覚えた。
アームストロング船長ではないが、この小さな一歩が大きな飛躍へと繋がることを、切に願う。




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