母方祖母のホロスコープを読んでみた1
前回は、曾祖父のホロスコープを読んでみましたが。
今回は、母方の祖母のホロスコープを読んでいきたいと思っています。
私の身内の中で、私が一番影響を受けた女性といっても過言ではありません。彼女は何事にも前向きで、どんな試練にも絶対に負けない。
ただひたすら、突き進むことを常とし。
誰にでも公平に愛を与え、自分が少しでも世の中の為になれるのなら喜んで身を粉にして働く。正義と愛の人、そんなイメージしか私は彼女にはありません。まあ、ここまで強烈な個性は中々いませんが。
そんな祖母「しげ子」を今回はご紹介しましょう。
1928年春、山間の村に産声を上げました。
実家は村の名士で「我が家の土地を踏まないで生活はできない」と言う言葉を地で行けるほどの土地持ち。東京ドーム〇個分というレベルで土地を保有していたことは調べで判明しています。※旧土地台帳調べ
自宅には、お手伝いさんや、雇い人も多数おり。
学校に行く時は、鞄持ちを1人連れ学校に行く。
そんなお嬢様ではあったようです。
何不自由なく、育ち蝶よ花よと育てられたせいか?
この世の総てが、自分の思い通りに行く。
思い通りに行かなければ、ねじ曲げてでも私の理想を実現してやる!
「先ずやってみよう」駄目なら後で考える。という行動の人です。
何事も実現してしまう辺り、強運の持ち主だったとも言えるでしょう。
では、そんな彼女のホロスコープを出してみましょう。
前回も書いておりますが、出生時刻は不明ですが。
生涯に渡る、幾つかの大きな出来事などを元に孫である私が勝手に時刻修正を入れています。ただし、レクティフィケーションレベルには検証しておりませんので。飽くまでも、イベント用の時刻として参考程度として下さい。
パッと見で分かる通り、牡羊座に星が集まっています。
仕事には厳しく・・・しかし、愛情を持って他人や世間様と接していたのが良く分かる配置になりました(しました)。
先ずは1ハウスとアセンダントを見て見ましょう。
色々な人が出入りする実家ですごしたので、多くの人の中でも誰にでも平等に接する事を得意としていました。
ASC・1ハウス天秤座が、ピッタリくるように感じます。
しかし、祖母の面白い所は身内だけになると、本音が出るのです。
「アンタは特別、私が見込んだ子だから」とか、気に入った相手にはキッチリと伝えることをモットーとしていました。
しかも、身内には裏の顔がある事を公言し。
好き嫌いがあるのを隠さない人でした。
外では、アタシが我慢すれば、揉め事は起きないんだからさ。と言いつつ。
裏の顔は、超毒舌。口に戸は立てられない、と言い切って憚らない人でした。
多分・・・。
他人に対しての話方は、7ハウス的な部分が出ているのでしょう。
話し方は、水星を見ます。水星は7ハウスで、ここは牡羊座。
ストレートに総てを語ってしまうところは、牡羊座に水星的な部分なのでしょう。悪気が無く、歯に物着せぬ言い方をするので却って信頼されるという彼女の個性はここにあるようです。
そして、次は2ハウス。
ここは、お金の稼ぎ方と現すと言われています。
お金を稼ぐ理由にも繋がりますね。彼女の2ハウスは蠍座です。水のサインで有ることを考えると、お金を稼ぐ理由は大事な人を守るためでしょうか。
物欲とか、自分が成長するためにではないでしょう。
愛する人の為であると読み取れます。
しかも、蠍座であることから1つの分野を徹底的に深掘りをして提供することが、お金を稼ぐ事に繋がるとも考えられます。
祖母は、学生時代に教師を目指したそうです。
実際に、女子師範を受験しています。
そして、難なく合格。
時代は昭和初期です。
教師に親が付け届けをしていた生徒が不合格。
親が付け届けをしていなかった祖母が合格。
忖度有りきの時代、教師は付け届け(ワイロ)を受け取っていた相手の顔を立て。女子師範を受けた二人の生徒を、不合格としてしまいます。
祖母は、それを知らずに看護学校に進み、看護婦になりました。
※当時の呼び名で書いていきます。
戦時中には、市立病院の看護婦として勤め。
空襲で多くの同期を失っています。
仕事の現場などを現す、10ハウスに冥王星が入ってるのも関係しているのかも知れません。
結婚後は、終戦直後ということで。
自らの着物を解き、復員した兵隊さんとの間に生まれた沢山の子供達の為にとおしめを作り。生活の足しに売り始めたそうです。
着物は、幸い山間の村である実家に沢山あり。それを利用したとか。
その後、夫が競輪で万馬券を当てたのを元手に洋品店を開業。
売った洋服のお直しを無料で行ったり、喜ばれるならどこへでも配達に伺う。など。人に喜ばれる、人と違うピンポイントに痒い部分に手が届くサービスを提供し続けて商売は大繁盛します。
ただ、夫が困った人で。
親ほどの年の離れた夫は、浮気者。
店の店員に手を出したり、あちらこちらに女を作って遊び呆けたりと。
次々と生まれる子供達を食べさせる為に、家のことはお手伝いさんに任せ。
祖母は身を粉にして働き続けました。
次は3ハウス。
初等教育や、兄弟姉妹と言われるハウスです。
人生に必要なベースとなる知識をどう学ぶかを見る場所と言えるかも知れません。このハウスには射手座が入っています。
祖母の人生を見ると分かりますが、とにかく「やってみよう」がベースにあるようです。やってみて、分からなければ学べば良い。
そういう感じを受けます、考える前に直感で動くみたいなところがあり。
彼女の学びは、非常に実践的です。
やはり射手座的であると言えるかも知れません。
洋品店を開いたときも、お客様のニーズが分からなかったので無闇に仕入れる、サービスを行うのではなく。分からない物は、聞いて学ぶ。
これに撤していたと、本人から聞いています。
「どんな物が欲しいのか」「どんなサービスが有ったら嬉しいのか」
取りあえず、分からなきゃ聞きゃ良い。
聞いて、やってみてダメなら辞める。
やってみて、喜ばれたら続けてみる。
それをベースに、もっとサービスを充実させていく。
そうやって祖母は学び続けていたようです。
面白いエピソードがあり。
高度成長期のこと。
お店の前の道路が、掘り起こされ水道管やガス管を埋めたり。
アスファルト舗装をしたりと開発が著しかった頃のこと。
お店の前には、店が見えなくなるほどの土が盛られた事があったそうです。
当然、お店が営業しているのを道路から確認は不可能。
一気に稼ぎが落ちてしまい、これでは廃業せざる得ない。
という状況に陥った事があったとか。
祖母はその時、どうしたかというと工事をしている作業員に声を掛けたそうです。
「あんた達が、こんな所に土を積むからお客さんが来なくて商売あがったりだよ!どうしてくれるんだい!」まあ、そんな感じだったとか。
すると作業員は、俺達は指示通り働いてるだけだ。
文句があるなら、弁護士でも立てて作業の責任者である市役所を訴えりゃ良いだろ。と言われたとか。
当然、素直に言われたことを実行する遊撃手みたいな射手座の入ったハウスで学んだ祖母は。即座に市役所に怒鳴り込んだとか。
結果的に、落ちた売り上げ全額を保証金として受け取り。
配慮が足りなかった分の賠償金まで勝ち取ったというから、誰も太刀打ち出来ないタイプだったのかも知れません。
次回は4ハウスから読んでいきたいと思います。
良かったら、次回もお付き合いください。
★私、西洋占星術での鑑定も行っております★
よろしければ、覗いてやってください。
また、ご依頼いただけると飛び上がって喜びます。
この記事が参加している募集
大変光栄です!ありがとうございます❤️