村の少年探偵・隆 その15 スクーター
第1話 少年探偵・健
I街道は、四国の大河・Y川の支流・I 川に沿って山奥まで抜かれている。小杉隆の通った学校は街道のそば、猫の額ほどの校地に建てられていた。そこから先は集落もまばらになり、いよいよ秘境に足を踏み入れた感が強くなった。
I街道は御多分にもれず、昔は舗装されていなかった。クルマは曲がりくねったデコボコ道を、土煙を上げながら往来した。それかあらぬか「I街道を行くバスの運転手の腕は日本一」などと言われたものだった。
メインの街道からして、このような道路事情だったので、周辺の村に通じる道は昔ながらの山道だった。クルマは入れず、文明の利器らしきものと言えば、自転車くらいだった。それも恩恵に与れるのは、山道を下る時だけだった。帰りに自転車を押すのは、重労働だった。
修司の父親・勲がバイクに乗り始めると、村人は驚天動地だった。何しろ、エンジン音が村中に響いた。有史以来の静寂が破られたのである。
「都会へ行くと、ロクなこと覚えて帰らん」
勲叔父さんは鼻つまみ者になった。しばらく不遇の時代があったが、叔父さんにライダー仲間が現れた。しかも、それが地元のお医者さんだったので、叔父さんは面目を一新した。
ただ、お医者さんは乗っていても、それほどうるさくはなかった。スクーターだったからだ。
隆たちは叔父さんのバイクよりも、お医者さんのスクーターに憧れた。
そのころテレビで『少年ジェット』(竹内つなよし原作)が放映されていた。少年探偵・健が毎回、悪者を懲らしめるというストーリーだった。この主人公がスクーターに乗っていた。
第2話 命拾い
隆の育った地方は長く無医村だった。
手塚治虫さん(1928-89)が大阪帝大の医学専門部を卒業後、四国の無医村に赴任するという話があった、と聞く。順調に進んでいれば、鉄腕アトムもブラック・ジャックも誕生していなかったことになる。ことほどさように、無医村の解消が求められていたのである。
三足村の麓のお医者さんは、もと軍医だった。復員して、どういう経緯で無医村にやってきたのかは定かでない。
山間部だけに、通院するとなると大変だった。患者の便宜を考え、往診用にスクーターを買ったのだろう。周辺の村だけでなく、奥の秘境まで往診していたらしい。
隆と洋一、洋一の従弟の修司が学校から帰っていると、山道にスクーターが停めてあった。近くの家で重病人が出たのだろう。隆たちはスクーターを取り巻き、細かく観察した。テレビのヒーローが乗っているスクーターが、目の前にあった。あちこち触ってもみた。洋一が我慢しきれなくなって、よじ登り、シートに腰かけてハンドルを握った。
「洋ちゃん、危ないよ」
隆と修司はヒヤヒヤしながら見ていた。
洋一はスクーターが走ってでもいるかのように、腰を前後に動かしている。
「こら! 何しとるんや」
後ろに権蔵爺さんが立っていた。
「先生の乗り物になんぞあったらどうするんや」
洋一はスクーターから下りた。権蔵爺さんは洋一の頭を叩くマネをし、山道を下って行った。
爺さんの姿が見えなくなり、洋一はまたスクーターに乗ろうとした。その時、スクーターはゆっくり傾き、横倒しになった。洋一は道の脇に転がり落ちていた。
3人でスクーターを起こした。後はわき目も振らず、逃げ帰った。しばらく大きな木の陰から見ていると、お医者さんが細い道を下りてきた。ちょうど権蔵爺さんが用事を済ませたのか帰ってきた。何か話している様子だった。3人は息を呑んで見守っていた。
スクーターのエンジンがかかった。3人は顔を見合わせた。思わず笑みがこぼれた。
(権蔵爺さんの言うように、スクーターが壊れとったら、どうしよう)
3人は同じことを考えていたのだ。
第3話 取り調べ
まず隆が生徒指導室に呼ばれた。スクーターの件だった。
隆はスクーターに触ったことだけは認めた。
「それだけか? ほかに何もしてないやろな」
教師は何度も訊いた。
次に修司が呼ばれ、洋一が最後に呼ばれた。
「ワシも、同じこと訊かれた」
洋一が言うと、修司が相槌を打った。
洋一も修司も、スクーターが倒れたことだけは話していなかった。
また、隆が呼ばれた。
「スクーターのことやけど、工具入れから、レンチが一本なくなっとったんや。誰が盗ったんか、正直に言うてみ。先生はお前のことだけは信用しとる。洋一か修司か、どっちや。言わんかったら、今日は帰れんで」
隆はそんな工具のことさえ知らなかった。
(好きなようにせえ)
隆は無言を通した。
洋一も修司も同じ目にあっていた。生徒指導教師の収穫はゼロだった。
「レンチってなんやろ。修ちゃん、どんなものか、おっちゃんに訊いといてな」
3人とも身に覚えがないので、気が楽だった。
修司の父親は実演しながら、レンチの使用法を教えた。
「分かったか。ボルトを締めたり緩めたりするものや。スパナより使いやすいやろ。こんなものが盗られたって騒いどるんか。お前ら、運が悪かったなあ。権蔵爺さんが通りかからんかったら、疑われることもなかったのに」
修司の報告を聞き、隆と洋一は急に、レンチを見たくなった。スパナとは大違いだったからだ。
「ワシらがスクーターで遊ぶ前に誰か、工具入れから盗ってたんや。だけど、誰が盗ったのやろ。千足村でレンチなんか持っとってもしようがないで」
「洋ちゃん。それや。お医者さんはほかの村へも行くやろ。その時に盗られたんと違うか」
隆にパッと閃いたものの、なんとも捉えどころのない話になってきた。
第4話 遺児
2年の技術科の時間に、自転車の分解・組み立てが行われた。
洋一は教員の見よう見まねで、工具を上手に使っていた。自転車はどんどん解体されていった。
洋一に負けず劣らず、教員の助手みたいに張り切っている生徒が、ひとりいた。よその村の茂だった。
「渡辺。ちょっと待て。先に先にやるんやない」
教員は茂を注意する。
「先生。これは、レンチがないと時間が掛かるわ」
授業ではスパナを使っていた。
「茂。お前、よう知っとるなあ」
洋一は感心した。
修司は実習の様子を、父親に報告した。
「ほう。そんなに詳しいのがおるんか」
「渡辺はレンチやって使ったことあるみたいやで」
バイクの手入れをする勲の手が止まった。
「渡辺な、整備士になりたいんやって」
修司の話は、ほとんど勲の耳に入っていなかった。
渡辺の父親と勲は同級生だった。
少年時代は戦時下にあった。国民学校を卒業してすぐ、近くの鉱山で鉱夫になった。採掘現場も宿舎も、劣悪な環境だった。早くから酒を覚え、もらった給料は飲み屋街で使い果たした。
終戦になり、2人は大阪に出て行った。しかし、大阪は2人が夢見た世界とは違っていた。
食糧難だった。四国の田舎で、野山から食べ物を調達するようなわけにはいかなかった。オンボロアパートで空きっ腹を抱えていた。仕事はなかった。街に出ると、よく絡まれた。腕っぷしが強かったので、2人で撃退した。そのうち、立場が逆転し、飲み屋街で酔客から金を巻き上げることを覚えた。
街のちょっとした顔になっていた。飲み屋に行くと、よく奢られた。クスリも勧められたが、中毒になった者を見ているので、それだけは手を出さなかった。
飲んだ帰り、喧嘩に出くわした。
ひとりの男が路地に転がり込んだ。追いかけてきた男は、命乞いする男の腹を蹴りつけ、動かなくなると、頭をしつこく踏みつけた。
(あの男は殺される!)
勲と渡辺は思った。震えが止まらなかった。
気が付くと、静かになっていた。暴行を加えていた男の脇に、別の男が体を寄せていた。白い服が血に染まっていった。刺した短刀を引き抜き、男は仲間を抱きかかえて路地の闇に消えた。
アパートに帰り、勲と渡辺はカストリ焼酎で酔いつぶれた。翌日昼過ぎに目覚め、荷物をまとめて徳島に帰った。
勲と渡辺の付き合いは途絶えた。3年後、渡辺の結婚式には出席したが、渡辺の顔を見ると、例のシーンが蘇ってきた。
勲のもとにある日、渡辺の細君から手紙が届いた。
そこには、渡辺が肺を悪くして入院中であること、医者からもう長くないと宣告されていることなどが綴られていた。さらに、大阪時代を懐かしんでいることに触れ
「主人がどうしても勲様に会っておきたい、と申しております。まことに勝手ではございますが、どうか最期の願いをかなえてやっていただきたく、お願い申し上げます」
と結ばれていた。
渡辺を病院に見舞った。
「小さな修理工場でもやりたかったけんど、肺を悪うしてな。このザマや」
渡辺は力なく笑って、咳き込んだ。
病室に細君が付き添っていた。横に、よちよち歩きの男の児がいた。
あの児が茂だったのだ。
第5話 初志貫徹
茂は修司から、まっさらのレンチを手渡された。何本かのセットになった豪華なものだった。
尻込みするので、盗ったレンチを返す役は洋一が引き受けた。
医院の倉庫の入り口に、1本のレンチが置かれていた。
「ごめんなさい」
とだけ、たどたどしい字でメモ書きがあった。
3人は三度、生徒指導室に呼ばれた。今度は3人一緒だった。
「返したらええちゅうもんやない。お医者さんが『許す』言うとるから、今度だけは見逃しちゃる。盗った者は、ほんまに反省しとけよ」
黙っていたら長く説教されそうなので、3人は一応「はい」とだけ、明るく元気に答えておいた。
3年になり、茂は町の修理工場に就職が決まった。勲叔父さんの紹介だった。茂は定時制高校に通いながら、昼間は油まみれになって工場を走り回っていた。隆は一度だけ見学に行ったことがある。