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春雪
◇起き上がり小法師
いつになく、盲導犬のエヴァンが鳴いた。
一声だけだった。何かを要求しているか、何かを知らせている鳴き方だ。
寒くても、起きるのが辛いと感じたことは、あまりなかった。
「トイレ、我慢しているだろうな」
と思い、跳ね起きることにしていた。
関東に住んでいたころ、健康のために合気道教室に通ったことがある。ほとんど身に付かなかった。ただ、受け身を応用し、起き上がり小法師よろしく、体を起こす方法を考案した。
今朝はそれが役立った。眠いのは春がきたせいか。
◇夜明けを待つ
空がうっすらと白んでいる。
日の入りはずいぶん遅くなった。四国の山地ながら、夕方4時半に散歩に出ても、まだ陽が沈んでいない。
一方、朝6時だというのに、暗い時期が長かった。
「早く夜が明けてくれないかな」
と思う。
暗くても明るくても、弱視にはきつい。それでも、夜明けは待ち遠しい。自然界にエネルギーが充満してくるからだ。
◇お漏らし
ここからは、少し尾籠な話になる。
盲導犬にトイレをさせる際、腰にベルトを巻く。男の子は2枚、女の子は1枚のビニール袋を準備し、ベルトに固定する。エヴァンは男の子。とはいえ、我が家の一員になってからやがて4年。この5月末で6歳になる。人間なら、立派な中年だ。
1枚目の袋を付けていて、少し濡れていることに気づいた。
「我慢できず、漏らしたかな」
申し訳なく思いながら、2枚目を付けてやる。
エヴァンが腰を落とし、トイレをしている。
長い。漏らした割には大量に出していた。
「グッ、ボーイ(Good boy)」
いずれにしても、褒めてやる。
◇雨まじり
大をしない時は、上目づかいに私を見る。
「終わったよ」
そういう表情だ。
陽が出ていないので、そのサインはなんとなく分かる。
昼間だと、ドンと腰をぶつけてきて、知れせてくれる。心得たものだ。
やはり、寒い。早々に家に入ることにした。
我が家を建ててくれた幼なじみは、不用品活用をコンセプトの1つにしている。例えば、庭と玄関口の間には、線路の枕木を何本か縦に埋めてある。
いつもは黒い枕木が、白かった。
(上にゴミでも溜まっているのかな)
手で払うと、雪だった。
昨夜は雨まじりの雪だったのだろう。それで、地面が濡れていたのだ。エヴァンは漏らしていなかったのである。
◇写メ
ささいなことながら、自然の営みに感動する。
(妻に知らせてやろう)
(何か書こう)
急ぎ足になる。
(待てよ。あの雪はすぐに消える)
そのことに思い至って、引き返した。
スマホを出した。この暗さなら、なんとか画面が見えた。何枚かシャッターを押した。
世の中には、春の訪れを待ちかねている人がたくさんいる。それらの人々に季節の便りを届けたかった。