山谷剛史
記事にできない日々の記憶を文字起こし。実用ネタは有料予定です。
オンラインで買える異国飯リストをアップ。家こもりライフで活用してくださいまし。 [南米] ポンデケージョ ポンデケージョはブラジル商店では高確率である庶民の味方。安いので寄ったついでに5、6個買ってその場で1つ、翌日翌々日に食べる感じで。 すっごく雑にかくと、チーズ入りポンデリングみたいなもん。冷凍でも売ってるのでお家でいつでもブラジル異国飯。 ペルー醤油 鶴見や伊勢崎などで食べられるペルー中華「CHAUFA(チャーハン)」がおうちで再現できるらしい。店の人が言うには
0.BENTOU 表題の地図を見つけたのだ。サイトに日本語はなく、デザインも日本のサイトとはかけ離れてていい。ポルトガル語ができない僕にとっては木の下を掘ってみたら宝の地図が手に入ったような、そんな嬉しさがあった。 見つけたプロセスを書いていこうと思う。なおもっとスマートな方法はいくらでもあるが、そこは思考方法だと思ってみてほしい。 1.群馬・大泉 ブラジル人街として有名な群馬・大泉訪問にさかのぼる。大泉には2回行っている。ネットフレンズとわいわいいった10月の1
外国人がやっている店にいっても、それこそ例えばパチスロの店に初めて入って何していいかわからずに挙動不審になるような(僕なのですが)、そんな状況になります。他の方も言ってたんで割と普遍的なあるあるだと思うんですね。 店の中で慣れたとしても、そこで何を買っていいか冷静に見てもなかなかわかるものではないわけで。パッケージも大きいのでハズレを引いてしまったら食料品棚の肥やしになっていまいがちです。店に入るのも勇気がいれば、さらにそこで買うのも勇気がいるわけです。 とりあえず
先日イベントバー・エデンで1日店長をやってみたのでお礼も兼ねたメモを。 友人にはちらりちらりと漏らしてたんだけど、異国飯、未知飯を提供する店をやってみたいという気持ちはあるんですよ。とはいえ店を開いたところで儲け続ける人は僅かだし、勝ち目は少ないわけで。 そんなときに友人からイベントバー・エデンを教えてもらった。ほかにも場所借りできるところは検索すればかなりある。でもエデンの良さは損しない。 ■エデンのよさみ1.利用料は利益(=売上ー材料費)ー1万円を店と折半。た
本当にいいのか。3人ともコロナで中国に行けずにいるのに。Club Houseがあるのに、有料なのに。高口さん、安田さんがどう思ってるかわからなかったけど僕は不安はあった。 今までになく不安だったが、なんだかんだでこれまでのリアルイベント以上の大入り御礼となった。また終わった後に本も購入してくれた方に、3人それぞれが本の山を前に一冊一冊サインをした。随分売れてうれしかった。 まずは見ていただいた方、ありがとうございます。 お金をいただいてるからには、ちょっとやそっ
カンボジアといえば、アンコールワット。あるいは首都プノンペン。どちらも行って街歩きをした。 普通に「ほーう、こんな感じなんだね」とプノンペンの街歩きをしたらわくわくしたし、「昔のクメール王朝の建物はすんごいなあ」とアンコール遺跡をみて驚いたし、アンコール遺跡を街内移動のためのママチャリをひいひいこいでアンコールワットまでいって達成感も味わった。 それとはまた別種の憧れる場所があった。カンボジア、シアヌークビル。そういう街がある。九龍城のようなアングラなビルではない。
募金で「貧しい子供を学校に行かせましょう」という売り文句がよくあるんだが、これは眉唾だと思ってる。自分の経験でもそうだし、海外経験が豊かな知人と話しても、必ずしも学校に行けない貧しい子供が学校に行きたいわけではないことがわかる。「貧しい子供たちは学校に行きたいに決まっている」と想像してみると、その前提がひっくり返されて結構衝撃を受ける。 まだ時間に余裕があるころ。雲南省の奥地、たしか怒江沿いか、シャングリラのあたりか、ともかく奥地を旅してたときだ。地図を頼りにローカルバ
久しぶりの投稿になってしまった。一度書かない日があると、そのあとに続かないのだ。ソシャゲと同じ感覚である。 さていきなり飯の話も気が引けるので、雲南省に長居するメリットを書く。 雲南省は遠そうに聞こえるだろう。確かに遠い。東京から上海まで3時間、そこから昆明まで3時間以上はかかる。住んでるから行くものの、事実住んでなければえらい面倒くさい。ビジネスで日本から上海や北京までは仕事の案件で行くとかあっても、そこからまたちょっと昆明に行こうとすることはない。そんな誰もがな
「デジタル遠洋漁業」という言葉いかがでしょう? なんとなくライター業20年目を迎えている。初年度から中国アジアITライターが上手くいってしまった。 パソコン雑誌に書きたかったけど、PCライターは既にいるのでアジアITライターになろうと思った。元SEだったので、西に進んでインドのバンガロールまで行ってなんかの縁でブリッジSEになれればよかったと思っていた。 でもそういう縁はバンガロールいってもなくて、ピンとこなくて、もっと西に行こうとしたらイラク戦争が始まってしまっ
フィリピンって面白いんですよ。あんなに近いのに、東アジアや、インドシナ半島の国々とは違って、スペインっぽい異色の国で、英語がかなり通じて。乗り物もジープを改造してデコレーションした「ジプニー」がバス代わりで、魔改造三輪車「トライシクル」がタクシーとして使われてて。 日本から送られた地下鉄は窓に金網付けられて、機関車で引っ張られて、その合間を縫って人力トロッコが勝手に人を運ぶ。 アジア慣れしてても、フィリピンはがつーん!と来る異世界感があるんですよ。こんな近くに!?っ
氷河期世代がバックパッカーとなり世界を旅し、世界中の安宿で日本人が一大勢力だった時代があった。電波少年とかのおかげだ。旅行マニュアルとして旅行人ノートとか地球の歩き方があった。 僕も大学生のときに自分も電波少年の影響で海外一人旅をしたいと思った無数の人々のうちのひとりだった。 感想ありがとうございます。 さて、幸い、今「中国アジアITライター」を名乗り、雑誌で連載し、本を書き、執筆業だけで飯が食えている。どうしてなれたかを改めて書いてみる。 まずパソコンを大
いやいや(謙遜)。 あとトップ画像がほとんど中国じゃないけど許して。 僕の世代以上の旅行者は地球の歩き方、むしろ旅行人を見ていたんで、その人たち、むしろ蔵前仁一さんとか下川裕治さんとかのおかげですよ。そのバックパッカー読本通りに動いてるだけで、氷河期世代の旅行者は結構やってたんです。 氷河期の旅行者を動かしたのは、電波少年で見世物になった有吉でありチューヤンであり、沢木耕太郎の深夜特急。 僕はといえば、一部の今の20代~40代の支持してくれる方々が、若かりし
何事も初めての経験というのは大事だなと思いまして。 テレビのチャンネルを変えてたら、寄席の番組がたまたまあって少しの時間だが楽しく見まして。それを見ていると雰囲気や空気感がつかめる自分がいる。なぜそれができるかというと一度演芸場でツイッターで知り合えた友人Sさんと演芸場にいってみたことがあるからで。やはり関心をもって現地に行くと、同じジャンルの催し物をテレビで見た時も空気も含めてフラッシュバックして楽しめるものです。 かくいう僕も中国に最初に踏み入れた時は僕も周りの
ベトナムで今まで一番訪れた都市は、ホーチミンシティ(HCMC)でもハノイでもなく、国境の地方都市ラオカイである。 川向かいにはアピールするかのように高層マンションを現在進行形で建てまくる中国雲南省の河口がある。河口にはベトナム語の看板が多数あり、ベトナム人も多数見かける。バックパッカー全盛期には風俗の街として有名だったが結構その辺の産業は現在は綺麗になった。 河口までは以前はハノイから伸びるナローゲージの鉄道がラオカイと河口を通って昆明北駅まであったけど、今は標準軌
僕が異国飯にはまったきっかけとなったのが、小岩のベットガットレストラン&バーという店だ。 ネパール人がやりくりしている店で、ちょっと入ると商店で、ドアを開けるとインドな香りと商品が迫り、さらに進むと何席かあり、壁に貼られているネパールの写真と江戸川区の地図を見ながらネパール飯が食べられる、そんな店だ。客層はネパール人が主で、たまにネパール人奧さんたちがパーティをやっている。 また小岩のベットガットは、ネパールとかインド料理というのは所詮はナンやサフランライスとカレー
外国に住んでるとその土地の外国や自炊飯に慣れていくのだが、雲南省昆明では北京上海広東で見られるような外国料理屋はなく、ろくな外国料理屋がない。2005年くらいまでは日本人も西洋人もいて落武者の谷ならぬ、落バックパッカーの隠れ都市みたいになってて、なぜかイタリア人がボロ屋で本格イタ飯を作っていたりしたけれど、リーマンショックと中国庶民の所得増加で消えてしまった。 で、異国飯の代わりによく食べに行ったのが、異民族料理飯である。 雲南といえば少数民族の種類が中国一多い所で