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大人たちよ、もっと泣いてもいいんだよ!


社会人たるもの、仕事上のミスを叱責されて泣くのはどうか、という議論がありますね。

いろいろなご意見、様々な考え方があるとは思いますが、ぼくは叱責されて泣くのもありだと思います。
そりゃあ、遅刻して叱られたとかでいちいち泣くのでは困ります。
ですが、大きなミスをして、本人も痛恨のミスだわかっているのに、そこへ傷口に塩を塗って錆びた釘でほじくるような叱責をされたのではたまりません。
しかも叱責する側の性格が悪くて、いつまでもいつまでも繰り返し繰り返しネチネチグチグチくどくどくどくどと同じこと繰り返されてごらんなさい!
「もう、わかったよ。はいはい、わたしがわるうございました! あいすいませんですね!」と啖呵のひとつも切りたくなります。
だいたい、そういう風にしつこく叱責するタイプの人間は、失敗の再発防止とかではなく、叱りたいから叱っている気配があります。気持ちがいいから、叱っている。叱っている自分に酔っている。あるいは、執拗に叱ることで上司としての職責を果たしているつもりになっている。自分が叱っていることで自分の上司に弁解している。
まあ、度を超えた叱責は、失敗の再発防止にもならないし、むしろ「あんな思いをするのはまっぴらだ」と、ミスを隠蔽することに繋がりかねません。

かと言って、前述のように不貞腐れた啖呵を切るのも現実的には難しい。
だったら、いっそのこと泣いてしまえばいいんですよ。

呆れられようと、社会人として云々と言われようと、叱責に酔っている輩から逃れるためなら背に腹は代えられない。
もちろん、いつもいつも泣いていると効き目が弱まるので、ここぞ!というときに抜く伝家の宝刀のように泣きましょう。

そういえば、東海林さだおさんの漫画では、いい歳をした大人、しかもおじさんたちがけっこう頻繁に泣いていました。それも職場で。
「グヤジー」とか「コノー」とかいいながら男泣きに泣く。ありですよ。

もちろん、女性もね!