(とても食べ物とは思えなかった)給食の思い出


今でこそ、だいたいの食物は食べられるようになりましたが(塩辛はのぞく)、昔は好き嫌いがひどかったです。特に小学校の給食ときたら、食べられたのはパンと牛乳のみ。温食と呼ばれた「温かいおかず」は、ほぼどれも大嫌いでした。

特に嫌いだったのが、ホワイトシチューに貝の身が入ったもの。それとひじきと大豆の五目煮、みたいの。
ホワイトシチューはまだしも、パンのおかずに五目煮って、どういうことなのか。

今はホワイトシチュー好きですけど、当時は馴染みがなくて食べ物とは思えなかった。やたら味が濃かったような気もするし、貝の身が薄気味悪かった。

ぼくをのぞく他の子たちは、よくもまあ、あんな気持ちの悪いものを食べていたものです。

「ぼくをのぞく他の子」といえば、ぼくの他にも好き嫌いのある子もいました。自分の他にも、好き嫌いで食べられない子がいると、連帯感というか、自分だけじゃないという安心感があって心強かったです。いつもなら、絶対に給食を残してはいけないと厳しい先生も、食べられない子が多い時は、少し甘くなったのも嬉しい。

と、綴っていたら、ぼくと同じくらい好き嫌いの多かった、Hくんを思い出しました。

Hくんは、小学一年生のころ、一緒のクラスにいたマッシュルームカットの男の子です。

クラスでは、ぼくとHくんがいつも給食のあれが食べられない、これが食べられないと言って先生を困らせたり、クラスのボス格の子どもに「ワガママいうな」といじめられたりしていましたよ。それでも偏食家がひとりじゃないと思えば、多少は心強くもありました。しかも給食のときは同じ班だったから、なおさらです。

トコロがある日。Hくんが、紅顔の美少年(ぼくのことです)を裏切る日が来ました。
「今日から好き嫌いはしない、何でも食べるんだ」と張り切りだしたのですよ。
Hくんは実際に、その日の給食をもりもり食べ始めました。

机をくっつけたグループで、ぼくの目の前でこれ見よがしにモリモリと給食をほおばるHくんのことを、先生は褒めちぎるし、子どもたちは褒め称えるし、まったく紅顔の美少年の肩身の狭いことと言ったら、まるきり立場がありません。実際に、「Hくんを見習いなさい」とか「Hくんのようになれ」と責め立てられ続けましたよ、給食を食べながら、というか、いかにして気色の悪い温食を残すか算段しながら。
Hくんに対しては、(裏切り者め!)という感情しか湧いてきませんでしたよ!

そして、早食いのガキの中には食べ終わる奴も出てくるころ、異変が起こりました。それまでモリモリぱくぱくと給食を口に運んでいたHくんの動きが止まったのです。しかも、ほっぺたが妙に膨らんでいました。
(どうかしたのか?)と、思うまもなく、Hくんの口から、ピュルピュルピュー、とペースト状のものが、放物線を描いてほとばしりました。

Hくんは、吐いたのです!戻しちゃったんです!幼児語でいうと、オエしちゃったんです!!
ただ様相としては、口をとがらせて、プーっと吹き出すような噴出ぶりで、吐いたとか戻したとかオエしちゃったというよりは、「吹き出した」というのがピッタリでした。

Hくんは、食べられないものを無理に詰め込んでいたんですね。それが限界に来て、吹き戻しちゃったのでしょう。

Hくん、いったいどうして、あんな無理をしたのでしょう。

もしかしたら、「こいつに無理に給食を食わすのは考えものだ」ということを担任教師やクラスメイトたちに思い知らせるためにとった、捨て身の行動だったのかしらん?
だとしたら、エライ奴です。紅顔の美少年(くどいようだけど、ぼくのことですよ)には、思いもよらない作戦ではありませんか!

実際にHくんは、この一件以来、先生からもクラスのいじめっ子からも、「給食は残さずに食え」という理不尽な強要をされることはなくなりました。その恩恵を、ぼくもおこぼれにあずかったかどうか、は覚えていません。

眉を八の字に寄せて、苦しそうな表情なんだけどタコみたいな口で、ピュルピュルピューと、これも幼児語表現を適用すれば「ゲボしちゃった」Hくん、今はどうしているものか。