あなたの面影を消したくて。
当時、私が住んでいたアパートの一室の畳には、手のひらほどの大きさのシミがついていた。
”心地良い部屋”に最も相応しくないもの、そぞろ不気味なシミ。
友達や知り合いが家を訪れるたび、ちゃぶ台を移動させて隠した。それがどうも不自然な位置にあったので、何かやましいものでも隠しているような気持ちになり、毎度心がむずがゆくなるのだった。
とはいえ、つけたのは他の誰でもない、私なのだが。そのシミには、とある猟師に学んだささやかな誓いが滲んでいる。
とある猟師。
本業・大工のムツさんは、60代中盤で山奥に一人暮らし。ここのあたりでは腕の利く猟師らしい。ひょんなことから狩猟を始めた私は、知り合いの紹介でムツさんに教えを乞うことになった。
料理の腕前を自負しているムツさんは、度々手作りの料理をご近所さんにお裾分けする。確かに、仕留めたイノシシは自分で綺麗に捌くし、その包丁さばき、並びに料理には定評がある。
いつからか、私にもタッパーいっぱいのちらし寿司がこしらえられた。「美味しかった」と伝えると、毎週届くようになった。
梅雨があけると、お裾分けのスタメンに、小豆ゼリーが加わった。
某あずきアイスのような素朴な味のゼリーは、こぶしほどのタッパーに丁寧におさまっている。「美味しかった」と伝えると、毎週届くようになった。
「わざわざお気遣いありがとう」と同義の「美味しかった」は彼の承認欲求を満たすのに十二分だったらしい。次の週から、A4サイズの薄いタッパー2つと、こぶしサイズのタッパー5つ分のゼリーが届くようになった。
確かに、「美味しい」といったのはわたしだ。さわやかな笑顔で。
しかし、私がゼリーを白米のように食すとでも思っているのだろうか。家の冷蔵庫は、ビジネスホテルの部屋にあるような小さいサイズだったので、ゼリーによる冷蔵庫の占拠はすぐに限界を迎えた。
なんで私は、山奥でゼリーの消費に追われているんだよ。
一度、勇を鼓して断ったことがある。
「今日は大、丈夫、かもしれないです、、」
眉毛まで滲みわたっていた笑みが、みるみると悲哀に満ちてゆく。その哀愁でわたしを溺れさせようとでも?とでも言いたくなる行間。
「え、、」
「あ、今日はそれだけで、、」
結局、こぶしサイズのタッパーを2つ指して白旗をあげた。それ以来、再び断ってはいけないような気がしたのだ。
以来、家には返しきれていないタッパーが溜まっていった。というか、返すと「おかわり」を暗に意味してしまうのではないかと勘繰って途中から返しあぐねていた。
「結構です。」
その5文字を「ありがとうございます」や「美味しかった」のトーンと表情にほのめかしてみたが、焼け石に水だった。
その日は、こぶしサイズのタッパー8個ぐらいあっただろうか。
「こんな食えねーよ!」
いっそこの声が漏れてしまえばいいのに、そう思いながら、もとよりそんな勇気はどこにもない。口角は下がりつつも発声が先を急いだ。
「ありがとうございます」
帰宅した私は、ゼリーの入った大袋をひとまず畳に放り投げた。壁際にスライディングした大袋の中ではタッパーが雪崩れるように横転したが、この際、袋内の治安を気にしていられようか。わたしは仏じゃねえ。
ちょっと一旦、休憩。
あまり視界に入れないようにしていたせいか、「一旦」は2週間にもおよんでいたらしい。畳には、タッパーから漏れ出たゼリーの汁によるシミが爆誕していた。
臭い物に蓋をしすぎてしまったようだ。流石にすまん、ムツさん。お裾分けを腐らせてしまうほど、後ろめたさに迫られる失態はない。しかし不思議にも、このときの私は威勢よくピンク色のカビが生えたゼリーを投げ捨てたのだ。めちゃくちゃ清々しかった。
ここから私の畳のシミを隠す努力が始まる。
いや、部屋のシミってあっても別に気にならないか。古い家だし、むしろ部屋に馴染んで他人の目には見えてないんじゃないか。でも、みんなあえてずらして座っているような気が、、、しなくもない。
そのシミに恥ずかしさを覚えるたびに、存在感が増してゆく。私の目にはムツさんの悲しげな顔が見え隠れするのだ。たまったもんじゃない。悪いのはこちらなのだが。すまん、ムツさん。でも憎い。
一年が経った。ちゃぶ台のポジションは部屋の中心から壁際に定着したが、シミと共生できてしまっているようで、これまた気味悪い。
古民家への引っ越しのため、シミに別れを告げることになった。どこまででも張り付いてくるかさぶたがスルリとむけたような軽やかさに包まれた。
引っ越しまでに残された日にちを数える。いそいそしている暇はない。わたしは次なる敵を見据えた。台所の下の扉。そこには何を隠そう、空になったタッパーの貝塚が鎮座している。次の相手はお前だ。意を決して錆びかけた扉の取手に手をかけた。
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