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海の香りを探している
海の香りが含まれているものは、海恋しさに涙ぐんでしまうので冷静に判断できない。
海が好きなのになぜか内陸部に住んでいる。海はあまりに遠い。なので、初夏から初秋の頃にはしょっちゅう海に行くことになる。ただでさえ遠いのに、これが冬ともなれば季節的にも遠く隔てられていると感じることになる。
ふだんから気にしているわけではないけれど、もしかすると、ずっと海の香りを探しているのかもしれない。
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地下鉄銀座駅から四丁目交差点に上がったとき、くっきりと感じられた海の匂いは忘れられない。人いきれや香水や食べものや排気ガスの混じりあった匂いの混合体のなかに、明確に像を結んでいる海の香り。人間ばかりの小洒落た通りのなかで、この匂いを嗅ぎつけている人はどれくらいいるのだろうか。群集をかき分けながらぼくはずっと上の空だった。はじめて降り立った銀座は都市のただなかの浜辺だった。
浅草の鮨屋でも、赤貝だったか、口に含むとほのかに磯の香りが立ち上がってきて、それはおそらく冬のことで、仕事で浅草に軟禁されていたこともあり、季節的にも状況的にもあまりに海から隔てられているところに不意に香りが立ちのぼったものだから、危うくカウンターで落涙するところだった。鮮やかな磯の形象を咀嚼しながら、なぜ、ぼくは海ではなく、こんなところにいるのだろうか、と思うしかなかった。よくよく考えればすぐ側にあるのだが。ここまで来れば立派な病気である。
東京は海。海の香りが断片となってここかしこに散らばる巨大な浜辺。
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磯の香りをずっと愛好してきたわけではない。
子どもの頃、磯の香りは好きではなかった。食卓に並ぶ貝類や魚類や海藻類は大好きだったので、香りそのものは好きだったかもしれない。しかし、実際の磯の香りはさして好きではなかった。
あまり綺麗な海に行ったことがなかったのかもしれない。あるいは、あの頃の海は汚かったのかもしれない。海と言えば祖父が釣りをするのでよく連れていってもらったように思うけれど、祖父の車は煙草と釣り道具とそれらを打ち消そうとする芳香剤の香りでいっぱいで、そもそも車酔いする子だったぼくには海までの行程はあまりに辛かった。着いたら着いたで酔ったところに磯の臭みがボディブローのように効いてくる。泳ぐのは好きだったのだが、水は濁っていて、波には酔うし、ベタベタする上、そこらじゅうに砂がつき、磯臭さが充満する炎天下で弁当を食べる。酔いと臭みと暑さに耐える新手の通過儀礼のようでもあった。
磯の香りの否定性。この否定性のまわりに、フェリーや島の民宿、食堂の卵かけご飯、サビキでの鰯や鯵釣り、ボートでのキス釣りやメバル釣りの夏休みのような楽しい記憶が渾然と絡まりあっている。
友人たちと遠い海まで自転車を走らせて、磯のイソギンチャクやとり残された小魚やいろんな貝類やウミウシや打ち上げられたミズクラゲを観察したり、タコを捕まえに行ったりもした。そんなとき、匂いはまったく気にならなかった。大学生になり海から遠く離れて、さまざまな海を訪れるようになってあらためて気づいたのは、海の水は青く澄んでいて、磯の香りもそれほど強烈ではなく、砂も気にならないし、さしてベタベタもしないということだった。こうした別の経験が海を、磯の香りを肯定的なものに変えていったと思う。
しかし同時に、磯の香りの核になっている強い否定性は、おそらくこの香りの経験を、たんに肯定的ではない複雑な味わいにしている。子ども時代のあの海の経験はいったいなんだったのだろうか。ぼくの嗅覚が鈍感になったのだろうか。
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普段の生活圏である京都や滋賀で海の香りを感じることはほとんどない。本州が関西で真っ二つになって海が貫入すればいいのにと、いつの頃からかずっと願っている。
そんな内陸の街が、年に数回だけ海に満たされることがある。そんなことはないと言われるかもしれないが、少なくともぼくにとって、それはある。
台風だ。
熱帯低気圧は南方から海を連れてくる。海の一部が飛んで来る。台風の街は、海の香気に深く満たされる。それは浜辺からかけ離れたどうしようもないこの街に海水をまき散らす風だ。台風が来るたびに、思い切り海を吸い込み、浜風で鼻腔をいっぱいにする。ざわめく風を匂っている。犬のように。
低気圧が通過すれば夏の熱気と陽射しが残される。海水があちこちに溜まってそこらじゅうが磯になる。潮だまりの合間をビーチサンダルで通り抜けると鏡のような水面が海の香りを蒸散させながら、アスファルトの匂いとともに輝いている。