
ながいつぶやき#2
ぼやぼやしてたら2025年になってしまった。
前回に引き続き、駄文をつらつらと綴る極私的noteである。
さて、なんでこの歳(56)になってわざわざ芸大で写真を学ぶのか、ということをお伝えしようと思って書き始めたのだが、思うままに書き連ねていたら脱線しまくりで申し訳ない。前回は苦手な作文を克服するくだりでギブアップしてしまった。克服とは言っても、別に得意分野になったわけではない。実際あの文章を書くのに約1ヶ月、書いては消し、消しては書いての繰り返しで、たぶん読んでいる人が考える以上に時間がかかっているわけである。あくまでも、時間をかけているのではなく、”かかっちゃってる”ってことで、相変わらず文才はないということがお分かりいただけるのではないかと思う。
とりあえず前回の流れとしては、
→子供の頃にカメラ買ってもらって写真にハマりかけた
→思うような写真が全く撮れないので挫折
→漫画とアニメと音楽にのめり込む
→映画が撮りたくて芸大を志すも経済的理由で断念し普通大学へ進学
→映画研究会に入って自主映画制作にいそしむ。
→「論文指導」の講義を受けて作文の苦手意識がなくなる
って感じなのだが、漫画アニメ音楽のエピソードは面倒なので端折らせてもらった。私としても早く写真エピソードに持っていきたいので、なにぶんご理解をいただきたい。というか最初からこんな感じでまとめておけばすんなり進むのに、余計なことばかり書いてアホだと思われるかもしれんが、今後も脱線しまくりの文章になると思う。ま、焼酎のお湯割なんかチビチビやりながらお読みいただきたい。
大学時代はバイトと映画に明け暮れた日々であった。バイト代のほとんどは大学の授業料に消え、生活費を差し引いた残りをほぼフィルムの購入・現像にあてるというかなりクレージーな金銭感覚で学生時代を過ごしていた。時代はバブル真っ只中で、世の中ずいぶん浮かれまくっていたように思うが、こっちは他人が遊んでる時が稼ぎどきと言わんばかりに働きまくった。意外かもしれんが、そんな生活なので旅行などほとんどしたことがない。経済格差が叫ばれる昨今だがなにをいまさら感MAXである。いや、今はもっとひどくなっているのかもしれないが。
1987年当時、8㎜フィルム用の機材はすでに生産を終了していたが、中古カメラ屋へ頻繁に通って、カメラや映写機、エディター(編集用のモニタ)、スプライサ(フィルムやテープを切ったり貼ったりするやつね)なんかを物色していた。それが後年、写真を始めるにあたって役に立つとはその時は考えもしなかったが、たとえば8㎜フィルム自体がリバーサルフィルムといわれるポジ画像だという知識もなかったくらいだから、若さゆえの無知というのは恐ろしい。フィルムやレンズに関する知識は写真を撮り始めるようになってようやく覚えるようになった。独学とはいえ、本当に何も知らずに情熱と勢いだけで映画を作っていたわけである。
そんな状態だからすぐに壁にぶち当たる。まず、脚本が全くわかっていなかった。面白い映画を作ろうと思えば、脚本が重要なのは当たり前の話なのだが、もちろん簡単に書けるものではない。もともと作文苦手で生きてきた私にとってこの壁は、遥か雲の上まで伸びていて全く越えられる気がしなかった。なのでこの時期、基礎からシナリオを学ぼうとして某シナリオ学校に入学したのだが、ここで出会った人物の劇団旗揚げに参加してしまい、いわゆる小演劇の世界に片足を突っ込むこととなった。
人生の目的を果たす者は基本的にブレない。しっかりと未来を見据えて、なりたい自分をイメージし、そのイメージに近づくために挑戦と努力を続けていくのが定石である。
ここまで読んでもらえればよくわかることだが、私の人生はとにかくブレブレなのである。そしてとてつもない臆病者であることも付け加えておこう。

映画に関しては映像をイメージすることはそんなに難しいことではなかった。こまかいカット割りなどもアタマの中で組み立てることができたのだが、演劇というのは全くもって未知のものだった。同じように物語を進めていくという表現であっても映画と演劇ではそのアプローチが全然違う。何よりも演劇表現は最終的に役者という肉体とセリフという言葉によって舞台上で生で見せなければならない。映画のようにロングショットやバストショットを使い分けることができないし、頻繁にシーンを変えることも難しい。製作のプロセス上、記録されることが前提となる映画と、基本的にLiveである演劇は、私の中では全く別次元の表現方法であった。記録が前提になっていることで、あとで編集ができるという点と、本番が完成品という違いは思っていた以上に大きい。特に演劇は公演日程とハコ(劇場)を先に決めて、その日に向けて追い込んでいくような作り方をしていくので、時間がどんどんなくなっていくのである。
そしてこの二つの表現に共通する要素、みんなで一つの作品を作る、ということがどんどんストレスになっていった。そのうちスケジュールに追われて自分が何をやっているのかわからなくなっていくあたりで気が狂いそうになった。
ここまで独学で自主映画や小演劇をやっていて、やっと集団で何かを作るというのがどうやら自分に向いていないらしいことに気づき、妙なストレスを抱えて生きていた20代後半から30代の前半。
「こりゃイカン、このままだとわしゃ精神的にやられる」と、
ひとりでできる何かを探していたのだが、「写真」はそんな私にも比較的始めやすいジャンルだった。
当時(ま、今もだが)チョー貧乏生活を送っていた私が、清水の舞台から玉砕覚悟で飛び降りる思いで購入したのが、[CONTAX T3]というコンパクトカメラ。
月の生活費を家賃込みで7〜8万円に抑えて生きていた私にとって、その一ヶ月の生活費をカメラに使うというのがどういうことか。そのくらいの覚悟を決める必要に迫られるほど、精神的に追い詰められていたのだろう。
写真を撮り始めた当初は表現などとは程遠い、精神のリハビリみたいな日々がしばらく続く。誰に見せるわけでもなく、ただシャッターを押せばびっくりするほど綺麗に写る、それ自体が驚きで面白く、仕事の時も散歩の時もいつも持ち歩いて写真を撮っていた。
そんな、上達する気が全くない(なんせリハビリですから)状態でフィルムを消費していただけの日々から、なんとなく写真で映画や演劇のような「表現」ってできないのだろうかと思い始めたのが10年ほど経ったあたり…もう40に手が届こうかという頃である。遅い! 遅すぎる‼︎
やっと写真の話になってきたところ、申し訳ないが続きはまたの機会に。もはや完全に個人の振り返りであるが、こうすることで自分の人生を客観視できるのは案外面白いものである。ま、他人には全くつまらん話だと思うが…