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ゴッホの「ひまわり」にトマトスープを投げた人たち
モナ・リザの絵にケーキがぶつけられた事件、知ってます?
もしくは、ゴッホのひまわりの絵にトマトスープを投げつけたニュースとか。
「知ってる!」
という人もいれば、
「あ~、なんかそういうのあったよね。」
ぐらいの人もいるかもしれない。
私もこの2つのニュースは知ってた。
どちらも有名な作品だし、ニュースに結構取り上げられたと思うから。
何より、気候変動に関わる政策に対してとか、環境破壊する人々へ向かってやったと主張してたから、環境問題について関心のある私としては、新しく何か起こる度にネット記事を見るくらいには興味をもっていた。
でも、正直なところ、
「なんで美術作品と環境破壊が結び付くんだよ。何やってんの?」
と内心怒っていました。全然理解できない。
そりゃあ私だって気候変動対策しなきゃとは思うけど、美術品に八つ当たりみたいに何かをぶつけるのは違うでしょ。
むしろ、
「そういう攻撃的な環境活動家のせいで環境問題を解決してる他の人たちの印象悪くなるやん!」
ぐらいに不満に思ってた。
それとは別件で、(経緯は色々省くけど)環境問題について勉強してるとか言いながら、自分の生活は全然変えられてないことに気がついたタイミングがあった。
そう反省をしてからは、買うものに気をつけたり、身の回りの物を環境に良い物に変えていった。
そうしていると、2023年4月、また環境活動家が動いたニュースを知った。彼らはローマの広場で、噴水に木炭の粉をぶちまけた。その場の沢山の人の注目を集めて、主張していた。
「なんで彼らはこういう事をするんだろう?」
その疑問は前とは質の違うものだった。
実際に生活を環境にいいものに変えるという具体的な行動を起こしたことで、なんというか、その大変さを知った。
今の日本では、例えばプラスチックを使わないようにするということだけでも、それはそれは大変なもので、意識的に減らそうと努力しないと難しい。簡単に決意が揺らいじゃう。
だって、そうじゃないものを選択した方が安いし、手間が少ないから。
多くの人はそっちを選んでるしね。
まあ、そういうわけで、私は自分が意識的に行動しはじめたことで、自らの主張をもって行動に移している彼らのことが気になり始めた。
行動するって意外と簡単なことじゃない。
否定の「なぜ」ではなく、興味からくる「なぜ」に変わった。
モナ・リザやゴッホ以外にもそういう事件ってあるんか?
彼らはどういう主張をしてんの?
そもそも誰がやってんの?
そんな疑問が浮かんできた。
あと、もうひとつ調べたいと思った大きな理由がある。
「私も彼らと同じように環境問題には興味があるし行動しなきゃとは思ってるけど、そこまではしないよね」
とふと思ったからだ。
そこまではっていうか、そういう種類の行動はしないよねって感じ。
だって、千手観音に味噌汁ぶっかけようとは思わないじゃん?
同じように環境問題に関心がある私と彼ら。
なにが違ったんだろう?
そういう目線でニュースを読み返すと、彼らの主張が少し違って見えた。
それまでは(柔らかく表現すると)論理に飛躍があるちょっとおかしな意見を主張する人達という感じに見えていた。
しかし、視点が変わると、彼らが焦っていて憤りを感じているように見えた。同時に恐怖も感じているんじゃないかな、とも思った。
それから私は本格的に調べ始めた。
本当は自分の好奇心から調べたものだったので、別に誰かに伝えようと思っていなかった。でも、同じような疑問を持った人も多いだろうなとか、以前の私のように、
「環境問題が重要なのは分かるけどさ、ちょっと過激すぎじゃない?」
「何でそんなことするわけ」
と怒りを感じている人もいるだろうなと思った。
なので、私が調べたことを共有して一緒に考えていければと思って、公開しました。
年表
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「多いな?」と、私だって思いました。
2022年で25回、2023年で8回(2023年9月17日時点)。
ちなみに、私が調べた範囲での数なので抜けてる可能性もあります。
追加の情報、求む!
表を作って気づいたこと
2022年から多く発生している。
これは、コロナが終息して欧米で規制が緩んでいったことが影響しているのかな~と勝手に考えています。
欧米で多く発生している。
初めはイギリスで多い傾向にありますが、それはJust Stop Oil(以下JSO)というイギリスの団体が多く活動していたから。次第に他の地域の団体が多く活動していて、JSO自体は絵画へ何かしたりというのは少なくなっていることも注目ポイントかなと思ったり。
あと、面白いのは、アフリカや中東、アジア、南米などの地域には「芸術作品を使う」という形の抗議活動は広がっていないということ。
環境保護団体とか、気候変動を解決しようと活動してる団体は世界にもあるだろうし、そういう所が「もっと色んな人に環境問題、気候変動について知ってもらおう!」って感じで活動することも当然あると思うけど、こういう形はとってない。
なんでだろ? 考えられる仮説は、
①美術に詳しくない人でも知っているような世界的名画・芸術作品が欧米に集中しているから
②(この後詳しく書くけど)A22で共有されている考えが広まっていないから
本当に仮説も仮説なんで、これを裏付ける証拠とかもないです。読者の人で、こうなんじゃない? と思った人は共有してもらえると嬉しいです。
トマトスープを使ってた印象だったけど、手を接着する手法の方が多い。
10月14日、ゴッホの「ひまわり」にトマトスープを投げつけた事件が個人的に凄く印象に残ってた。
多分、他の事件と比べて、ネットニュースでも日本語のこの事件の記事とかは多く出ていて、それでトマトスープを使うのが記憶に残ったのかなと思う。
2022年11月あたりから保護されてない作品も対象になっている
ヨーロッパの3カ所で同時に事件が起きた。
3つの団体「Ultima Generazione(イタリア)」「Dernière Rénovation(フランス)」「Stopp oljeletinga(ノルウェー)」は、『A22』という組織に参加しており、そこで連携をして、国連気候変動会議COP27がエジプトで開催されたことを受けての抗議活動だった。
これ以前の抗議活動では作品はガラスで保護されていて、絵画自体に損傷はなかったと思う。
「食べ物とかかけたりしたけど、作品自体に被害は無いよ!」
ということを団体は言っていた。けれど、この日に起きた事件は全て、作品が保護されてない状態でペンキなどで直接汚された。
同時に起きた事と、保護がない作品を対象にした事が、他の事件とはちょっと違う所です。
一歩間違ったら実害が及んだかもしれない行為だった。
例えば、ノルウェーで起きた事件なんかは、穴が沢山開いている彫刻にオレンジのペンキをかけている。
花崗岩を使った作品なので、しみ込まないかどうか監視を続ける必要があると美術館も言っていた。その後も、ミラノで騎馬像にペンキをかけたり、噴水に木炭の粉を撒いたりということが起きた。
初めの頃は守られていた「作品自体に被害は出さない」という不文律が使われなくなってきた。
というよりかは、その決まり事の意味を理解していない人が、手法だけを取り入れたという表現の方が近いのかもしれない。
JSOの活動は減った
私が調べた限りだと、2022年6~7月が特に頻繁に活動していて、10月27日を最後に絵画を利用する方法はとってません。
これがなぜかというのは分かりません。ちょっと、調べても出てきませんでした。
なんでこの団体だけ特別視してんの?
って疑問があると思うんですが、これはこの手法を意図的に使い始めたのがこの団体で、ここから欧米各地へ広がったからです。
あとで説明します!
名画ばかりを狙う
名画中の名画を狙っているし、絵画じゃない物(彫刻、像、車など)でも、超がつくほど有名な作品・芸術家の作品が対象となった。
液体が多く使われた
ナイフとか石とかそういうのを投げるのではなく、ペンキや液体系の食べ物が多いです。これに関しても後で詳しく。
ちなみに、「へ~、絵にペンキか~」とか「手を貼り付けたりしてんだ」ぐらいの感じで捉えてる人に、釘を刺します。
これらの活動をした人たちは捕まってます。
刑務所にいることになったり、罰金を受けたり。
例えば、(私が把握してる範囲では)10月27日のゴーギャンの絵にスープを投げつけようとした事件では、美術館が損害未遂で告訴しています。
同日、『真珠の耳飾りの少女』に頭を接着し、手を絵の横に接着し、スープをかけた人たちは、2か月間刑務所に収監されることを宣告されました。2023年3月9日、4月27日の事件では逮捕され、罰金が科せられました。
6月14日の事件の環境活動家たちも過重破壊行為だったとして起訴されてます。
これらは犯罪行為であるということは留意しておきます。
疑問とそれへの自分なりの回答
疑問① 何を主張しているの?
まず出てくる疑問が、
「この人たち、なんの為にこんなことやってんの?」
だと思います。これへの回答は簡単です。
メディアの注目を集めて、より多くの人に主張を聞いてもらったり、政府に要求を聞いてもらうためにやっています。
じゃあ、彼らは何を主張しているんですか。
彼らの発言をまとめると、以下の10個になるかなと思います。
地球のことを考えてください。
石油、石炭、ガスの利用や、それに対する助成金をやめて下さい。二酸化炭素の排出を抑えましょう。
美術館、美術協会も私達と同じように政府に呼びかけてください。
文化財や芸術作品よりも、人の命や地球を守ることの方が優先順位が高いことだと思っています。
今の時代は荒廃しており、飢餓や戦争の時代です。地球が破壊されています(そのように感じるということ)。
芸術を守るのと同じように、地球も守るべきです。
破壊されていく地球で芸術は意味をなさなくなります。
気候変動、環境問題などの危機を警鐘してます。
気候変動で人の命が脅かされているのに、1枚の絵が傷つけられるのをおびえているのはなぜですか。
何も対策していないようにみえる政府への批判。
一番多いのは、石油やガスの助成金を止めて欲しいという要求を政府に出すものでした。
次に多いのは、美術品よりも地球や人を守ることの方が優先順位が高いという意見や、荒廃や飢餓、戦争の時代という考えでした。このように壊れていく地球では、これらの芸術は意味をなさなくなると主張した人も多くいました。
例えば、昨年11月18日、ウォーホルがペイントしたBMWに対しての記事では(勝手に日本語訳してみました)、
「政府が気候変動のガスの排出を減らすと公約したことさえ実行しないのならば、持続可能な素材をより使ったとしても意味がない。排出は増加の一途をたどっており、飢餓に直面し、水・食べ物・生存をめぐった戦争に向かう様に導いている。政府に対してできることの全てを試みずに、教室やワークショップに生徒とともにいることは、私にはもうできない。私とともにいる若者たちは、この状況でもまだ何かしらの活動ができているUltima Generazione に所属している。彼らが地球で最後の世代とならないように何か手助けをしたいと思っている」と、デモに参加した材料科学技術の研究者であるマリア・レッティジアは言った。
という主張が書いてある。
さっきのでいう、⑩、⑤などがあたるかと思います。
もうひとつ例をあげます。今年6月14日に起きた事件について、以下のような記事があります。
(今回の事件を起こした環境活動家2人は)AFP通信とのインタヴューでその責任を主張し、「モネの絵のような豪華な庭はすぐに遠い思い出となるだろう(中略)。気候変動による大災害は健康危機でもある。何百万の人々が気候災害によってすでに命を落としている。スウェーデン政府はもっと気候変動に関する国際公約を守る努力をする必要がある。31%まで(二酸化炭素の)排出を抑えるべきだが、排出はまだ増加している。あってはならないことだ」と語った。
この主張はさっきまとめたものでいうと、⑦、⑤、②などでしょうか。
ただ彼らの主張してきたことをざっとまとめてみただけでしたが、彼らが現状をどう見ていて、どうしていくべきだと考えているのか、ちょっとだけ分かった気がします。
疑問② なぜ手をくっつけるのか?
大抵の抗議活動で額縁、もしくは絵の近くの壁や床に体の一部(手や頭)をくっつけています。ただ手を接着する場合もあれば、作品に対して何かを投げた後に、手をくっつけるというパターンもあります。
なぜか?
簡単に言えば、時間を稼ぐため。
彼らは瞬間接着剤でくっつけている。そのため、剥がすのに時間がかかり、その間にメディアに注目される。その場にいたお客さんや、自分たちで撮影している動画に対して、自分達が主張する時間が稼げる。
なので、手をくっつけているんだと考えられます。
疑問③ なぜトマトスープだったのか?
この記事を書くタイミングになってみれば、そこまでトマトスープにこだわる必要はないというか、1回しか使われていない手法だし、そこまで重要な疑問なわけでもないけれど、一応書いておきますね。
この手法を使ったJSOは、シンボル的イラストをツイッターに投稿しました。
元ネタはハインツのトマトスープ缶です。有名ですよね。
それをオマージュして、ブランド名や商品名が書かれているところに、こんなことを書いています。
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トマトスープを使った理由としては、以下のことが考えられます。
身近な存在で、調達が簡単だから
実行するのが数人で済む
それまで彼らの活動の中心は、座り込みによる道路の通行封鎖であった。現場では大きい影響がでたが、メディアはあまり報道せず情報の拡散はできなかった。しかし、絵画を対象にした行為は、悪影響のある人数が少なく、かつ拡散力があったから。
トマトスープは水性なので、作品はガラスで保護されているし、洗えば絵画自体は傷つけないから。
一番手に入れやすい水じゃなくペンキとか色のあるものを使ったのは、多分、視覚的にインパクトがあるからだと思う。(たとえガラスで保護されていても)絵にペンキがかかってたら、そりゃ衝撃だよね。
疑問④ なぜ名画・美術品を狙うのか?
まず、一番大きい理由は「注目が集まるから」。
事実、活動した団体の名前は知らなくとも、こういうデモ活動があったことは知っている人が多いと思います。
他の事件のニュース記事では、明確にそういう発言があったわけではないけど、例えば、一番最近あった8月29日の事件の記事には、
On2Ottawa広報担当ラウーラ・サリバンはARTnewsに対して、「(前略)今回の活動は、請願書を書いたり、州選出の役員とコンタクトを取るなどの他の抗議活動の方法と比べて、驚異的な量のメディアの注目を獲得した。ただ、プロジェクトとして成功するために必要な報道はなされていない」と語った。
とあった。民主主義の正当な方法に乗っ取って行動したものの、それよりも影響力があったのがこの方法だった、ということでしょう。
正直、ここまではっきり言ってるのも珍しい。こういう「注目を集めたいから絵画を狙った」という実利的な心のうちというのは、コメントで言わないもんだと思うんだけどね。
次に、(彼らが主張するには)「世界中の美術館、美術市場は少なからずオイルマネーによって支えられているから」という理由があった。
例えば、
石油由来の油絵具の使用
作品輸送で排出される二酸化炭素や管理にかかる温室効果ガス
NFTの取引にかかる膨大な電気使用量
『サルバトール・ムンディ』とかは、石油・石炭産業で支えられているサウジアラビアの王子が買ってたりする(約510億円で取引された)
などが、美術界と石油、オイルマネーの関わりとしてあげられる。
最後の理由は、「名画は保護されているので、絵自体に被害を与えないで済む」です。
対象となった作品の大半は、ガラスで守られていて被害はなかったと報道されていり。しかし、この理由に関しては、最近のデモ活動を見ていると、ちょっと怪しくなってきているようにみえる。
正直言うと、彼らにとっては気候変動や彼らの活動に世間の目がいきさえすれば、ターゲットは芸術作品以外でもいいんじゃないかと思っている。
つまり、道路封鎖をしたり、サッカーやラグビーなどの試合で乱入したり、建物や看板などにペンキをかけるなどでもいいわけだ。
絵画を利用するという手法は、彼らのいくつかある選択肢の一部でしかない。
まあ、彼らがいうには、「芸術作品も地球も一点ものであるのに、芸術作品にトマトスープやマッシュポテトを投げて汚染したら大騒ぎをして、同じように一点ものである地球で起きている気候変動は無視しているのはなぜか?」という意見があるみたい。
そういう観点で、彼らの世界観では美術品と気候変動が繋がっているようですね。
疑問⑤ 結局、どういう影響があったの?
簡単に言うと、
欧米各地に活動が広まった
美術界の保険金額が上がる
美術館の警備が厳しくなる
などが挙げられると思う。
彼らの主張の中では政府に対しての要求が多かったですが、政府が聞き入れようとしているかは、詳しく調べられていないので分かりません(すんません)。
彼らは抗議活動の様子を動画にとって、インスタやツイッターに乗せたりしているけれど、それへの反応はネガティブなものが多い。
かれらの根本にある考え
さてさて、こうしたら今までより活動の輪郭がちょっとだけ明確になった。
しかし! まだまだ、疑問は残っている。
「言ってることは分かったけど、だとしても正当化されることか?」
「捕まってまですること?」
「初めの方に言ってた、恐怖とか焦りを感じてるってのは?」
とかとか。
まず、A22 Networkという組織について。
A22 Networkとは、世界各国の環境保護団体が集まった組織。
ヨーロッパを中心に合計約11団体が参加。
2022年4月に「A22 Network宣言文」というのを出した。
ちなみに、年表にある団体も、A22に入っているのが多い。
そういうわけで、ここからは彼らの考えにある根本について。
彼らの根本には2つの大きなものがある。
「環境的黙示録」と「市民的不服従」です。
う、難しい!
環境的黙示録ってなんですか?
さて、ではまず、「環境的黙示録」から喋ろうかなと。
環境的黙示録という言葉は辞書とかにはない。
浜野先生という方が記事で使っていた言葉で、私も使わせてもらいました。
浜野さんは環境的黙示録を、
「気候変動によって、この現在の世界は終わる/あるいはその瀬戸際に私たちはいる。待っているのは完全な破滅か、救済かである」
と説明している。
「え、なんか急にそういう感じ?」
って、私は思った。
なんか、ただニュースとかで彼らの発言をみると、
「気候変動の対策を早くしないと環境に悪いとか、飢餓とか大規模な自然災害が増える。だから早く対処するべきだ」
とか、そういうことの比喩で言ってるのかな? と思っていた。
でも、どうやら違うみたい。
でも、ヤバい思想とかそういうのでもないみたい。
彼らの宣言文をみると分かりやすいと思う。
原文は英語なので日本語訳にしてみた(あと、ここで注意なんですけど、あまり否定的な気持ちからこの話を読んで欲しくないな思ってます。なるべくフラットな気持ちでいてもらったら嬉しいです)。
A22ネットワーク宣言文(日本語訳)
我々はこの古い世界の最後の世代である。
我々は新しい世界を創造すると宣言するため、今日ここにいる。
その新しい世界では、人類が自らを尊重し、許容し、我々の素晴らしい冒険を続ける責任がある。
最後の世代として、我々の世代と全ての未来世代を守ることはなんでもする覚悟である。
それは奪うことのできない権利だ。
古い世界は死にかけている。
今は最後の時間――最も暗い時間にいる。
この世界は現在私達の目の前で滅ぼされている。今が岐路である。
今私達がすることが、今の世界と次の世界の両方の運命を決める。
だから、私達は決めた。
もはや、恐怖、絶望、憤りをそのままにしておかないと。
私達は自分達を後回しにしている。
我々は一つの共同体として共に高い目標を掲げているのだ。
その根源は、真の人間になることだ。
その根源は時代を超えて私達を呼び起こし、搾取する政権を維持するために殺すような人々をその力によって倒すであろう。
これは古い世界である。もはや続きはしない。
人類は絶滅するほど愚かではないということを明確にするためにここに宣言する。
社会は愛と真実から背を向けてはおらず、悪と死を包含してはいないとここで言いたい。
こうであって欲しいと願う――手に入れられる世界は、すでに手の届く範囲にある。
しかし、私達は手を伸ばさなければいけない。
しかし、強調したり、訴えたり、観客を楽しませるためにいるのではない。
我々は、そのために必要な変化に近づくためにここにいる。
政府に二酸化炭素排出の削減をさせるためであって、それ以上のことはない。
言葉だけでなく、行動するためにここにいる。
私達には計画がある。
私達は多くの国々や文化圏を集結している。
チームはプロジェクトを始動するだろう。
そしてそのプロジェクトは政府に対して要求するだろう。
私達は、新しい世界を作るのに参加する人は誰にでも手を伸ばそうとしている。
もし拒絶されたら、先人たちが人権のために何度も何度も行ったように、毎週毎週奮闘するだろう。
私達は直接人々に訴え、何百回にもわたる開かれたミーティングに誘う。
大規模な市民的不服従を宣言する。
これは厳粛な責任である。
神聖な権利にはそれを守る神聖な義務が必要だ。
そして、全ての人間が自由になるまでは、誰も自由ではない。
そうしてこそ、正義が実現する。
私達は、他者を嫌うという罠には落ちない。
他者は私達全員の一部なのだから。我々は武器を持っていない。
そして心は開いている。
私達は人間であり、人類を信じている。
我々こそが民主主義である。
私達はオープンであるし、暴力的ではない。
私達は責任のある人であるし、自由である。
私達は、活動の成り行きを受け入れ、この目で直接運命をみるだろう。
受けて立とう。息ができるうちは、私達は止まらない。
今これこそが私達の人生だ。
私達は最後の世代だ。
しかし、それは始まりでもある。
同志はどこにでもいて、そして集まってきている。
全てのことが変わるだろう。古いものは新しいものに。
そして、全ての人が変わることができる。
A22の宣言文からみる彼らの考え方
私なりに概要をまとめます。
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さて、宣言文をよく見ると、「最後の世代+新しい世界を作る」というセットが2~3回くらい出てくるので、私が考えてたような「もうこの世界は終わってしまうんだ!」みたいな意味が100%という訳ではないのかもしれない。
でも、必ずしもポジティブな気持ちで活動をしているというわけでも無いと思う。
宣言文や彼らの主張を総合的に見ると、彼らは「恐怖、絶望、憤り」の気持ちを抱いていて、早くこの現状(彼らが言うところの「死にかけている古い世界」)を私達がどうにかしなければいけないという焦りと、政府に対するもどかしさがあるのかなと、私は思った。
100%絶望的な感情から活動してるわけでもないし、100%ポジティブな未来を描いてデモを行っているわけではない。そんな複雑な感情が彼らの根底にあるんじゃないかなってのが、私の現時点での仮説です。
市民的不服従ってなんですか?
次に、市民的不服従についてです。
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難しい言葉はさておき、具体的な例をみてましょう。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
当時起きた戦争に反対して、人頭税という税を払わないという方法を取った。
マハトマ・ガンディ
イギリスによるインドの植民地支配は不当なものだとして、インドの独立のために非暴力・不服従・非協力運動をした。有名なもので塩の行進(当時、イギリスのみが塩を作って売ることができた)がある。他にも、イギリスの製品を買わない(=非協力)、国家の運営などに関わる人は仕事をしない、不当な税の納税はしない等。
非暴力・不服従で活動して相手に恐怖心を与えないようにすれば、そもそも対立という構造をなくすことができると考えた。
キング牧師
バスボイコット運動。当時、黒人の方がバスを沢山利用していたけど、肌の色で座る場所を決められ、白人の方がそこは自分が座る席だと言えば黒人の方の座る場所と決められていたところでも譲らなきゃいけないという風になっていた。そのような不当な現実に反対して、バスに乗らないという活動を黒人の方々が協力して行った。
具体例を調べてみると、イメージが少し鮮明になった。
市民的不服従の5つの条件
さて、どんなことを満たせば市民的不服従といえるんでしょうか。
寺島俊穂さんの「市民的不服従の正当性―アメリカでの議論に寄せて―」という論文を参考に、ちょっと(だいぶ)かみ砕いて説明していければと思います。
条件① 限られた政策・法律に対しての行為であること
例に出したように、塩はイギリスしか作っちゃいけないとか不平等な法律に対して、(法律を破って)塩を拾うというアクションをする。
そんな感じで、
「基本的に民主主義とか法律はいいと思ってます。でも、自分の良心に従うため、(非合法的な行動だけど)この政策・法律に反対なので行動しています」
というのが必要だということです。
それに加えて、
「この特定の法律はダメだと思っているけど、法自体は尊重してます」
という気持ちを証明するために、(法律を破ってるわけですから)刑罰には進んで従う必要があるとも書かれている。
例えば、政府に対して攻撃しようとか、転覆しようとか、政府を変えようとか、そういう事をしてるのは市民的不服従には入らないということになる。
条件② 公に開かれた活動である必要があるし、抗議の内容は公共の利益になるものでないといけない
活動する人は自分がやったことを「市民的」不服従だとしているわけだから、その抗議の内容、抗議の結果得られるものは、社会全体にとって良いことである必要がある。
条件③ 積極的に抗議活動をすべきだけど、暴力を使って抗議をしないこと
自分で「この政策/法律は不正で、社会的にいけないことだ」と主張しているのに、人を殴って意見を主張するとかの不正な方法で抗議をしちゃったら、自分の行為を正当化できないから。
条件④ 十分に法律の範囲内で抗議したが、効果が無かったということ
「色んな方法を試しました。嘆願書を提出したり、法律を破らない形で抗議活動もしたし、政治家とも十分に話し合いました。しかし、現状が改善されませんでした」
という場合には、市民的不服従といえる。
条件⑤ 市民的不服従の活動をした方が、そのまま放置してた時よりも良くなる場合
私が参考にした2人はこんな風に表現していました。
「市民的不服従の行為は、それが行為者の信奉する道徳的原理に合致し、黙従して得られるより不服従によって得られる善の方が大きいことを計算に入れている限りにおいて正当化される(寺島俊穂)」
「市民的不服従によって発生する善が、そうした行為をせずに放置した場合に発生する悪、あるいはその市民的不服従行為から派生する悪を上回ること(浜野喬士)」
学術的に表現するとそんな感じ。
難しいので、私なりにかみ砕きにかみ砕いて表現すると、
「そのまんまにしてるより、この抗議活動をした方が絶対に良くなるよね」
「抗議中にはこういう損害・被害が出てしまうけど、それでも結果として良くなるよね」
ということですかね。
そういう説得力が必要だという話かな。
市民的不服従の条件を彼らの状況に置き換えると?
①~⑤をまとめるとつまり、

と言う風に主張して、その結果多くの人から賛成を得る必要がある。
自分の行為や主張でもってして、大勢を説得しなきゃいけない。
この台詞を、美術品を標的としている環境活動家の人々に置き換えると、こんな感じかな。

どうですか。
ここまで来ると、私の頭の中が整理された。
なにが良くて、なにが駄目だったのか?
彼らの行為は具体的にどこがどうダメで市民的不服従になっていないのか、説明できるんじゃないか。
民主主義や法律は尊重している
限られた政策に対しての抗議である
刑罰に従う
開かれた抗議活動である
抗議活動は非暴力である
という項目はクリアできているわけです。
正当性の説明が足りていないんじゃないか
じゃあ、何がダメなのか?
非暴力な方法ではあるけど、自分が批判する対象「政府」「政策」と、美術品に損害を与えるという実際の彼らの行為が結び付かないので、自分たちの行為を正当化できていないし、大勢の人を説得できていないということなんじゃないかな、と私は思った。
それが例えば、
公務員のメンバーの人が「市役所では化石燃料由来の電力で動いているので働きません」と主張する
警察の人がガソリン車を使わない
国立の学校の学生や教員が学校に行かない
石油・石炭・ガスの助成金に使われる用途の税を払わない
そういうのだったら分かると思うんです。
他にも、(違法なわけではないけど)ガソリンで動いている公共交通機関を利用しない、石油由来の製品を使わないなどの方法もあると思います。
ほんとうに「抗議活動でおきた損失よりも、抗議の結果得られたものは大きい」のか?
「世界中の美術館、美術市場は少なからずオイルマネーによって支えられているから(美術品を攻撃した)」
という理由や、
「芸術作品も地球も一点ものであるのに、芸術作品にトマトスープやマッシュポテトを投げて汚染したら大騒ぎをして、同じように一点ものである地球で起きている気候変動は無視しているのはなぜか?」
という意見は、なぜ有効じゃないのか?
これも説明できそう。
政府や政策に対しての抗議活動なのはOK。
市民的不服従の抗議活動をするのも分かった。
石油を利用していたり、オイルマネーに支えられている(国立、公共団体が建てた)美術館を批判するのも、まぁ理解できる。
でも、そこに展示されている「国の文化財」「人類や国民にとって重要な意味を持つ芸術品」「公共のものであると認識されている美術品」を汚すという行為が、「抗議の結果得られるものは、抗議中に起こる被害や損害を上回らなければいけない」という部分に反するからじゃないでしょうか。

そうなった時に、
「抗議で出た被害って、本当に得られる物よりも小さいんですか? 他の違法行為の方が被害も出ないで抗議内容が聞き入れられる可能性もあるのに、なんでそっちじゃなくて美術品を攻撃する方を選んだんですか?」
彼らのこの方法は、そこんとこの説得力に欠けてるんじゃないかと私は思いました。
法律の範囲内での努力はどのくらいしたのか?
「十分に法律の範囲内で抗議したが、効果が無かったということ」の項目の説得力が薄いのではないでしょうか。
私が知らんだけかもしれんけど、
「どんくらい行動してきたんだろう?」
と思っちゃった。
もし、ここに情報があるよ! と知っている方がいましたら、コメントで共有してください。
あと、主張のために法律を破った抗議活動(市民的不服従)をすることが悪いわけではない。
そこんとこは、しっかり共有しておきたいですね。
わたしの感想
攻撃性は持っちゃいけない
環境活動家の人たちは、非暴力の抗議活動をしていた。
別に誰かを殴ったわけでもないし、物理的に攻撃したわけでもない。
彼らの言う非暴力は、「物理的に人に攻撃をして被害を与えない」って意味だと思うけど、私としては「攻撃性をもたない」のが重要だと思った。
例えば、ガンディ―は、(ざっくり言うと)相手に恐怖心を与えないために、非暴力・不服従・非協力をした。
なぜなら、恐怖心がうまれると対立構造ができるから。
そういうのから考えると、攻撃性のない非暴力活動ってのが重要なんじゃないかな~と思った。
その意味で言うと、「ものを投げつける」「汚す」「損傷させる」行為は攻撃と捉えることができると思う。
そういう余地がある。
実際、美術館側とかも事件に対する声明で「attack」という言葉を使ってるし。
攻撃と捉えられる余地のない抗議方法を取るべきだと思う。
対立構造・一方通行は何も解決しない
彼らの主張を見てると、
「環境に良い事しないとダメなのに、何で分かんないんだよ、あんたらは」
みたいなニュアンスを感じなくもない。
もどかしさと、気候変動対策をしない人たちへの若干の侮蔑?とか、そんな感じのもありそうって感じ。私の印象だけど。
逆に、激しめの環境活動家が動画とかをSNSに載せてて、それへの反応とか見ると、彼らの活動を批判して、
「お前ら、頭おかしいよ」
というコメントがあった。
美術館も、
「美術と環境問題がどうつながんのか理解ができない。美術品への攻撃は絶対的に賛成できるものではない」
と批判していた。
美術品をターゲットにする環境活動家 VS それを批判する人という明確な対立構造。
「環境問題にたいして行動する私たち」と「環境問題よりも絵画の方を崇拝する貴方たち」という二項対立的な区分け。
こういうのって何なんだろう。
対立って何も生まないし、良くなったとしたら、その世界でどうせ皆生きてくんだからさ、やめよーやって思う。
美術品を利用する環境活動家に対して盲目的に批判する人々も、JSOを筆頭とする攻撃と捉えられうる余地のある(市民的不服従と主張する)抗議活動をする環境活動家も、どちらの立場でも理解や歩み寄りが欠けてると思う。
前者は、
「なぜ彼らはこんなに焦っているんだろう?」
「自分の生活はどうかな?」
という、客観的な(自分の好き嫌いとか、良い悪いとかを脇に置いといての)理解ってのをしなくちゃいけないと思う。
後者は、
「彼らが行動できない理由や、政府がこの政策した理由は何だろう?」
「本当にこれは非暴力か?」
「批判されたのはなぜだろう?」
という冷静に客観的に自分たちの行動をかえりみて、自分とは違う考えを持つ人にも歩み寄るみたいな行動が必要なんじゃないかなと思う。
個人的には、美術品を標的にしないでほしい
「これ調べる前までは、法律破ってまでするか?」
と思っていたけど、市民的不服従自体は方法として確立してるし、成功例もあるっということだから、一概に否定しちゃいけないというのは勉強になった。
けど、市民的不服従の活動ですって言ってるのなら、彼らが美術品に何かを投げつけてたり手をくっつけたりするのは、そもそも条件を満たしてないし、美術品は公共のものだし。よくない。
なるべく偏らならないようにしてたけど、うちはそもそも絵を見るのは好きだし、この方法を取るのは超反対。
美術品はもう二度と同じものは作りだせない。
その責任を持てないのに美術品を利用しちゃいけないと思う。
そんで、報道ではよく「絵画に損傷はなく……」って伝えてるけど、馬鹿げた話だと思う。
手を接着した額縁も立派な芸術品で、絵画の一部だと思う。
額縁職人が絵に合わせて作った一点物で、200~300年前の絵画とかだったら同じくらいの年代ものってことじゃん。
それって十分な被害だと思う。
美術品・芸術品は、国境も、言葉も、時代も超えて世界中の人々の心を揺さぶり、何かについて考えさせ、気づきを与えてきた。
そういうすごい力を持ったものを、攻撃と捉えられる形で利用してほしくない。
別の方法取りませんか、って言いたい。
あと、彼らはこの美術品の利用ってだけじゃなくて、道路封鎖とかも頻繁にやってるんだよね。実は。
それが影響して、ドイツでは交通事故が起きた時に救急車が行こうとしたけど間に合わなくて、女性が死亡した事件が起きた。
実害がでる可能性があるものを選択するっていうのがダメだと思う。
やっぱり、市民的不服従を唱えているなら、違うやり方にした方がいいよ。
市民的不服従って、すごく難しい
市民的不服従が徹底されてないんじゃないかと思う。
自分たちの行動の精査が不十分なんじゃないかな、と。
彼ら自身が、自分たちの行動の現実的な影響や評価、市民的不服従ができているかどうかを、常に確認するべきだと思う。
多分、市民的不服従って凄く扱いの難しい武器なんだと思う。
デスノートぐらい扱いが難しいと思う。
守らなきゃいけないルールが沢山あるし、行動に移すまでに自分で凄い考えてから使わなきゃいけないし、扱いを間違ったら自分が大変な立場に置かれるし。
市民的不服従はレベルの高いことを要求される方法なんだよ、多分。
市民的不服従ですっていうなら、誰も反論できないくらいに完璧な抗議方法を取って欲しい。やろうとしてること(ガス、石油の利用を減らす)自体は良いわけだからさ。
共感するところもある
彼らがものすごく焦って恐怖しているのは、環境問題に関心がある身として、ちょっと共感する。
「時間ないかも!」
「うちも行動しなきゃ、何か行動を……」
って思ったりするから。
環境的黙示録の考えも私は共感できないし、法律を破ってまで政策を変えようというほど、正義感とか公のための行動力とかもないから、私は彼らみたいな行動はしなかったし、これからもしないと思う。
でも、
「いっぱい物作って捨ててっていうの、おかしいでしょ」
と思ったり、
「いつまでも石炭・石油があるわけじゃないんだから、そろそろ同時並行で(石炭・石油がない生活に)慣れていかないとダメなんじゃない」
って思ったり、
「今年の夏めっちゃ暑いな」
って体感する。
そういう中で、行動しなきゃって真剣に思い始めて、自分の生活から変えるようになった。
彼らといろんな面で規模は違うけども。
ポジティブな気持ちから動きたい
私としては、未来が見えないことへの不安とかそういうのはあるけど、それをエンジンに動きたくない。
マイナスな気持ちをエネルギーにしたくない。
環境問題とか気候変動のために行動するって、自分の未来のことだし、現在の行動の話なわけじゃん。
なんか、ポジティブな気持ちから動き出したいし、その過程が大変だとしてもしっかり楽しみたいと思う。
現実問題、苦しんでる人がいるのは重々承知な上で。
眉間にしわを寄せたままじゃ、肩に力が入っちゃうよ、と私は思う。
だから、そういう違いが、私と彼らの発言や行動の違いに現れてんのかなって思った。
ほら、サンボマスターの歌詞にもあったじゃない。
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せっかくなら、楽しく皆で世界を変えていきたいよね。
さてさて、ここまで読んでくれてありがとうございます。
中村先生も翻訳のアドバイスをくれてありがとうございました。
おまけ。というか、備考と追記。
備考:
これはうちが大学時代に、興味本位で調べたことをまとめたものになります。加筆修正しています。2023年9月以降の最新の情報は(調べる余裕がなくて)調べられてません。
もし、何か知っている方がいれば、コメントで教えていただけると幸いです。
追記①
本当は、当事者の方にインタビューをしたいです。
この勉強をよりアップデートするために。
英語に強くて、この内容に興味がある人、一緒に調べる相棒になってくれませんか。
追記②
市民的不服従のところ、超難しかったです。なにぶん1人で情報収集して、まとめてってやっていたもんで、私のかみ砕き方が荒すぎる可能性がとてもあります。
どなたか、詳しい方がいらっしゃいましたら、おすすめの本や論文、この人に話を聞いたらいいという情報を教えていただけたらと思います。
皆で理解を深めていけたら、嬉しいです。
追記③
一時、有料にしていたのですが、いろんな人に共有したいという思いと、フィードバッグを沢山もらいたいという理由で無料にしました。