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普通症候群(常識過敏症)にもやもやした2020年。

もうすぐ師走。

なんとなくまとめてみたい気分になってまとめています。今年なんか常に抱えてた感覚って何かなーと思ったらタイトルが出てきました。

おそらく自分はHSPだと思っています。小さいころからだからHSCでもあったのでしょう。人の感情を受けてしまうし、にぎやかなところも場所を選ぶ。

「敏感すぎる」ひとたち、なんて名前つけられているけれど「すぎる」という表現からしてダメなことのようだ。

世の中のからだに悪いことだったり、そういうものへのアンテナがするどいことは悪いことではなく、避け方や自分の特質に工夫が必要なのは事実。

リスク管理としては、能力が高い特性だと思うのですが。

なぜそれを余計に感じたかっていうのは今年のいろいろな休校や自粛の様々な動きでした。

アンテナ感度でリスクを回避しようとするひとたちと、通常通り優先の人々

想像力の欠如というか。

もちろん、可能性的に現実にならないほうがいいこともたくさんある。

でも、可能性がある場合、「起こる」ことを前提にして、いろいろ動くべきで、それは通常どおりを続けたい場合でも、第2案、第3案としてもっておくべきで。

いままでの案や、流れ以外を一切考慮しないで、変化なしに続けようとするひとたちが「管理者側」に多いことが危険。

教育委員会や校長がそういう考えなら、リスクを被るのはこどもたちで、社長なら従業員。現場や当事者が気づいていることに、指示する立場のひとたちが気づけない。

もうこれって、HSPを敏感過ぎる、と表現するのなら、普通症候群という病気だとむかしから思っています。

だって、危険がわからない、生物として一番危ない状態であり、そういうひとたちが多くのひとの生活を背負ってたりするのってすごく怖い。

上からの指示を待つ人々

これは震災の時にも思ったが、~に言われてないから、指示きてないから動かない、では危険な時がある。

こどもでも、自分で察知して自分で行動することで命を守る。

今回の自粛時期に、わたしには直接関係ないけど、困っている人の相談を受けた。大きなことはできないし余力もないけど、年齢的に知り合いとかがある程度の役職についている年代。

その話について話をしてみた。

上からの指示が来てないんで。
とか、
なぜ、それが困っている状態、なのかすらわからない様子。

○○の役員とかやっているのに?

結局余裕のある人たちは「自分ごとに考えられな<すぎる>ひとたち」

現実にまだ問題は起きていないからいいのか?先読みしたら、問題が発生する可能性があるから前もって動く。

それはビジネスの世界でもリスクマネジメントとして必要なはず。

たぶん、想像力の欠如。

・そんなことは起こらないと思っている(起こってもどうにかできる環境なので怖さがない)
・自分の環境以外のひとの状況を想像できない
・想像して自分で考えられない 指示に合わせてタスク管理するのは得意

なにも、過度なHSPのように人の感情にのまれ過ぎてください、というわけではないし、想像力の欠如もOK。いや、ただ人を管理する(他のひとの人生に影響する)立場のひとは、そこんとこ自覚しようよ、と思う。

たぶん、なにを否定されているかも感じ取れないと思うし、もやっとした感情をみないことにして、向き合ったりもしないんだと思う。結果、はなしのなかで私が勝手にキレたひと、みたいになっている(笑)

あたまがいい、の基準を変えていく時代

そういったひとって、たいてい「あたまがいい」。学歴がいい。

でも個人的に思っているのは、そのリスクを回避して行動できるとなりの小3のこどもの方が賢い、って思っている。

上からの指示、「正解」を取りにいくのは得意。それが頭いい、の枠に入れる人だった。

いま、そういう判断するひとは、若干失笑される感じになっているにも関わらず、たぶん当人たちは気づいていない。

こどもですらわかることが「わからない」。

これが頭いい、でいいのか、ということ。物事を決める立場でいいのか、ってこと。

こういう動きって、最近見てそう思ったのではなく、そういった地位のある職場につく人が多い高校に通っていたから、そのひとたちが青少年だったときを見ていて、こうなった、という一連の流れを見ているから、役職だけで見れないというか。

こういうことしてた人、こんな高い役職で、あれこれ決めちゃうんだ、とか。

自分で決めない、自分で考えれない、っていうことは幼児みたいなものだと思っていて。幼児もしっかり考えているけれど。

からだは大人なのに、だれかが「与えてくれる正解待ち」。もうおじさんなのに、おばさんなのに、幼児性が抜けない役職あるひと、多いのって、一回も正解の道から降りたことないんだろうな、と思っている。

もちろんしっかりしたひとたちも(少数)いますが。

ちゃんと考えて、ちゃんと「おとな」に最近の子はなってますよ。特に不登校やドロップアウトした子たち。正解、の道しか知らない幼児な大人に、ほんとは「常識的に」とか諭される必要ないんだけどな。

諭されるなら、いろんな実体験積み過ぎたおとなたちに、触れあって、刺激を受けて。

常識、だけを楯にしたとき、それはTPO的に常識的である必要のある場合もあるけれど、こどもたちの問いの答えに「常識」を使ってしまうと、そこに「ひと」はいない。人、のことなのに。

行政の窓口しかり。相談に行く人は、常識わかったうえでそれでも困っているから行っているのであって。

こういう規則になってますから、、

分かってます、日本人ですから読めますし、知ってます。

そこに人の生活やケースを想像できない、それも一種の○○すぎる、っていう名前つけてもいいんじゃないかと思うのはわたしだけでしょうか?(笑)

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